見出し画像

女性の牧師の妊娠・出産記

はじめに。

 2020年2月に子ども(第三子)を出産しました。その時のことを思い出しながら書いています。記憶が曖昧で、期間や時期など間違っていることもあるかもしれませんが、伝えたいことに大きく影響することはないかと思っています。

 2012年に日本キリスト教団の牧師に。現在、会社員の連れ合い(ノンクリスチャン)、9歳、7歳、2歳の3人の子どもたちがいる。
 2019年4月、上の子5歳・下の子3歳の時に現在の教会から招聘があり、主任牧師として就任。その3ヶ月後の7月に第三子を妊娠。
 女性の牧師で、連れ合いが牧師でない、かつ主任牧師である時に、出産をされた人がほとんどいない(いるかもしれないが、情報共有がほとんどされていない)中で、どなたかのヒントになればと思い、ここに女性の牧師の妊娠・出産記として記す。(上の子を出産した時、真ん中の子を出産した時も牧師をしていたが、「主任」牧師として働いている時ではなかった。その時もたくさんの配慮と支えがあったが、もうかなり時間が経っているので書かない。)
 ちなみに、「女性牧師」という呼称は自分で使うことはほぼない。必要も感じない。ただ、妊娠・出産は女性特有のもので、そのことに関する話なので、読む方にわかりやすくなるように、ここではあえて書いた。

妊娠発覚

 2019年6月、たくさんの方に見守られて主任牧師の就任式を終えた。さぁこれからだという7月のある日、体調の異変を感じる。妊娠していた。予定外の妊娠に驚愕。主任牧師としての働きができなくなる、教会の人たちにどう伝え、どう謝ろう。そのことしか頭になく、全く嬉しいと思えなかった。連れ合いも私と同じようだった。

相談

 まずいつも支えてくれる友人たちに相談。祝福し、励ましてくれた。それでもどうしたらいいか分からないまま日々が過ぎ、耐えきれなくなって、同じ教区の先輩牧師に相談に乗ってもらえるよう電話をした。突然の相談にも関わらず先輩牧師は親身になって下さり、私の気持ちや教会のことなど、いろいろなことを丁寧聞いて下さり、整理して下さった。「神様からの恵み」という言葉を友人からも先輩からも言ってもらい、腹を括る。
 その間につわりも始まり、真夏の暑さとつわりのダブルパンチでよれよれになるが、周囲の人には話さずにいた。

報告

 その後、9月になってお一人の役員に妊娠したことを報告。開口一番「おめでとうございます」と言って下さり、とても安心する。どうしても休まなければならない期間があるため、産休・育休の間どうするか、役員会で話し合うことを確認した。
 翌週の役員会にて報告。驚かれたが祝福して下さった。その翌週、礼拝後に教会の皆さんに報告。主任牧師として働くことができなくなることを謝罪しつつも(謝罪する必要はないと後でたくさんの人が教えてくださった)、ご理解と支えがなければ出産することができないとをお伝えし、皆さんも温かく祝福して下さって、涙が出そうになる。
 教区に産休・育休についてどういう制度が使えるのかを相談し、役員会で細かい部分を決め、最終的に教会全体で話し合う「総会」を開いて、私が産休・育休を取っている期間、どうするかを話し合い、決定した。
  法で定められている産休を取得し、その間の謝儀(給料)はなし、教区で加入している社会保険から出る手当をもらうことにした。これには、教会内でいろいろ議論があった。
 また3月出産予定であったので5月に復帰することを決定した。その間、近隣の教会や学校で働く牧師に、週替わりで応援に来ていただくことにした。約10人くらいの方に、私からお願いをし、日時を調整した。皆さん快く引き受けてくださり、本当にうれしかった。私の教会がある地域には同じ宗派のキリスト教主義学校が多くあったので、頼める方も多かったことも幸いした。
  教会の事務仕事は、私が赴任する前まで役員の人が担っておられた経緯があったので、経験もシステムもあり、大きな問題にはならなかった。
 育休なしは大変ではないかと思われるかもしれないが、私がいる教会は割と時間に融通がきいたこと、産後、赤ちゃんを連れて仕事をすることも了承され、産休のみと決めた。また近隣にある保育園と元々交流をもっており、産休明けの乳児から一時預かり可能であることもわかったことも後押しとなった。しかし、出産後に猛威を振るうことになる新型コロナのパンデミックによって、この計画は大きく変わることになった。

入院・出産

 1月まで順調に準備を行ない、2月から産休という日が迫っていた1月末、全く順調でなかった私の体調が悪化。第一子を出産する時、重度の妊娠高血圧症を発症。第二子では発症しなかったが、今回も妊娠6ヶ月くらいで発症。ずっと降圧剤を飲んで対応していたが、それも効かなくなり、緊急入院となった。産休開始より2週間早い入院となったが、教会の方は産休に向けての準備がほぼ終わっていたので、大きな混乱もなく入院生活に突入。 入院して2週間、結局血圧コントールができず、緊急帝王切開で出産。出産予定日より1ヶ月以上も早い出産となった。生まれた子どもはNICUに入院した。血圧は下がらなかったが、健康状態は大丈夫ということで私が先に退院、生まれた子もその1週間後に無事退院した。その時にはもう、コロナの猛威が迫っていた。

復帰するが…

 産休中は育児に追われながらも、連れ合いが時短勤務をしてくれ、昼間上の子たちは保育園に行き、これまでにない環境の中で新生児を育てられた。しかし教会の方は、迫り来るコロナの猛威に対して、どうすべきか役員の方が頭を抱えられていた。牧師が産休中なのに、これまでに経験したことない状況で、教会のことを判断しなければならなかったことは大きな負担であったと思う。それでも時間をかけて話し合ってくださり、逐一私にも報告してくださった。その後、緊急の役員会がもたれ、私も出席し、学校が休校となったことを機に礼拝を休止した。その後、一度礼拝を再開するが、再び学校も休校、緊急事態宣言も出るなどしたため、教会活動は礼拝も含め、全て休止となった。
 2月に出産したため、産休は4月に終わる予定だったが、コロナのこともあり、予定通り5月に復帰した。それでも依然礼拝は行えない状態だったので、日曜日に一部の方のみ集まっていただき、礼拝し、その模様を録画してYouTubeで配信した。その他は一切の活動をしなかったので、平日は子どもたちとステイホームで過ごした。連れ合いも自宅で仕事をしてくれることになり、5月の1ヶ月間は、生後3ヶ月の子どもを含めて、家で濃密な時間を過ごした。

教会活動が再開してから

 緊急事態宣言が明け、6月から礼拝や他の集会も再開し、私も本格的に仕事に復帰。上の子たちは今まで通っていた保育園・学校に通い、生まれた子(もう4ヶ月になっていた)は、集会がある時や説教原稿を書く時など、週に2回ほど午前中に一時保育を利用した。残りは、教会で一緒に過ごし、寝たタイミングで仕事し、ぐずったら諦めて帰宅するなど、緩やかに仕事をしていた。こんな働き方ができたのは、コロナで外出自粛が呼びかけられ、教会にほとんど誰も来られなくなったからだ。
 生まれた子どもは8月に正式に保育園に入園し、私は完全復帰して今に至る。

振り返ってみて

 現在、出産した子は2歳半を超えた。意思疎通もかなり行えるようになり、活発に生きている。3人も子どもがいれば、誰かが発熱したり、体調不良になったりするので、その都度、教会に出勤しないで自宅で過ごさせてもらっている(住んでいる場所は教会から少しだけ離れている。夫が仕事を休める時は、夫が子どもをみる)。子育てしながら働く環境としてはとても恵まれている。また恵まれているからこそ、安定した心と体で牧師として教会にいることができているし、本当に感謝しかない。
 出産してから2年半、緊急事態宣言が何度も出され、その度に礼拝は休止し、配信のみとすることが繰り返されたが、緊急事態宣言が発出されなくなった今は、礼拝は休むことなく継続している。しかしその間も、私や家族が体調を崩したり、コロナの濃厚接触者となったり、私自身がコロナになったりと、礼拝を休んだことは何度かあった。その時は、前もって録画していた説教の動画を、プロジェクターを使って礼拝堂に映して、礼拝を守るという方法をとった。本来の礼拝のあり方としては問われるべきことも多くあるだろうが、私の教会では受け入れられている。牧師が礼拝に出席できなくなった時、他の牧師に応援しに来てもらうという仕組みも整ってきたので、今後はその仕組みも活用したい。

 生まれた子どもは、コロナ禍で落ち込んだ教会に大きな喜びと希望を与えたと何人もの方に声をかけていただいた。妊娠時にはまさかこのようなことになるとは思っていなかったし、ただただ教会やいろんな人に迷惑をかけることになって、自分は牧師としての責任が果たせないとずっと思っていた。しかし、教会の方々がまた周囲の方々が柔軟に対応してくださり、一緒に考え、私の不安や悩みも受け止めてくださったので、大きな問題やトラブルもなく、現在に至っている。

最後に〜助けられる牧師として生きる〜

 主任牧師としてしっかりやらなければ!と張り切っていたところに、予想外に妊娠するという事態が起こり、私は自分の思い描いていた「しっかりやる」という働き方ができなくなった。どうやっても他の人に協力してもらわなくてはならなくなり、助けてほしいと言わなければならなくなった。それは、これまでいろいろなことを、そつなくこなすことで、自分の評価を守り、傷つかないようにしていた自分にとって、とても大きな挑戦だった。そして、自分が助ける側ではなく、助けられる側になってみて、助けられる存在であっても、迷惑をかける存在であっても(教会の人は誰も一言も迷惑と言われなかった)、私はここにいていいんだということを知った。その時、私はとても大きな安心を得た。そして教会に来ている人はもちろん、多くの人にその安心を得てほしいと強く思うようになった。きっと私みたいな牧師だから、安心して教会に来れる、休めるという人もおられるだろう。そして、助けられる牧師だからこそ、教会を豊かにすることもあると、今もいろんな悩みや考えていることを、教会の人に相談している。いろんなことを何でも話し合えるようになったのは、妊娠・出産を経たからだ。教会の方々も、無理して頑張って、絶対に役立たねば!という思いを以前よりも小さくしてもらっているのではないかなと思っている。(実際のところは分からないが)
 少しずつ子どもたちの手が離れてきた。これから、エンジンをかけて私は教会の働きをどんどんとしていきたいと思っている。もちろんできない時もあるだろう。失敗する時もあるだろう。けれど、みんなで乗り越えれば大丈夫であると経験したので、私は大丈夫なのだ。神様、大切な子を授けてくれることで、大切なことを教えてくださって、ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?