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そのポジティブはカンフル剤?それとも呪い?

普段自分が自分にどんな言葉をかけているかに未来の自分が左右されているっていう話は
コーチング的な手法やメンタルコントロールみたいなものでよく聞く話だったりするよね。
この間ちらっと本屋さんでパラパラめくった本にもそのようなことが書いてあった。

つまり
「おれはこれをできる!成し遂げられる!」って普段から自分で言っている人は実際に成し遂げがちだし
「自分ではこんなことはできないかもしれない…どうせダメだ」って言っている人はうまくいかない日々を送りがち、みたいな、話。

運が左右することもあるから一概には言えないけど、
悪い方にしか信じてない場合に良い方に行くことはほとんどないというのは、なんとなくわかる。
成し遂げたいと思ったら動き始めて、なんとか変化を生む工夫をするから少なくとも今までと違う何かは起きるもんね。
(それ以外が運や偶然や時代やそういう話)
対して、うまくいかないと思ったらうまくいく方法を探さなくなるし、
さらに自分の可能性を否定してるとそもそも勇気が出なくて、動き出すことすらしないかもしれない。

冒頭の本で目次を眺めていた時に
これってそもそも、自分のやりたいことや好きなことについて「嘘をついてないこと」がまず必要なんじゃないかなー
って気がしていたの。

今思い返してみるとその時ひっかっかってたのは
「これが好きでやってる」「良いと思ってやってる」と口にしながら、自分のやっていることに苦しんでいた自分やお友達の顔だったんだと思う。

自分の心や今までの頑張り、隠している野望、見ないフリをしてる寂しさなんかを守るために
「私はこれをやらないといけない」「これが好きだから・大切だから」
っていう「決まり」を課している場合、ないだろうか?

私はあった。大いに、あった。
思い当たりまくる。
そしてそれは、ポジティブな言葉を着た呪いの言葉だったんだなって、今は分かるよ。
羊の皮を被った狼だ。天使の顔をした悪魔かもしれない。

困っている人の力になってあげたい!(それで自分が辛くなっても無視)
好きな趣味を楽しみたい!(ほんとは好きじゃないけど寂しいから人に囲まれたい)
この道で成功したい!(今までかけた時間を失敗だったと思いたくない)

みたいな。

この、後ろに控えている自分と向き合わないことには、
どれだけ綺麗でポジティブで優しくてやる気あふれる言葉を使っていてもどこか満たされなさが残り続けることになるんだよね。
それは、本質的に自分を否定する要素をずっと含んでいるから。
スタート地点である本心や目の前の事実を、一所懸命無視してるから。

否定を重ねているのにポジティブでいようとするのは、実質ネガティブでしかないと思うの。
目の前のマシュマロ(相手が喜ぶ・一瞬寂しさが紛れる気がする・決断を先延ばしできる)を頬張ったところで、マシュマロだけでは生きていけない。
脂肪たっぷりだし甘すぎて胸焼けするかも?

一瞬苦さがまさったとしても、
自分の本質を肯定できるといつでもマシュマロでもカレーでも美味しいコーヒーでも、製造できる。
自分へのご褒美製造機の存在に気づけば、自分がいる限りずっと色んなバリエーションでご褒美が作れる。

そしてこの自分へのご褒美製造機は、自分の「やりたい」「ワクワク」なのか「決まり」なのかの精査を通して存在に気付いていくものなんじゃないかなと思うんだよね。
ワクワクベースのポジティブな言葉は自分への勇気づけになるし、決まりベースのポジティブな言葉は呪いの積み重ねで生まれたもの。
ついでに「決まり」は従う回数が増えただけ「ワクワク」を見えなくしていく。

精査は時間がかかるかもしれないし、見たくないものを見ないといけないかもしれない。
でも長期的には、本当にハッピーになれる要素だけが自分に残っていく。
お、マシュマロ・テスト的になってきた…!

目くらましの甘さも、時々はとりたいけどね(笑
毎日甘ったるいと甘いかどうかも分からなくなっていくから。

自分への勇気づけは、呪いに打ち勝つ唯一の方法かもしれないよ(◍′◡‵◍)

#コラム #勇気づけ #ポジティブ

読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!