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マボロシの「傷つけられる」モンダイ

前回ちらっと、他人から「傷つけられる」ことはあり得ないってことに気付いたって書いたのだけど、
そしてその時に、また別の機会に^^と書いたので
忘れないうちにそんな話をしてみようと思う、さらです。

誰かとの関係性において、「私、あなたに傷つけられた!」っていうシチュエーションは
小説だろうが漫画だろうが現実だろうが、もう使い尽くされまくっているのにずっと扱われ続けている、
それはそれはドラマティックな話だと思う。

実際私も過去数十年で、家族からも友達からも恋人からも同級生からも同僚からもよくわからん通行人からも何度も「傷つけられて」きたし、
逆に相手が「傷つけられた!」と思っていることも多かったはず。

ところでその時、ちょっと考えてみたいことがあるんだよね。
「それは、本当ですか?」

私がアレクサンダー・テクニークの先生になる勉強をしている学校の校長ジェレミーは
この問いかけがすごく好きみたいで、授業やレッスンの中で、片言の日本語でこの「それは、本当ですか?」を言ってくる。
トレーニー仲間は大体みんな、この問いかけの本当の意味が分かっていて
面白半分、相手に自分の視点のズレに気付いてほしいという望み半分くらいで、会話の中でちょいちょいジェレミーおじさんを召喚する。
「それは、本当ですか?(笑)」

知らない人にはナンノコッチャの脱線になってしまったけど、
この問いかけはものすごく真実を含んでいるって実感を、何度も問われて考えてを繰り返すうちに、持てるようになってきたの。

「私、あなたに傷つけられた!」→「それは、本当ですか?」

今は、それは嘘だねー というか視点を思い違いしてるんだねーって自分に言ってあげられる。
もうちょっと詳しく言うと、
「あなたの発言に、『私は』傷ついたと『感じている』」というのが「本当」^^

はぁ?バカにしてんの!?とか言わないで、今は慣れない視点かもしれないけど、
慣れるから。私たちは自分で自分を新しく教育できるんだもん^^
ということを書いたnoteの中でも、ちらっと今日の話を書いていたのを忘れていたよ。

あなたはあなたの責任としてその言動をした→私はそれを私の考えの中で受け取った→それについて傷つくという「解釈」をした
という感じかな。

あなたと私が別の人間である以上、相手が私を完全にコントロールすることは事実不可能なこと。
「傷つけられる」というのは相手が私をコントロールしたということになってしまうので、それは、嘘 ということになるの。

言葉遊びかよ!て思うかもしれない。でもホントだよ^^
そしてこの考え方が定着してくると、すごく生きるのが楽になるんだぜ。

ひとつその例として、
「傷つけられた!」っていう怒りを相手に向けることは、傷ついたことによる負債を相手に無理やり払わせるようなことで
でも相手はコントロールできないし過去には戻れないから、完全な無理ゲーに自分から足を踏み入れることになる っていうのがあるです。
それがなくなっただけで、負担はめちゃくちゃ減るし、確認&調整可能な自分の考えや心のことに注目できちゃう。
一石二鳥じゃん♪

それから私は、これが本当だって気付いた時に好きな人にフラれることがこわくなくなった。
(最初から全然こわいとかない人には伝わらない話でごめん!)(そしていい年してこんなネタでごめん!笑)
私は振られることがもう本当にこわくて、自分の望みが叶わないことに恐怖を感じるタイプとして長年生きてきたんだけど
「えっちょっと待って?相手が私をどう思うかを私は決められないし、振られたら悲しいかもしれないけど傷つかないよね?
私の人間性を否定されてるわけじゃないし、もしそうだとしてもそれは相手の意見で私の私に対する判断じゃないし。」
って絶対的に確信してしまってから、とりあえず先に進んでみよーっと♪それから悩んだり喜んだり考えたりしよーっと☆ってなれたの。

ついでに、誰かからの「傷つけてしまうかもしれないから(不安)」とか「傷つけてたらごめんね?」みたいな言葉も
なんですかそれ?私の範囲じゃないから知らんですよ?ってなって、気にならなくなった。
物理的に傷つけられる以外の理由で傷つくかを決めるのは私だしー♪つまりそれって傷つけられるとは別だしー。

そんなわけで、傷つけられたモンダイに突き当たった時を中心に、人との関係でモヤっとしたら
その自分の想いにもう1回、聞いてみて欲しいのです。
「それは、本当ですか?」^^

#コラム #人間関係 #失恋


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