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自分の考え方と他人の考え方

昨日ネットの友人とヴィジアルシンカーについての話題になり自分の思考につい考える機会があった、今回はこの出来事を元に自分の物事の考え方を振り返ったことについて記していこうと思う。

・私の考え方

まず結論から申し上げると私はヴィジアルシンカーの中でも物体的視覚思考よりだと思う、友人とのやりとりで物事を理解する際自分の脳内でどうイメージをするかと聞かれた際私は会議室をイメージしていると説明した、具体的にはSF作品などで見受けられる所謂概念部屋を想像していただくととてもわかりやすいかもしれない、私は真っ白い部屋で円形のテーブルを囲み他人と会話しているところがムービーとして再生されているような形、そして会話の中ででてきた情報がホログラムのように浮かび上がりプレゼンのようにその情報を画像や動画のようなイメージで補完しながら会話を進めていくといった流れだ。

・友人の考え方

そこで友人はどうイメージしているかといえば抽象的なその情報に関連する出来事自体がイメージされてくるとのこと、例えばある映画について話題を出した際はポスター自体や映像は写ってない映画館がイメージされると言っていた、これは空間的視覚思考となるのではないだろうか、ちなみに私のイメージは前述の会議室の中で話してるとこから始まりその中にその映画のポスターやその映画にどう触れたかといった個人の情報から連鎖されるものがその場のイメージとして浮かび上がり友人の発言は自分の情報ではないため曖昧ではあるが自身の情報元の元補填されたものが浮かび上がる。

・私と友人の違い

私と友人の思考で異なる点は情報を処理する際の目的ではないかと推測している、私は情報をアウトプットする際他人が自分が伝えた情報を限りなく自分に近い精度で第三者にアウトプットしてくれることを目標としてアウトプットしている、友人は情報をアウトプットする際は自分の中で解釈した情報を自分の尺度でより精度高く解説することを目標にしているとのこと、ここが自分の考えと違っており衝撃を受けたのと同時に終着点が違うためもちろんそこに行き着く道順が違うことにもある程度合点がいく。

・感想と言い訳

ヴィジアルシンカーというイメージを脳内処理することは両者とも同じだと思うが工程がちがうとまた面白いものを感じる出来事だった。
ただ私の中にはそもそも抽象的な会議室などの所謂情報を掲示するための土台となるものをイメージしている時点でそれは空間的視覚思考なのではないかといった疑問点が拭いきれていない。

 がここは今後Noteを書き散らしつつ自分の中で合点が行くところを探していきたいと思う。
ここまで話しておいてこの文章にはなにか明確なアウトプットの意思があるわけではなく友人からの普段から言語化を意識していけば私の第三者に過分に期待している目標に対して精度を高められるのではとのアドバイスから文章に書き散らしてみたと言い訳をし〆させてもらう。

by S.S


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