家族の理由2

2週間と少し前に、我が家の犬が15歳の誕生日を迎えた。
我が家ではこの「15歳」が長らく一つの目標だった。犬を迎えた時に平均寿命は「14歳」と言われたので、それよりも少し長く。そして、住んでいる市では15歳を超えると「ご長寿犬」として表彰されるので、それをもらえるといいね、人間で言ったら中学3年生だもの、立派だよね、なんてことを家族で話していた。

犬の健康に気を遣って、食べ物も色々気をつけてきたけれど、15歳になったら少し贅沢もさせてあげよう、手始めにケーキを作ってあげようか、というところまで決まっていた。

そして迎えた当日の朝。その前2週間ほど調子が良かったので、いつものように朝に散歩をしていたら、突然いつにない力でグイグイと引っ張られた。

「どうしたの、何かあったー?」
と声をかけて彼女を見てはたと気づく。犬は引っ張っているのではなかった。前足に力が全く入らなくなり、全体重が前にかかっていたのだ。慌てて抱き起こすと息も浅く、全身の力が抜けていく。すぐに抱き抱えて家に帰ると、その道すがらに失禁もしてしまった。

熱中症かとも思ったけど、舌の色が真っ白で、どちらかというと虚血状態のようだ。すぐに病院に予約を入れて連れて行き、その間ずっと声をかけ続けた。このまま死んでしまうのではないか、腕の中の温もりが今にも失われてしまうのではないか。私はとにかく恐怖を感じていた。

病院に連れて行ってすぐさま検査が始まり、待っているしかないので、私はそのまま仕事に向かった。電車の中でもまだ胸がドキドキしているのが自分でもわかる。どうしよう、どうしようーーそれだけがぐるぐると頭をめぐる。

ふと、「サポートシステム」のことが頭をよぎった。
この気持ちを誰かに伝えてもいいのかもしれない、そう思った私はたまたま連絡をとっていたドイツ人とモロッコ人の友人にことの顛末をメッセージしてみた。

するとどちらからもすぐに返信があり、必要があれば電話するし、会いに行くから、とにかく一人で悲しむな、と返信があった。面白かったのは二人ともすぐに犬の名前を聞いてきたこと。「ララだよ」と私が回答すると、二人とも犬の無事と早い回復を願ってくれた。

話を聞いてくれる人がいる、それだけで気持ちは落ち着くものなんだな、と思った。その後犬は意識を取り戻し、なんとか立ち上がって歩けるようになった。倒れた原因は残念ながら発見できず、ひとまず様子見ということになった。

彼女はその後倒れてはいないが、呼吸が浅かったり、歩行がスムーズでなかったり、一進一退を繰り返している。きっとこうやって死に近づいていくのだろう。それは本当に悲しいことだけど、1日1日を噛み締めているこの状態も、とても尊いように思う。


1週間後、3〜4年ぶりに友人と会った。
彼女は私の友人の中でも結婚が早く、24で結婚、その翌年には妊娠し、今やお子さんは小学五年生となっている。結婚前は二人で毎週のように飲んだくれ、お互いの彼氏を交えても会うような関係だった。彼女の彼氏はその後、彼女の夫となった。

夫妻が東海地方に転勤になった後にも会いに行くことはあったが、段々と会う回数は減っていった。彼女が子育てで忙しいことももちろん関係していたし、旦那様に色々とトラブルが発生して大変そうだったこともあって、私から私生活について色々と聞くのが躊躇われるということもあった。

彼女が単身子連れで東京勤務に戻った後も、たまにランチに行くくらいで、あまり詳しい話は聞けなかった。そうこうしているうちにコロナが始まり、同窓会ですら会えなくなった。

そんな彼女から突然連絡が来たのがひと月前のこと。子供の講習の合間に会おう、と言われて、もう中学受験かと驚いた。数時間の空き時間で久しぶりにアフターヌーンティーでもしようとあれこれ調べて20代の頃のように計画を立て、いざ会ってみると、お互い笑っちゃうくらい何も変わっていなかった。

仕事の話や子供の話を散々2時間ほど話し、そろそろ場所を変えようか、と場所を移ったところで突然彼女から衝撃の事実が告げられた。
「実は私、一人になったんだよね」

予感はあった。彼女から送られる年賀状に、2年ほど前から旦那様が登場しなくなっていたから。
「そうなのかもなーと思ってた。でも苗字変わってなかったからどうかな、と思って。」と答えた私に、彼女はこういった。

「ああ、えーと、離婚じゃなくて、亡くなったんだよね。」

一瞬何の言葉も出なかった。
色んな可能性がぐるぐると頭を駆け巡り、少しずつ聞いていくと、旦那様は心臓発作で亡くなったとのことだった。享年38歳。

それからポツリポツリと彼女は話し始めた。
亡くなってからやることが多すぎて、数ヶ月記憶がないということ。
人に言う気にもならなくて、会社でも必要な人にしか言っていないし、口止めしているということ。
友達にも誰にも言ってなかったけど、そろそろ言いたいなと思ったこと。
「Sarahちゃんに話したいなと思ったの」と言われて、思わず私は彼女を抱きしめた。

言うことで別に何も変わらないって思ってるでしょ。
むしろそのことで周りの目線が変わることが嫌なんだよね。
その気持ち、わかるよ。私も全く同じタイプだから。
でも、別に何も変わらなくてもいいんだと思う。
ただ一緒に泣いてくれる人がいるってだけでいいんだよ。
あなたを支えたいと思ってる人間がいるってことは、忘れないでね。

上手く伝えられたかはわからないけど、私は、話したいと思われる私であることが嬉しかった。


そのさらに1週間後、父が2クール目の治療の結果を聞きに病院に行った。
結果として、効果は薄かった。
厳密には、患部には効果があったけれど、他の場所への転移を止めることはできず、骨転移も始まっていた。

第3段階の治療を始めなければならないこと。
骨がんの治療はこれまで以上に厳しい副作用が期待されること。
今まで以上に日常生活にも制限が加わること。

一緒に病院に行った母から後で説明を聞いて、二人で「その後」のことも考えないといけないね、と話をした。
父は気丈な人なので、弱音を吐いたりはしない。
母も「聞き上手」なので、離れていたらきっとこんな話はしなかったろう。

私は何もできないけれど、話を聞ける。一緒にいられる。
近頃は、それだけで十分なのではないかと思う。

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