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自分の「形」

「なぜドイツなの?」
昔から、そして今、またよく聞かれるセリフ。あまりに聞かれてきたので、自分の中でいくつか鉄板の答えがある。

  1. 真面目バージョン。
    高校生の時に初めて読んだ「ツァラトゥストラはかく語りき」に衝撃を受けたから。

    子供の頃から、国語の教科書は学期の初めにもらったらその日のうちに全部読み尽くしていた。そんな人間なので試験問題も「読み物」としか思っていなくて、「ツァラトゥストラ〜」も大学受験の模試の中でニーチェを題材とした論説が出てきた時に初めて触れた。これを全部読みたい!と感じた。

    実際に読んでみると、予想以上に自分の心情に訴えかけるものがあり、その後何度読み直したか分からない。そしてこれを原語で読んでみたい、と思ったのだった。

  2. おふざけバージョン。
    ドイツ人の顔が好みだったから。

    ニーチェと並んでサルトルにもかなり傾倒していたので、最後までフランス語を選ぶかドイツ語を選ぶか悩んだ。で、最後の決め手がこれだった。男性にあまり「甘さ」を求めていないので、フランス人よりも真面目で地味そうなドイツ人の方が良かった。ちなみにこの話をドイツ人女性にすると、いつも笑われ、共感されない。

どちらも嘘ではないし、確かにドイツ語を第二外国語として選ぶ時点ではその要素はあったのだけど、その後もずっとドイツと関わり続けるつもりなんて当時はなかった。やはり一番大きいのは留学時の体験で、そしてそれを言葉で説明し尽くすのは難しい。他人に正確に理解してもらう必要もないし、別にそれで良いと思っていたのだが、まさにそれをぴったり言語化してくれるセリフに出会った。

「なぜイギリスなの?」と問われて、オーナーは答える。

そんなの、シンプルよ。イギリスが、自分の形だったの。
https://www.cosmopolitan.com/jp/trends/career/g39381320/kaigai-kojirase-career-45/?slide=4

本当にシンプルで、でもこれ以上ない答えだと思う。
私もドイツに着くといつも、心が安心するのを感じる。


上記の記事を書いた「週末北欧部」のchikaさんに出会ったのは、去年の夏頃。
GWに7年ぶりにドイツに行ったあとだった。

久しぶりのドイツに行った私は、思った以上に変わっていないドイツに安心し、変わったドイツに驚き、そしてちょっと後悔していた。この国との「縁」をもう少し真剣に考えてこなかったことに。そんなことをドイツ人の友人に話したら、彼の答えは至ってシンプルだった。

「今から来ればいいじゃん」
「そんなこと、非現実的だよ。日本で働くことしか考えてこなかったし、キャリア積んでこなかったよ。」
「そんなの何とでもなるよ」

心は来たいと言っているけれど、頭が無理だと言っている。最後に駅で列車を待つ時の気持ちは、予想した以上にセンチメンタルだった。そうして日本に戻ってきてからも少しぼんやりしていた時に、chikaさんを知った。

彼女はもうすっかり有名人だと思うけど、知らない方のために説明すると、20歳の頃からフィンランドに憧れ続け、遂に去年フィンランドに移住を果たした人。元々は日本で全く別のキャリアを築いていたのだけれど、フィンランド移住のために二足の草鞋で寿司修行をし、現在は寿司職人としてヘルシンキに暮らしている。既に何冊も本を出し、連載も抱えていて、そのどれもが押し付けがましくない優しさに満ちている。

初めて彼女を知った時、受けた衝撃は「そういうやり方もあったのか・・・!」ということだった。ヘルシンキに住むということを夢にしてもいいのか。その夢を叶えるために寿司職人になるなんて、そんなことしていいのか、と思った。そして改めて、自分の来し方を考えた。

私はどうしてこの道を選んだのか?なぜこのキャリアなのか?
消極的な面も大きい。第一志望だった国家公務員になれなかったし、自分が普通の就職活動をして毎日会社勤めができるとも思えなかった。何らかの「専門性」を身につけて働くやり方でないと、恐らくすぐに周りと衝突するだろう、というのもこれまでの人生経験からなんとなく想像がついた。

一方で、勘違いしていた部分もあったと思う。例えば「何者かにならなければならない」という強迫観念めいた気持ち。「普通」になってはいけない、なりたくない、そんな気持ちが皆無だったとは言えない。自分の虚栄心と本当の感情にもっと早く気づいていれば、向き合っていれば、何か違ったのだろうか・・・そんなことをぼんやり思いながら、眩しい気持ちでchikaさんの活躍を見つめていた。

なので、この記事は少し意外だった。
そしてこの感情の吐露の仕方がまた、誠実で彼女らしいと思った。

「好き」だけでうまくいかないということは、誰でも大人になればいやってほど身に染みる。そして、自分自身の気持ちも少し昇華できたような気がした。確かに今私は後悔を抱えているけれど、それは今の私だから感じられる気持ちなのかもしれない。もし若い時に、あのままドイツで大学院に行ってドイツで就職していたら、今頃ドイツの悪口ばっかり言っていたかもしれない。今の経歴で、キャリアで、プライベートでのあれこれも経た私だからこそ、感じられる後悔なんだ。

だとしたら、今だからこそこの後悔も何か違うものに変えられるのかもしれない。今までの経験を経て、変な虚栄心も捨てて、それでもまだ残る希望を叶えてあげることこそが、自分から自分に贈ることができるプレゼントなのかもしれない。そんな風に考えるようになった。

まだ何も決まっていないし、口に出すのすら若干のためらいがあるけれども。自分がどこで生きて、どこで死んでいくのか、そんなことを考える時に、このところ私の気持ちはドイツに飛んでいる。

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