見出し画像

一日に使える優しい言葉の数

祖母の介護をしていると、
人が一日に使える優しい言葉の数は決まっているのではないだろうか。
そんなことをよく思う。
優しくしてあげたい。
楽しい会話をしてあげたい。
そんなことを思えども、認知症介護の前ではそんなものは塵も同じだ。
同じことを数分、数秒おきに何度も。
誰かが勝手に片付けた。
お金を盗まれた。
財布がなくなった。
保険には入っているのか。
通帳にはいくらあるのか。
早く死んじゃいたい。
感情や思考の何処に何のスイッチがあるのか、もう家族には正直分からない。
ただきっと本性が理性を超えて表に出てきているのだろうこと。
忘れるという忘却に対するとてつもない恐怖と不安が襲っているのだろうということ。
泣かれたり死にたいと言われたりお金を盗んだと言われたり。
毎日毎日毎日。まるで呪詛のようにそんな言葉たちが素知らぬふりをしても私たちを縛っていく。
言葉は呪詛だ。呪いだ。
人を縛り中から壊していく。
相手にその気がなくても。
正直、認知症の介護はそんな悪意なき呪いとの戦いだと思う。
いくら優しくしなくてはと思っていても、人間の疲弊は態度に表れる。
だからこそ戦っていくために盾を手にしなくてはいけないとも思う。
一日に使える優しい言葉の数をちゃんと計算しておくこと。
言葉には限りがある。
優しい言葉は特に。
疲弊すれば優しい言葉の数は減っていく。
自分の疲労も、家族の機嫌も疲労も、祖母の機嫌も体調も。
全てを観察すること。
一日に使える優しい言葉の数がいくつなのか。
それは分からないけれど、それを一日の途中で切らすことのないよう注意をはらう。
なるべくなら、優しくしてあげたい。
楽しい会話をしてあげたい。
そんな塵も同じ愚かなことを少しでもしてあげられるように。

いったい、一日に使える優しい言葉の数はどれぐらいなのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?