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「リリーのすべて」から思い出す

エディ・レッドメインの「リリーのすべて」を観て、少しだけ思い出したことがあったのでここに書いてみる。

この物語を観て思い出したのは、昔ある男の子から告白された時のこと。
彼は集団にいても特段目立つ人ではなかった。きっと彼自身もわいわいと騒ぐ人の輪というものが好きではなかったように思う。
友達がいないというわけではなく、話しかければ返ってくるし、数人と楽しそうに喋っている時もある。はたから見た私にはごくごく普通の男の子だった。
ただ一点だけ、その男の子に違和感を感じる瞬間があった。
それが何が理由だか知らないが彼が機嫌を損ね怒った時のこと。
遠くで見ていてもその怒り方は尋常ではなかった。
その時はそんなに怒ることがあったのか……と他人事のように遠巻きに見ていた。
けれどある日、その怒りを間近で見ることになった時があった。
それは本当に些細なことで、でももしかしたら彼には我慢できないことだったのかもしれないが、近くの席に居合わせた私は彼が顔を真っ赤にして怒っているのを見たのだ。
人が変わった……。
と何故か直感的に思った私は、その直後彼が二重人格らしいという噂を耳にした。
二重人格とかそういう言葉で簡単に人を括ってはいけないことを理解していながら、まだ浅慮な私は頭の片隅で彼をそういう人だとして見てしまっていたように思う。
私は小さい頃から怒鳴られるという衝撃に慣れずに育ってきてしまった。
だからこそ、そういう人という括りで彼を見てしまっていたのだ。
普通に良い子なのに。
そしてある日、そんな彼から告白を受けた。
好きだから付き合ってほしいと。
そしてさらっと自分が二重人格だということも告げてきた。
けれどこの時の私には彼への好意もなく、ただ噂と彼から告げられた言葉と怒りが脳裏をよぎっていて、数日後ごめんなさいと告げた。

と、前置きが随分と長くなったけれど、「リリーのすべて」を観て、あの時の男の子が脳裏をよぎった。
彼は別に何一つ私に敵意を向けたこともないし、普通に話していた。
なのに私は噂と彼から告げられた二重人格という告白とこの目で見てしまった怒りに拒否反応を示してしまったのだ。
今思うと、何故断るのかという理由を彼に話してはいなかったけれど、きっとそれが答えだったんじゃないかと思う。
同時に映画を観ていて私は酷いことをしていたのだなとも思った。
(実は後日談として、告白を断ったけれど何回かまた言ってきてくれて、とりあえず食事だけでもということはあったが、それでもやっぱり断ってしまった)
もしかしたらあの時の彼は理解者を探していたのではないかと思ったりもした。
偏った噂や見方で私は彼を遠ざけてしまったのかもしれない。
人は恐れを抱く時、どうしてそれに恐るのか。
それは未知の存在だからだと、私は思う。
自分にはないもの、自分の周りにはないもの、知らないもの。
そういうものに出会う時、人は恐怖を感じるのじゃないのだろうか。
私はそうだった。
普段の彼のそれこそ普通の態度や優しさ以上に、未知のものに対する恐怖と言っていいのかもしれない。それが勝って彼を遠ざけてしまった。
自分で自分の傷付く選択はしたくないけれど、あの時もう少し私がその未知との上手い付き合い方を知っていれば、彼を傷付けずに済んだのかもしれないと今更ながらに思う。

その点ゲルダは凄い人だなと。
ゲルダ役のアリシア・ヴィキャンデルの演技がとっても好きだった。
愛する夫に対する移り行く感情の揺らぎ、戸惑いが視線で観ている者に伝わってきてよかった。
愛する人だったからあぁいう行動がとれたのかもしれないけれど、変容するものを受け入れる強さとか、私が遠ざけたようなものに向き合ったゲルダの姿は単純に凄いと、思った。

というなんでもないことなんだけれど、
やっぱり未知を減らしていく瞬間を減らす努力を自ずからしていくことと、そういう社会を作り、その社会を普通にしていくこと。
それが大切なんだと、やっぱり今更ながらに思う。






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