死んじゃおっか。
僕は自殺を2回試みた事がある。大学一年生の梅雨入りの前、8階から飛び降りた。理由としては、母はヒステリックで親父はDV野郎。両方不倫している。家庭内暴力、姉と弟は躁鬱、だから家庭にも居場所が無い。そして親友が自殺した時僕はこう思った。「俺より何でもできて人気者なのに。僕の方がこの世に必要とされてないのに。なんで僕が生きてんだ?」って。誰からも必要とされない、あの子が言う好きもきっと期限付き。そして代わりもいる。これから大人になって、生活の為だけに働いて社会に揉まれてお金を稼いで人を陥れて僕も穴に落っこちて。未来が暗すぎて絶望したから。そして僕はゆらりと降りてぼかんと鈍い音を立てた。生温い温度で僕は血だと気付いた。動けない。生きてる。いや、こんだけ血が出てれば死ぬよ。目が覚めると病棟。意識が回復するのに1日以上かかったらしい。医師は僕に少し呆れていた気がした。あぁ、僕は独りだ。ここでも。ひとつの命として見られてる。僕は僕なのに。僕を認識していないような目で見てる。死ねれたら良かった。コロナ禍で切羽詰まっているのに僕は入院した。内臓損傷、肋、肋骨、大腿骨、左腕が折れた。そして後遺症に左腕の痺れが未だに残っている。夏をまるっきり病院で過ごした。病床に絶望だけを募らせた。
退院して少し経って冬になった。僕は首吊りをした。またしても絶望しているから。人が自我という棘で傷付けて、抱きしめ合い幸せと言う。誰でもいいのに。僕は生きていたくない。死にたいのに鳴るお腹も、眠くなる身体も、子孫を残す為に溢れる性欲も気持ち悪い。死にたい。死にたい。首を吊った時僕は少し夢を見たと思った。ふわふわしてドサリと地面に落ちた時、口からは唾液がダラりと垂れて、数秒後僕は悔しくて情けなくて泣きじゃくる。今でもあの意識が朦朧とした夢みたいな空間に飛ばされる時がある。その時僕は立つのが難しく感じる。歩くのが不安になる。でも夢は終わらない。明日は夢の続きか、それともちゃんと痛みは感じるかな。不安だ。あの日飛び降りてから生きている感覚がイマイチ不安定だ。本当は死んでいるんじゃないか」とか考える。それは恐ろしい事だ。僕は今誰なんだ。僕はもしかしたらあのコンクリートの上でまだ…。
死んじゃおっか。そんなに耐えれないなら。死んじゃおっか。そんなに人と馴染めないなら。死んじゃおっか。そんなに自分も他人も認めれないなら。死んじゃおっか。勉強も運動も仕事も何もかもに意味を感じないなら。死んじゃおっか。居場所がないなら。死んじゃおっか。死んじゃえ。僕なんて死んでしまえばいい。そして僕は、次の人生で笑えればいい。全部忘れちゃえばいい。途端に胸は苦しくなる。涙はもう流れない。天井が少しぼやける。朝日が昇る。僕は寝る。起きたらそのまま誰かになってたらいいな。
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