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母はあたしにとっての神だった。#創作大賞2024

あたしは筋金入りのマザコンだ。
母が死んだら、わたしも死ぬ。
とは言いつつ、母が死んだら、骨を砕いてダイヤモンドにして、ネックレスにして身につけたいとも思っている。
母の最愛の犬、ココが死んだあとに、母がココの毛を入れたぬいぐるみを枕元に置いていたように。母はいつココの悲しみから、いやされるんだろう。



なんでこんなにマザコンになったのかは、自分でもわからない。あたしが中学の中間テストのために夜中の1時や2時まで勉強していても、起きて待っててくれたのがきっかけな気がする。


あたしはお化けがこわくて、勉強ができなかった。
「気にしないでいいから、起きててあげるから、勉強してていいよ」と母はいった。


母も中学生のとき、お化けがこわくて、夜遅くまで勉強ができなかったらしい。
祖母はそんな母を馬鹿にした。


ときどき、あたしは中学や高校に行く意味がわからなくなって、無性に行きたくないときがあった。
そんなときは学校をさぼって、母と近くのコメダにモーニングに行ったり、家事を手伝ったり、母と過ごした。
決して「学校にいきなさい」とは言わなかった。すごい人だと思った。



でもあたしは授業参観に、母が来るのが嫌だった。
母は、だれのお母さんよりも美しかったから。
祖父や妹たちからこき使われる母は痩せていた。背が高いから、立っているだけで目立っていた。そんな母が誇らしかったけど、正直なところ、あたしは母の美しい二重と自分の腫れぼったいまぶたを見比べて、顔を交換したいとずっと思っていた。


母はあたしを母の一部だとよく言った。あたしが死んだら、生きられないのだと。
今まで死にたくなったときもあるけど、母のために生きた。あたしが死んだら、きっと母は魂がちぎれるほど悲しむから。



母が好みのものが、自分の好みだった。
そう思いたかった。
少しのズレも許したくなかった。
家では、当時流行っていたタイタニックのビデオが流しっぱなしになっていた。子どもだったあたしは、タイタニックのなにがいいのかよくわからなかった。けどもちろんあたしもタイタニックが大好きになった



母は「自分なんか死んだらいい」と自分を蔑む人だった。
たまにそんなことを言ってるのを聞くと、目に涙がにじむくらい嫌だった。あたしにとって、母は神だったから。


母はいつも正しい。母は王道を選ぶのが好きだった。王道は結局いつだって正しくて、1番選ぶのが簡単だと今ではわかる。母はなにかにつけて「ほらね」という人だった。


カナダに留学をしたとき、東京で一人暮らしをしたとき、スイスで生活していたとき、毎日母と電話で話した。母と話すのが1番楽しくて、意味があることだった。



母の愛犬のココが死んだ。いつもうちの動物たちは母が1人でいる時に限って、母の前で死ぬ。
20年母といたココ。黒い巻き毛で、賢くて、元気で、母が呼ぶときだけ飛んでくる犬。



「区切りだね。わたしの時代はもう終わったのかも。」と母は言った。
あたしはココが死んだことより、母が悲しさで死んでしまいそうなのが悲しかった。
泣き腫らした母の鼻がしなびた茄子のように見えた。


それから母は小さくなったように見えた。
ココが死んで、怪我やら病気やらが増えた気がする。痩せたせいで前よりシワが目立つようになった。
綺麗な靴を履いていた母が、ぺったんこの歩きやすい靴しか履かなくなった。母はすこしずつ、あたしの知らない母に変わっていく気がした。神は変わってはいけないものなのに。


母の黒目は色素が薄くて淡い茶色だった。まるで外国人のようなその目を、母は「自分は日本に渡ったロシア人の末裔なの」とうそぶいていた。
母は老眼が始まり、眼鏡をかけるようになった。
久しぶりに母の眼鏡を外した姿を見た。昔とおなじ、あたしが死ぬほど憧れた二重だった。



あたしの2つの目のうち、1つをあげてもいいから、わたしがこれから見る美しいもの全てを母にも見せてあげて。本気でそう思った。



母は、嫌な記憶を何度も思い返す。
思い出す必要はないのに、何度も何度も思い出して、かさぶたを剥がすように自分で自分を傷つける。
でもそれがちょっとだけ嬉しい。
あたしも全くおんなじ癖をもっているから。
あたしたちはそっくりで、痛みや悩みを分かち合える。




母が倒れた。
子どものようにあたしの袖を掴んだかと思うと、突然わたしのほうへ倒れてきた。全身の力が抜けた母は想像もつかないほど重かった。
悲しくはなかった。目の前の光景が夢のようにぼんやりとしていたから。あたしは母が死ぬところは微塵も想像ができないから。



あたしはずっと気づかないふりをしていた。
母がもう若い頃のような体力や知性を持ち合わせていないことを。
少しずつ老いが母の肉体と精神を蝕んでいることを。
母が知らないこともあるし、できないこともあるということを。
少しずつ母が神でなくなってきていることを。





「頭がいいさーちゃんに褒められるなんて、わたしもまだ捨てたもんじゃないね」



母は照れ臭そうに、本当に嬉しそうにそんなことを言った。嬉しそうな姿を見て、あたしは自分が情けなくて泣きそうになった。

母と口喧嘩をしたばかりだった。
その喧嘩は自分が役立たずだと、母からすっかり自信を奪ってしまったようだ。
知らなかった。あたしの言葉ごときで、そんなに落ち込んでしまうなんて。
母がいつのまにか、そんなに弱くなっていたなんて、こんなに近くにいるのに知らなかった。



やめてよ。
置いていかないでよ。
底が見えない不安が、あたしを苛立たせる。




母はあたしにとって神だった。
母の言うことはいつも正しくて、母が喜ぶことがあたしの喜ぶことで、母があたしの生きる理由。
でも、そろそろ母は神ではいられなくなるみたい。淡々と過ぎていく年月が、完璧だったあたしの神を奪っていく。




老いた先に母が歩けなくなっても、痴呆になっても、あたしのことを忘れても、あたしは神だった母を覚えている。
これから母はなにかを諦めることが増えるだろう。でもあたしだけは無様にもがいてみせる。
気高い母が、母でいられるように。






つい最近、母にお下がりのアップルウォッチをあげた。それからなんの連絡もなかったから、使いこなせず、そこらへんに放ってあるんだと思っていた。


「Hey siri」
久しぶりに会った母は腕にアップルウォッチをつけて、メモをとり、アラームをかけていた。
まるで自分の秘書なんだと自慢げにしていた。



その慣れた動作に驚いた。


あたしが驚いたような顔をすると、母も驚いたような顔をしていた。なんであなたが驚くのよ。
そのポカンとした顔は、こんなのできて当たり前なんじゃないの、という顔をしていた。
見くびってもらっちゃ困るわよ、という顔をしていた。



母のすべてをわかったつもりでいた。
でも全然わかっていなかったのかもと思うと、なんだかおかしくて、安心した。



母はもうあたしの神ではないけど、もう小さい頃のように守られて後ろからついていくだけじゃなくて、一緒に並んで生きていきたいよ。あたしが死ぬそのときまで、一緒に生きていきたいよ。




すっかり腕に馴染んだアップルウォッチに母はささやく。

「hey siri、タイタニックのMy heart will go onを流して。」


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