見出し画像

【試訳】ブライアン・マッキロイ『シューティング・トゥ・キル──北アイルランドの映像と紛争』序文

『もうひとつの楽園』(ミュリエル・ボックス/1959/愛)を見て製作者について調べてみたときに掠めた「他人の・自分の闘いを表象する作法」という問題にとって必要な議論や情報がありそうだという予感で、とりあえず冒頭を訳してみた。「アイルランド的なものの表象」と当事者の/他国の思惑は、この本が主に扱っている1960年代後半以降、アイルランド問題が「北アイルランド紛争」に集約される過程の映像とも関わってくるのではないか? と思う。
2001年にベルファストに行ったとき書店で見かけて購入したが、長年拾い読みしかしていなかった。まだ全編通して読んでいないのでなんとかする。
あと、ここで挙げられている映像をごく有名なもの以外ほぼ見られていないので地道に探していきたい。

底本:Brian McIloy “Shooting to Kill──Filmmaking and the "Troubles" in Northern Ireland” (Steeveston Press, 2001) 初版1998.
著者プロフィール: ブライアン・マッキロイ(1959- ) 北アイルランド・ベルファスト出身、カナダ在住。ブリティッシュコロンビア大でフィルムスタディーズを教え、現在は名誉教授。

判例: ()原文カッコ [▶︎1] 原注 [▷1] 訳注
可読性を考慮し改行を増やした。また小見出しをつけた
各映画、映画関係者の詳細に関する訳注はIMDb、BFIのサイトに依拠した。

シューティング・トゥ・キル──北アイルランドの映像と紛争
イントロダクション
ブライアン・マッキロイ, 2001

芳名帳はまだダイニングルームに置いてあった。私はサインしようと部屋に入った。オマー[▷北アイルランドの地方都市]から来た夫婦は、芳名帳に、
それぞれフルネームと住所を書いてサインをしていた。国籍は二人とも「イギリス」と書いてあった。「北部」[▷ザ・ノース。北アイルランドに対するナショナリスト寄りの呼び方]のプロテスタントは自分たちをイギリス人だと考えているとは聞いてはいたが、それがまだ乾かぬ筆跡で書かれているのを見るのは衝撃だった。彼らはオマー出身でオマー訛りで話していた。イギリス人であるわけがない。
──コルム・トビーン[▶︎1]

映像化の支配的イデオロギー

本書の目的は、アメリカ・イギリス・アイルランドの映画・TVドラマ・映像が北アイルランド紛争を表象してきた方法を明らかにすることである[▶︎2]。
特に、1980年代から1990年代にかけて「紛争(トラブルズ)」の一般的な視覚化において、フィクション/ドキュメンタリーいずれにおいても、ナショナリスト/リパブリカンのイデオロギーが支配的であることを論じている。
この傾向について、
・『邪魔者は殺せ』(キャロル・リード/1946)のような古典的な映画にさかのぼれること、
・映像は、ラディカルな主張と親和性の高いメディアであること、
・アメリカ映画は一般的に、アイルランドの暴力を、観客に対し、革命運動への両義的な感覚を抱かせるために[▷題材として]用いていること、
「北アイルランドは反帝国主義的な存在である」と思いたい米・英・愛の映画・映像制作者によって、プロテスタントコミュニティは常に排除されていること、
など、いくつかの仮説が可能だ。
プロテスタントコミュニティの扱いの限定性、あるいは扱いの欠如は、私が繰り返し述べるテーマである[▶︎3]。

映像化の困難

「紛争」時代の北アイルランドを映像化することは、地理的・国家間問題的に、常に困難だった。
・第一に、騒乱の間じゅう、製作会社はロケを行うことができなかった。主に保険料の高騰が原因である。
・第二に、北アイルランドの人々は、自分たちや自分たちの紛争を表すために映画というメディアを利用する機会がほとんどなかった。
・第三に、北アイルランドで制作・放送された「紛争」を扱ったTVドラマやドキュメンタリーの多くは、リベラルなバランスにこだわる傾向があり、それによってコミュニティ全体における重要なイデオロギー的分裂の表象に失敗しがちだった。
・第四に、復讐劇やスリラーといった定番ジャンルにおいて、北アイルランドの都市や田舎は「闇」の舞台として描かれることがあまりにも多かった。

「不可解さ」から「過剰な決めつけ」へ

このようなハンディキャップや経済的な要因にもかかわらず、アイルランド人が脚本や監督を手がけた映画・TVドラマ・ビデオは、北部の紛争に関する認知にじわじわと影響を与えはじめた。
メインストリームの映画からベルファストやデリーでのインディペンデント映画・映像ワークショップ、特定の映画監督や映像作家に至るまで、アイルランド人と一部のイギリス人は、イギリスや北アメリカのニュースメディアによる「単純化された」北アイルランドの表象を再構成する上で大きな役割を担ってきた。
この一連の動きには、主にアイルランドの映画やビデオにおいて、暗黙の了解として、「紛争」をよりあからさまに歴史的・政治的・フェミニスト的な「闘争」に位置付ける意図が含まれている。
この傾向は、「帝国的」なイギリス「本土」という枠組み設定からの独立を示すものであり、一般的には喜ぶべきものではある。
しかしそれでもなお、強力でありながら感情的には発育不全状態の、ある似通ったレトリックの虜になりかねない。それは、「詩的な戦いに明け暮れるアイルランド・ナショナリズム」であり、「血と所属」を強調する排他主義的な傾向のレトリックである[▶︎4]。
こう言ってもよいだろう。1970年代の「不可解な闘争」から、1980〜1990年代の「過剰に決めつけられた闘争」へと、北アイルランドの人々の意識にパラダイムシフトが起こったのだ。
本書は後者の時期に焦点を当て、劇映画のナラティヴからドキュメンタリー映画へと考察を展開する。
方法論としては「文化的唯物論」を採用した。これについては最初の2章で紹介する。

議論の流れ

第1章〈文化的・批判的文脈〉では、北アイルランド紛争の「境界」を定義する。そのためには、アイルランド・ナショナリズム、リパブリカニズム、ユニオニズム、ロイヤリズムの定義や、文化面でのアイルランド・ナショナリズム、文化面でのプロテスタントによる作品について議論が必要である。
同時に、「紛争に関連する映像が“見られる”ためには、政治的な観客動員を引き受けねばならない」という私の主張と、フェミニズム映画論や観客論の親和性について述べる。
このようなアプローチが可能ないくつかの短編映画や映像作品について述べ、アルスター・プロテスタント/ユニオニストの「観衆性」と「仮面性」を簡単に説明する。

第2章〈歴史的・政治的背景〉では、アイルランド/北アイルランドの歴史における主要な出来事を年代順に説明する。映画・TVドラマ・ビデオで頻繁に取り上げられる題材である。これらを扱う作品は、本書の他の箇所にも登場する。
また、文化や政治に波及している「アイルランド史の修正主義」という、大変扱いづらい問題も提起する。
関連して、トム・ネアン[▷1932-1923, スコットランドの政治理論家・エッセイスト] の「反帝国主義神話」という概念について説明する。この神話は、アイルランドにおける、あるいはアイルランドに関する文化的生産に圧倒的な影響を与えたと私が考える、ひとつの政治的理解の構造である。

第3章〈『邪魔者は殺せ』における反帝国主義〉では、北アイルランドを舞台にした最も有名な映画の一つを取り上げる。
ネアンの「先祖返り」と「反帝国主義」という2つの神話が、このイギリス映画にどのように影響を与えているかを、テキストと文脈から明らかにする。
これまでの批評とは異なり、この映画の構造の根底に反帝国主義神話がある、と主張する。

第4章〈コンテンポラリーなアイルランド映画〉では、ニール・ジョーダン『エンジェル』(1982)『クライング・ゲーム』(1992)、パット・オコナー『キャル』(1984)、ジム・シェリダン『父の祈りを』(1993)、『ボクサー』(1997)、ジョー・コマーフォード『High Boot Benny』(1993)、テリー・ジョージ『Some Mother’s Son』(1996) を取り上げ、それぞれの作品がプロテスタントやユニオニストをいかに無視しているかに焦点を当てる。

第5章〈ハリウッドと紛争〉では、紛争を物語素材として利用するハリウッドの介入を考察する。
ここでは1990年代のクリントン政権に焦点を当て、米政権が「ベルファスト合意」[▷1998]に向けてゆっくりと、確実に動いていたことを紹介する。
また、フィリップ・ノイス『パトリオット・ゲーム』(1992)、スティーヴン・ホプキンス『ブローン・アウェイ/ 復讐の序曲』(1994)、アラン・パクラ『デビル』(1997)というこの時期の3大長編映画について論じ、アイルランド、特にシン・フェイン/ IRAに対し、アメリカの政策がどのように折り合いをつけていたかを論じる。

これらの映画では「女性の願望」はしばしば無視される。第6章〈フェミニズムはリパブリカニズムをどう考えるか〉は「紛争」との関連でしばしば未解明である女性論を提起する4本のアイルランド映画を考察する。パット・マーフィー/ ジョン・デイヴィス『Maeve』(1981)、マーゴ・ハーキン『おやすみベイビー』(1989)、オーラ・ウォルシュ『The Visit』(1992)、スティーブン・バーク『After 68』(1994)である。
フェミニズムはリパブリカニズムとしばしば一致するかもしれないが、重要な局面では両者は袂を分かち合わねばならないことが描かれている。

第7章〈他者を見る〉では、劇映画におけるアイリッシュ・プロテスタントの表象を検討する。パット・オコナー『フールズ・オブ・フォーチュン』(1990)のように、アイルランド共和国に住むプロテスタントを描いた作品も含めた。
なぜなら、アイルランド共和国での彼らの運命は、北アイルランド・プロテスタントの態度と切り離せないからだ。
また、物議を醸した2本の連続殺人映画、サディアス・オサリバン『ナッシング・パーソナル』(1995)とマーク・エヴァンス『極悪人』(1998)を比較する。

第8章〈イギリスの社会派リアリズム〉では、アラン・クラーク、ケン・ローチ、マイク・リーの3人のイギリス人による北アイルランドを扱った作品を紹介している。それぞれ独自のスタイルを持っているが、彼らの作品を少し厳しく見てみると、ナショナリストとしての強硬な立場が容易に見えてくる。

第9章〈イギリスのTVドラマ〉では、「紛争」をテーマにしたBBC北アイルランド(BBC-NI)をはじめとするイギリスのTVドラマについて論じる。彼らの企画・制作には「ソフト・ナショナリズム」が堅固に存在している。

続く4つの章は主にドキュメンタリーの考察だが、思い切って、大手局に所属しないインディペンデント系の制作者が手がけたドキュメンタリー番組に絞った。
インディペンデント系のドキュメンタリー製作者は、企画と完成した番組をインディペンデントTV局に売り込まなければならない。劇場公開は珍しいからだ。
このことから、彼らの製作物を通して草の根レベルの政治に近づくことができると私は信じている。私が地元のドキュメンタリー作品に焦点を当てた理由である。

第10章〈北アイルランドのドキュメンタリー〉では、ベルファストの代表的なインディペンデント系映像制作会社の一つを取り上げ、そこで制作された6つの番組について論じている。

第11章〈フェミニズム史と政治のドキュメンタリー〉では「デリー・フィルム・アンド・ビデオ・ワークショップ」[▷1984設立]の代表的なドキュメンタリー作品である、アン・クリリー『Mother Ireland』(▷1998)とその影響を取り上げる。

第12章〈受け入れがたいレベル〉では、ジョン・デイヴィス『Acceptable Levels』(1984)[▷1983との情報あり]やマルセル・オフルス『A Sense of Loss』(1972)など、イギリスやヨーロッパの出資による長編ドキュドラマやドキュメンタリー映画の作品を調査し、地元の製作物との驚くべき類似点があることを論じる。

以上3章で取り上げた映画や映像は、概ねナショナリストやリパブリカンの政治的立場に共感が向けられるよう作られている。

第13章〈アイリッシュ・プロテスタント・ドキュメンタリー〉では、プロテスタントのジョン・T・デイヴィスとデズモンド・ベルによるドキュメンタリー映画や映像に光を当てている。
プロテスタントの映像表現は珍しいが、これらの作品はユニオニストとロイヤリストの伝統に対して批判的であり、プロテスタントコミュニティの中では少数派である。
プロテスタント(およびユニオニズム)に同情的な映像作品がほとんど存在しない事実は、この内部批判によって補強される。

北アイルランドをめぐる議論において劇映画やドキュメンタリーが果たしうる役割についてのいくつかの考察をもって本書は締めくくられる。

映像の役割

英国のメディア(ここでは主にTVニュースを指す)は「過剰な単純化」という罪を犯し、「北アイルランドご当地化(アルスタライゼーション)」──例:王立アルスター警察(RUC)をイギリス陸軍より前面化・中心化して語る──や「ならずもの化(クリミナライゼーション)」──例:IRAに「裕福なマフィア」や「邪悪な輩」などのレッテルを貼る──など、政府の欲するさまざまな政策の強調にしばしば付き従ってきたことは否めない。
BBC-NIやアルスターTV(UTV)をはじめとする北アイルランド地方のイギリスのメディアは、分裂した地域コミュニティ全体に放送しようと努めれば努めるほど、鋭い調査報道をしばしば見失なった。
北アイルランドを報道し、番組を制作することは、プロデューサーやディレクターが自己検閲を含む一連の複雑な動きを強いられることでもある。そのため、TVニュースの多くは脱文脈化される──フリーランスのカメラマンが撮影した、路上騒乱の渦中の暴徒のスナップ写真(必ずといっていいほど、イギリスの全国紙に、短くて誤解を招くキャプションとともに使われる)と同じような経緯で。
映画・TVドラマ・映像(これらはすべて最終的にTVで放映される)は、より多くの可能性を期待されている。これらのメディアはその枠組みによって、ニュースよりも生産的な方法で議論に貢献する機会を持っているからだ。
本書は歴史や理論としてではなく、批評の仕事として、これらの映像メディアの多くが、そのような文脈にどのように分け入って交渉し、あるいは回避しているかを探求する。
(了)

原注 [▷訳注 ]


▶︎1 Colm Toibin, Bad Blood: A Walk Along The Irish Border (London: Vintage, 1994): 93.
▶︎2  ここで、私のテーマに関連した系統の映画一本一本を論じることは、私の目的にとっては不要である。例えば、主に南部アイルランドの物語をまとめ上げるために北部での暴力を[▷題材として]用いる、キエロン・ウォルシュ『Bossanova Blues』(1991)[▷1992との情報あり]、IRAにリクルートされたアメリカ人を主人公とするトニー・ルラスキ『The Outsider』(1979)、1970年代に頻発した爆弾テロや銃撃事件の惨状をあまりにも生々しく映したミラド・ベサダの『地獄の殺戮都市』(1973)[▷1974との情報あり]、アイルランド系カトリック市民を殺害したウェールズ兵の試練と苦悩を描いたカール・フランシス『Boy Soldier』(1986)、IRAを無敵であるかのように描いたジョン・マッケンジー『長く熱い週末』(1979)、ミッキー・ロークが良心的なIRAのテロリストを演じるというかなり気恥ずかしい一品・マイク・ホッジス『死にゆく者への祈り』(1987)、北部での環境問題をめぐるバトルに光を当てた軽快な子供向け映画・ビル・ミスケリー/ マリー・ジョーンズ『The End of the World Man』(1985)[▷1986との情報あり]、ベルファストの暴動で妻子を殺され英国議会の爆破を企てる狂気のIRAをロッド・スタイガーが演じたドン・シャープ『怒りの日』(1975)、「紛争(トラブルズ)」地域出身の子供たちをカリフォルニアに連れ出し平和な環境の中で共存させる試みを取り上げたアメリカのTV映画であるジョージ・シェーファー『Children in the Crossfire』(1985)、ナショナリスト/ リパブリカン地区で起こった準軍事組織による報復殺人とティーネイジャーの暴走を描いたリチャード・スペンス『You, Me and Marley』(1992)、アイルランド共和国で人生をやり直そうとするRUCの未亡人がさらなる政治的暴力によって息子を失う物語を詳述するマイケル・ホワイト『The Railway Station Man』(1992)、ウェールズとアイルランドのナショナリズムを結び付けようと試みたセリ・シャーロック『Branwen』(1995)については、私は論じない。
これらの映画の一部についてはBrian McIloy 『World Cinema 4: Ireland』 (Trowbridge: Flicks Books, 1989).59-88. および Lester Friedman編『Fires Were Started: British Cinema and Thatcherism』 (Minneapolis: University of Minnesota Press,(1993) 92-108. 所収のBrian McIloy  "The Repression of Communities: Visual Representations of Northern Ireland during the Thatcher Years” を参照。
▶︎3 Michael Ignatieff, Blood and Belonging: Journeys into the New Nationalism (Lon-don: Vintage, 1994).
▶︎4 Tom Nairn, The Break-Up of Britain: Crisis and Neo-Nationalism, second expanded edition (London: Verso, 1981): 222.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?