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【やっつけ試訳】マーク・コネリー 『IRA映画』 前書き

底本: Mark Connelly “The IRA on Films and Television” (MacFarland& Com., Inc., Publishers, 2012)
著者プロフィール: マーク・コネリー(1951- )アメリカ〜イギリス。歴史学者、軍事学者。ケント大学教授。
[ ]内の註は山本による。また可読性を考慮し改行を増やした。改訳と全訳は今後の課題。

アイリッシュ・リパブリカン・アーミーは 80本以上の映画に登場する。
これは映画史上、異例の扱いである。ほとんどの期間「非合法」[「合法」期間は1920年から北アイルランドで1922年まで、共和国で1936年まで]であったIRAの歴史上、その活性的なメンバーはめったに数百名を超えなかった。IRAはスペインにおけるバスク独立派のように、ときに世界各地に飛び火する長く血なまぐさい闘いに巻き込まれていった。

IRAは、ひとつの中立的な島[アイルランド島]の、ほぼウエスト・ヴァージニア州と同じ人口を持つ一角[北アイルランド。人口160万前後。ウエスト・ヴァージニア州も北アイルランドも数十年間で大規模な人口の推移はない]における英国の支配の終了に賭けた。がっちり囲い込まれてはいるものの、これを維持することに何ら感情的な、戦略的な、経済的な利点はないのだと英国が繰り返し主張する一地域である。

NATOを震撼させ世界市場を混乱させ英国の安全を脅かす国際テロリストたちにとって、たとえ一つ一つの襲撃に成功したところで闘いに終わりはなかったのだろう、統一されたアイルランド国家を希求するアイリッシュ・リパブリカンの準軍事組織と、北アイルランドを大英帝国の一部に留めたいユニオニスト準軍事組織の間の宗教問題を交えた争いは、30年[北アイルランド紛争勃発1969年〜和平合意1998年]の間に3000人の命を奪った。

これは、小さなコミュニティにとって悲惨な数字である。しかし、コソヴォでの一年間の死者数にはとても満たない。もっと多大な被害を出し、もっと剣呑なイデオロギーを信奉し、もっと激しく世界の秩序を揺さぶった反政府組織は他にいくらでもある。しかしIRAほど映画製作者たちの心を捉えた組織はないのだ。

スクリーン上におけるIRAの支配はPLOやETAやFLNよりもはるかに強大だが、それはアイリッシュであるがゆえに可能なことだった。組織の性格や大きさや重要性や、それを巡って騒動が巻き起こる国土の価値の問題ではない。当事者たちが興味を惹き得るからだ。J.マクキロップ[“Contemporary Irish Cinema: From the Quiet Man to Dancing at Lughnasa”Syracuse University Press, 1999]が指摘するように、小国家アイルランドは、英語話者であることによって、そして大規模なディアスポラ[離散=移民]によって、国外とのユニークな結びつきを見せる。スペインやセルビアの地域紛争と異なり、アイルランドの紛争は世界各地にこだまする。

IRAを扱う映画はアイルランド人、アメリカ人、英国人の俳優を、彼らに母国語を喋らせたまま起用でき、ロンドンの、NYの、トロントの、メルボルンの観客を動員できる。人口たった440万人[2000年代の数字か。現在490万人]のアイルランド共和国は、映画産業において多くの実を結んだ。プロデューサーたちが海の向こうの市場をあてにするからだ。ハンガリーやギリシャはこの限りではなかった。

IRAは3つの国[米、英、愛]の著名な監督—J.フォード[『血涙の志士』1928,『男の敵』1935, 『静かなる男』1952,『月の出の脱走』1957,『若き日のキャシディ』1965]、J.フランケンハイマー[『RONIN』1998]、C.リード[『邪魔者は殺せ』1947]、D.リーン[『ライアンの娘』1970]、N.ジョーダン[『殺人天使』1982,『マイケル・コリンズ』1996,『クライング・ゲーム』1997]、J.シェリダン[『ザ・フィールド』1990, 『ボクサー』1997]たち—にとって主題であり続けた。

IRAの人物像は国際色豊かな俳優—例えばV.マクラグレン[『男の敵』J.フォード,1935]、J.キャグニー[『地獄で握手しろ』M.アンダーソン, 1959]、A.ホプキンス[The Dawning, R.ナイツ, 1998]、J.メイソン[『邪魔者は殺せ』C.リード, 1947]、B.ピット[『デビル』A.J.バクラ, 1997]たち—によって演じられてきた。

IRAに関する映画は、リアリスティックなドキュメンタリードラマ—手持ちカメラと自然光を使い、72年のニュース映像を見ているかのような感覚を作り出すP.グリーングラス『ブラディ・サンデー』[ヘルズキッチンフィルム, 2002]から、英国のスーパーヒーローとIRAのバイク乗りとが人種暴動のまっ最中、LAの路上でバトルを繰り広げるJ.メルヒの荒唐無稽なアクション映画『Riot』[パラマウント, 1999]まで幅広い。

ヒロイックな愛国者として描かれようと、冷酷なテロリストとして、破滅的なギャングスターとして、厄介な流れ者として描かれようと、アイルランドの反逆者は常に普遍性を持って、映画的なアーキタイプを提供してきた。

この本はIRA映画について「歴史VS.ハリウッド」というアプローチをとる。
可能な限り客観的に、IRAの記録を、1916のイースター蜂起におけるその公然化から、90年代の和平合意に至るまで辿る。しかるのち、映画における描かれ方を検証する。

序章は、IRA映画において度々言及される800年もの侵略と反抗にフォーカスしつつ、アイルランドの歴史を概観する。

第1章は、アイルランド独立戦争とそれにつづくアイルランド内戦に際してIRAの演じた役割を検証する。

第2章は、IRAを創設したカリスマ的革命家であり、のちに自分の勝ち取った英愛条約[独立戦争の泥沼化に伴う1921の休戦条約。南の自治を認める代わりに南北の分断が盛り込まれる]を拒否するかつての同志と刃をたがえたM.コリンズを描く映画を検証する。

第3章は、第二次大戦中のIRAとドイツ諜報局のつかの間のコネクションを取り上げる。IRAがわずかな金と取るに足らない武器を巡ってナチに近づいたばかりに、映画製作者たちは第二次大戦の逸話を仕立て上げ、決して現実に存在しなかった「アイルランドの第五列」をスクリーン上に創出した。

第4章は、1969に勃発しベルファストの路上と映画の双方に再びIRAを登場させた「トラブル」[北アイルランド紛争]の時系列を追う。アイルランドがIRAに関する映画をリリースし始めたのはこの時期のことでもあった。それらは英国やアメリカで制作された作品に比べ、より真実であり、北アイルランド紛争について新たな議論を呼ぶ。紛争がそれほど激しくなかった1950年代のJ.キャグニー主演のアイルランド独立戦争を扱う映画[『地獄で握手しろ』M.オコナー, アードモアスタジオ, 1959]の引き起こした論争は僅かなものだ。しかし、『父の祈りを』[J.シェリダン, ヘルズキッチン, 1992]や『サム・マザーズ・サン』[T.ジョージ, キャッスルロック・エンターテイメント, 1996]は、扇動的なプロパガンダであるとしてユニオニストやトーリー党[英国の保守政党。1830に解散。現在も保守主義の代名詞として用いられる]支持者を激昂させた。

第5章はIRAに関するふたつの古典的映画—J.フォード『男の敵』[RKO, 1935]とC.リード『邪魔者は消せ』[トゥーシティーズフィルム, 1947]を扱う。両方とも英国の検閲基準を満たすために政治的な言及は消されている。多くのIRA映画がそうであるように、幅広い層にアピールする目的のもと、パルチザン闘争はより個人的なドラマの背景として描かれ、ミュートされている。

第6章は、IRAの創設に当たって、そしてIRAの映画的イメージの創設に当たってアメリカ人が果たした主な役割を概観する。ダブリンのイースター蜂起に先駆けること50年、在郷軍人の同盟連合が、英国に圧力をかけアイルランドから手を引かせるために、モントリオールを掌握せんとカナダに攻め入った。彼らの多くはアイリッシュ・リパブリカン・アーミーのメンバーを名乗った。何世代もの間、アイルランドのリパブリカンにとってアメリカは武器、金、人員の調達先であり、そして亡命先でもあった。アイルランド系アメリカ人のJ.フォード—彼のいとこはIRAのリーダーだった—はいくつもの映画にIRAのキャラクターを登場させた。ロマンチック・コメディ『静かなる男』[アーゴスティ/リパブリックc, 1952]にさえ登場させた。のちにハリウッドの映画制作者たちは、冷戦終結から9.11までの10年間、極悪テロリストの役をIRAに頼った。しかし一方で冷血漢のテロリストを、『パトリオット・ゲーム』(パラマウント、1992)や『ブローン・アウェイ』[MGM, 1994]のように、より合理的な組織を作るために「IRAを裏切ったメンバー」として描くのは忘れなかった。アメリカ国内のIRA支持者を怒らせないためである。

続く数章では、代表的なキャラクターやプロット、たとえば「偏在する危険分子」について述べる。

第10章は、1998のグッド・フライデー・アグリーメント、別名ベルファスト協定[和平合意。北アイルランド紛争の終結]以後のIRAの立場を描く映画を扱う。O.ヒーシュビーゲル『ファイブ・ミニッツ・オブ・ヘブン』[ビッグフィッシュフィルム, 2009]は紛争を過去の出来事として表す。一方、D.チャプラ『I.R.A. キング・オブ・ナッシング』[BBIエンターテイメント、2006]は、反撃の機会を待つ秘密の武装組織の存在を匂わせる。


用語について

IRAについて客観的に書こうと試みる者は誰でも、曖昧なパルチザン用語の壁に直面するだろう。くだんの地域は、その著者の視点に従って「アルスター」「北アイルランド」「プロヴィンス」「シックス・カウンティ」または単に「北」と呼ばれる。この本ではほとんどの場合「北」または「北アイルランド」を用いる。これらは地理的名称、かつアメリカの読者にも馴染んだ名称である。

同じ理由で、リパブリカンの使う、一般性の薄い「二十六州」の代わりに、本書は「アイルランド共和国」または「共和国」を用いる。

単に「組織」と呼ばれていることもあるアイリッシュ・リパブリカンの準軍事組織を、この本の目的に従って、とりあえずIRAと呼ぶ。

また、IRAメンバーを「兵士」あるいは「テロリスト」と呼ぶのを避け、よりニュートラルな「義勇兵[原文volunteer]」を用いる。ちなみに、IRAは文脈によって単数形にも複数形にもなる。


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