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雨イジングスパイダーマン裁判【1】 ややこしい話

2019年頃、東京の繁華街で「雨の日にビルの上層階から侵入する窃盗事件」が連続して起こった。報道によれば、警察は「雨の日は通行人が上を見ないので人目につきにくい」と推測し、同一犯の犯行として、犯人を「雨イジングスパイダーマン」と呼び捜査に当たっていたという。

同年11月、この連続窃盗事件の被疑者として、当時26歳の堀口氏が逮捕された。「雨イジングスパイダーマン逮捕」の報道がTVなどで流れ、一部ネットで話題になったようだ。元ニュースは消えているが、まとめサイトなどでその片鱗がうかがえる。窃盗は悪いことだが盗まれたのは10数万で、人も傷つけていない。そこまでの重罪ではないと思われる。

ところが堀口氏は逮捕以来、徹底して容疑を強く否認しており、3年目に入った現在も東京拘置所に勾留されているそうだ。3件の上層階窃盗事件について建造物侵入と窃盗(うち1件は窃盗未遂)で起訴された被告・堀口氏は、保釈や早期解決を棒に振るかのように、完全無罪を主張して裁判を準備してきたらしい。

ところで、私の知己がこの被告氏の元同僚だそうだ。「久々に連絡しようとしていま近況をみたら大変なことになっている」とInstagramを覗き込んでいたので見せてもらったところ、「獄中便り」と題して200件以上の投稿がずらっと並んでいた。獄外への手紙を代理投稿してもらっているようだ。自分はそれで初めてこの事件と氏の存在を知った。先ほどの氏の近況もこのインスタに書かれていたものだ。

この「獄中便り」が面白い。被告氏は捜査側のやることなすことまったく信用していない様子で、この事件はマスコミへのリークを前提にした鳴り物入りの逮捕劇として捜査員の手柄になるべく、様々な要因から標的が自らに定まった事件であり、思うように自白が取れず後に引けなくなった捜査側が証拠をごまかし続けているのではないかとさえ言い、起訴状や証拠を仔細に分析し、専門知識を持たない読者に向けて丁寧に説明しているのだった。インスタの創設者もインスタがこう使われるとは思っていなかっただろう。ちなみに、「獄中便り」の連載が始まるまでは友達と遊んだり自分のお店(バーテンさんのようだ)のメニューを紹介する、きらきらしたアカウントである。

どうも警察がやけに杜撰なように思える。ソースが被告側の言い分だけなのだから当然かもしれない。まあ、氏の主張を怪しもうと思えばいくらでも怪しめるだろう。たとえば、記事をよく読めば氏は事件当日夜のアリバイについてはほとんど触れていない。しかし、起訴状や証拠に対してぶつけられた堀口氏の疑問には、一定の説得力があるようにも思える。
傍聴に行ってみたいと思ったのは、被告側のだけでなく捜査側の主張も直に聞いてみたいと思ったからだ。

私は被告・堀口氏を個人的に知らず、その人を無条件に信じる権利を持たない。また経緯や証拠の詳細な検討を行なう知識もなく、その立場にもない。
裁判所で現に係属中の事件の事実認定を部外者がいろいろ言っていいのかという問題もある。
しかし、これはもっと注目されていい話のように思われる。弁護士やその他こういう件に詳しい方の意見を聞きたくて公開した。そのために今後傍聴記録を連載していこうと思う。

万一、堀口氏の言うような捜査側のごまかしが本当にあれば、それはおおごとだ。捜査側は、バレたら不祥事に直結するリスクをわざわざこんな軽微な事件で負わないだろう、という意見ももっともである。しかし、重大犯罪でもなく、とくに注目されているわけでもないたくさんの事件において、小さなごまかしが行われている可能性だって、ないとは言えないのではないか。

本当に犯人だった場合、捜査側のごまかしのはったりが呼び水になって自供することもあるというから、取調段階ではごまかしも方便だということもできる。
しかし犯人でなかった場合でも、とにかく自供さえあれば、捜査側のごまかしは問題にならないだろう。一度犯人とされたら自供したほうが(少なくとも短期的に)有利とされる。自供しなければ保釈/勾留取消などを受けられる確率は低いし、無罪を争うよりも反省の態度を示せば減刑が期待できるというし、また、余罪や別件の追求を避けるためには自供するのが得策の場合もあるだろう。このようにして予定調和的に無問題となったごまかしは、ないとは言えないのではないか。
別件の追求に関しては、完全に法律を遵守できている人はそうそういないから、一度ターゲットを定めてしまえばいくらでもできるはずだ。

そもそも、ターゲットになるのはそうされて当然のやつらだ、その事件では犯人でなくても後ろ暗いところがあるに決まってる、という意見も聞かれる。今回の被告氏だって傷害の前科があるし(本人のインスタに書いてあった。その時は罪を認め、刑期を全うしたそうだ)、何をしてるかわかったもんじゃない、という声もあるだろうが、それを言ってしまえば状況は無法地帯、やられたらやれ、やられるまえにやれ、ということなので、後ろ暗そうで何をしてるかわかったもんじゃないやつらに一般市民の皆様が誰彼構わず袋叩きにされたって文句を言ってはいけない。

ともあれ公判で捜査側の言い分を直にきけるので、今後その書き起こしを載せていきたい。第7回公判以降しか行っていないが、なんというかややこしそうな事件だ。なんでこういうややこしいことになっているのか。

そこで、事件の概要を被告氏のインスタ「獄中便り」をもとに整理してみた。(文責:山本)


雨イジングスパイダーマン とは


報道

「雨イジングスパイダーマン逮捕」と題されたニュースは翌日のTVなどで報じらた。ニュース元の大手メディアだけではなく、まとめサイトやSNSなどで取り上げられ、Twitterでトレンド入りするなど、一部で話題になったようだ。

2019年11月2日のTwitterより。日テレ, FNN, ANN, NHK等で報じられたようだ
2019年11月2日のTwitterより。大手ニュースサイトやまとめサイト、youtubeなどで拡散された

報道では逮捕直後の映像が使われており、各社が警察からあらかじめ逮捕の予定を知らされていたことがうかがえる。

被告

このように報道された堀口氏とはどんな人物か。「獄中便り」をもとに、乱暴に端折ったプロフィールを載せる。

ほりぐち ひろき
1993    大阪・寝屋川生まれ
2018    上京、塗装業を営みつつ銀座や西新宿等でバーテンダー
2019.11.1       逮捕、「雨イジングスパイダーマン」と報道される

参考:「獄中便り
被告のInstagramプロフィール

投獄以前の投稿を見ると、上京前は大阪でバーの店長をしていたようだ。

2019年11月に逮捕、容疑を否認しつつ起訴、再逮捕・追起訴、再再逮捕・追追起訴され、現在、無罪を争って係争中である。

2019.11.1-      新宿警察署に勾留(130日〜)
         未遂含む計3件の窃盗/侵入逮捕・起訴
2020.1.-    初公判
2020.3.-     東京拘置所に勾留(2年〜)
2020.5.13-    Instagram「獄中便り」連載開始
2022.1-           期日間整理を経て公判再開      

参考:「獄中便り
「獄中便り」#232 (2022年1月27日)コメント欄に全文文字起こしあり。
現在233話まで投稿され、裁判の準備のため休載中。

事件概要と争点

この堀口氏の犯行だと検察が主張する事件について、ざっと把握しておきたい。
堀口氏は3つの事件で起訴されている。ワールドビル事件守ビル事件池袋エステ店事件だ。

2019.4.15 AM3:12頃 新宿ワールドビル事件(建造物侵入、窃盗未遂)
同日     AM3:30頃    新宿守ビル事件(建造物侵入、窃盗)
2019.10.   深夜     池袋エステ店事件(建造物侵入、窃盗)

「獄中便り」では事件①, ②…の番号が付されているが、揺れがあるのでここはビル名のみとする。
各ビルの外観。「池袋エステ店」は「獄中便り」からは特定できなかった。

もうひとつ、「ピースビル」も公判で度々登場する名だ。ワールドビルや守ビルと同じ晩に通報騒ぎがあり、それがのちに被告の逮捕に関わってくる(後述)。ただしピースビルの件は事件化されず、被告の犯行ともされていない。

ワールドビルと守ビルは間口はまったく別だが、実は奥で隣合っている。
くだんの4月15日未明、被告は両ビルと三つ巴になった「さんらくビル」から入り、守ビルを経由してワールドビルへ侵入し、いったん路上に出て、再びさんらくビルから守ビルへ侵入した、と検察は主張している。
「検察官はさんらくビル→守ビル→ゲーセン→(山本註:いったん路上に出て)さんらくビル→守ビル、と立証するつもりでいるようだ」「獄中便り」#188

ワールドビル、守ビル、さんらくビルは入り組んで接している。
検察の主張を図示した、堀口氏による地図。「獄中便り」#154
さんらくビル正面。左にワールドビル、奥に守ビルがある

脱線だが、新宿東南口付近は闇市以来のバラック地帯であり、昭和末期の改札口開設を機に一掃して整備が進行、その後も高架下などの再開発が行われている。入り組んだ形状からみて、この一角は区画整理を逃れたようだ。

90年代初期のワールドビル付近。当時もゲームセンターだったようだ。
角の食堂・長野屋は大正時代から健在。出典:Pen and  Vogue


以上、ざっくり紹介した。

裁判の争点は、「防犯カメラ映像」が被告本人かどうか、検察が主張するワールドビルと守ビルへの「侵入経路」が妥当かどうか、現場に残されたとされる「血液」の証拠としての不自然さである「獄中便り」#210

以下、3つの事件で被告がやったとされている内容を、私にわかる範囲で、もう少し詳しく整理してみた。

文中の#〇〇は出典元の「獄中便り」ナンバー。捜査側の考え方や証拠の分析がより詳しく書かれていて興味深いので読んでみてほしい。


守ビル事件(+ピースビル案件)



被告は2019年11月、まず最初に「守ビル事件」で逮捕された。#6#12
2019年4月15日朝、新宿東南口付近「守ビル」屋上にある事務所の窓ガラスが割られており、現金¥66,000が盗まれているのが発覚した事件のようだ。夜のうちにやられたものと思われた。#6, #230
ビル玄関の防犯カメラに、深夜3時半頃、男性が映っていることがわかった。#230

守ビル。新宿駅東南口のラーメン屋のビル

ところでその同じ夜、少し離れた「ピースビル」上階バーの自動通報装置が作動し、警官が駆けつける案件があった。#231

ピースビル。珈琲西武の隣、一蘭やファミマのビル。事件当時はローソンが入っていた

この際、警官はビル前で1人の男性を職質したとされる。その様子はローソンの防犯カメラに映っており、近隣の防犯カメラにも似た男性の姿があった。その男性は被告の氏名が書かれた保険証を持っていた。これをきっかけに被告・堀口氏の存在が浮かび上がったという。#38#123, #141,#231
きっかけとなったピースビルのではなくその近隣の守ビルの件で、事件から7ヶ月後、被告が逮捕された。ピースビルの話は事件化されていない。#231,#232

ところが、被告は以前に保険証を盗まれて失くしていたと主張している。#38#123, #141
また、職質した警官の報告書によれば、その男性が口頭で名乗った名は「ひろき」ではなく「ゆうき」だったという。自分の名前の読みを間違えるのは不可解だ。その男性は被告ではない、と被告はいう。#38#123, #141,#231 

被告は侵入経路についても疑問を呈している。守ビルの玄関は施錠されていたとされるが、横の「さんらくビル」は開いていたそうだ。そこで犯人はさんらくビルに入り、屋上へ上り、守ビルに飛び移って侵入した、と検察はいう。さんらくから守の移動は命がけである、短時間でスーツに革靴では物理的に無理、と被告はいう。#157 (その他侵入経路については#154,#155,#188,#197,#207
ついでに、そのさんらくビル入口の防犯カメラは証拠として提出されていない。それはおかしい、被告が映っていたら提出されるだろう、と被告はいう。#159,#162

また被告は、事務所内に泥汚れがないことも不自然だという。#212

なお、この事件で被告とされる男性を職質した警官2人は第8回公判と第9回公判で、近隣の防犯カメラ映像を収集した警官は第8回公判で、それぞれ証人尋問を受けている。


ワールドビル事件



「守ビル事件」について自白を求める取調に対し、被告は否認したまま起訴される。#14
そののち、同日未明のもう少し早い時刻に守ビルの隣で起きた「ワールドビル事件」で再逮捕される。守ビル事件の直前の出来事だ。#15

ワールドビル。新宿駅東南口ドンキ向かいのゲーセンのビル

閉店後のゲームセンターにいた男性と店員が鉢合わせし、男性は店員に案内されて去ったものの、実は同店上階更衣室の窓ガラスが割られ、室内が荒らされていたことが後になってわかった、という事件を、守ビル事件と同一犯による窃盗未遂とみなしたものだ。さんらくビルから守ビルを経由してワールドビルの更衣室に侵入したものの、店員のせいで手ぶらでワールドビルを出た犯人は、再びさんらくビルに入って屋上経由で守ビルに侵入し、今度は現金を手に入れた、と検察は考える。#15,#45,#46,#47,#48,#49,#213,#230
さっきも言ったとおりそもそもさんらくビルから守ビルへの移動は命がけだ、検察の考える犯人の行動は不自然だ、と被告は言う。#154,#157,#188
男性は店内防犯カメラにも映っていたという。#48,#50,#121,#138 ,#213

「獄中便り」#45 より、被告の描いたゲーセン更衣室窓の破損状況

被告はこの事件も否認したまま起訴された。#19
保釈や勾留取消申請は却下されたという。#127

なお、この事件で件の男性と鉢合わせした店員、被害発覚後に通報した店長、不審な音を聞いたという他の店員が第9回公判で証人尋問を受けている。


池袋エステ店事件



被告はそののち再再逮捕される。#20
ワールドビル・守ビル・ピースビルの騒ぎから半年たった10月に、池袋で起きた「エステ店事件」、やはり施錠した店のガラスが割られ、現金¥60,000ほどが盗まれた。店内の防犯カメラにはスーツ姿の男性が映っていたが、当初は正体不明だったらしい。#53, #54,#56

ところが、後から店内で被告と同じDNAの血液が発見されたという。侵入時に割ったガラスでケガをした被告が残したものとされている。#54,#55, #62
同様の血痕は守ビル現場でも見つかっている。被告が犯人であることの決定的な証拠とされているそうだ。#40, #41

しかし守ビルでもエステ店でも、3㎜ほどの1点だけが、後から、黒ずんだりせず真っ赤な状態で、発見されたのだそうだ。被告側はその不自然さを指摘する。#142,#161,#212, #220

なお、すべての現場に被告の指紋はなかったという。#55,#62,#142,#212

被告はこの事件も否認し、起訴される。#21


以上3つの事件について、たいへんややこしいことがお分かりいただけたかと思う。しかし(さっき「事件概要と争点」で述べたとおり)裁判では「防犯カメラ映像」「侵入経路」「血液」の3点に争点が絞られるようだ。#210

初公判#25、第2回公判#30、長期の整理期間#71〜 を経て、この冬に公判が再開した。#227

雨イジングスパイダーマン事件裁判2  第7回公判 につづく。明日くらいに書く)

被告のインスタのハイライト

被告の情報:Instagram「獄中便り」(ハッシュタグ #雨スパグラム
今後の公判予定:4月19日15-16時、4月26日14時-17時、5月10日1時30分-
場所:東京地裁816法廷
担当/事件番号:刑事係7部/令和元年(わ)3108号等

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