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空のゴルフ屋さん

僕の家は空のゴルフ屋さん。

別に空に建っているわけじゃない。

小さな町の小さな交差点にお店は建っていた。
隣は楽しい文房具屋さん。

すぐそばには八百屋さんもお肉屋さんもある。

お豆腐屋さんもあればケーキ屋さんも和菓子屋さんもある。

くわえて町医者も2つあった。

そんな中でゴルフを売っているお店は珍しかった。

幼稚園も小学校も近くにあって僕の朝はいつもギリギリまで寝ていられていた。

僕は父さんがやっているこの店が好きだった。

学校から帰ってきては、父さんがお店でゴルフクラブを磨いているのを見ているのが好きだった。

お店にはパターゴルフの練習するところがあって、お客さんがいない時はいつも遊んでいた。

その時の僕には違いがよくわからなかったけれど、形の違うクラブがたくさん並んでいた。

ピカピカのゴルフクラブはなんだか特別感があった。

父さんはどうしてゴルフ屋を始めたんだろう?

僕が物心ついた時はもううちはゴルフ屋だった。

友達が遊びにきてもなんだか珍しがられた記憶がある。

その頃、僕はなんとなくうちがゴルフ屋さんで良かったと思っていたんだと思う。


隣の文房具屋さん

僕の家の隣には文房具屋さんがあった。

それはそれはワクワクするお店だった。

僕が幼稚園の頃に従姉妹が遊びに来ると決まって隣に行っていた。どうしてって僕は隣の家だから毎日だって行けるけど、従姉妹はたまにだったから行くのがとても楽しそうだった。

目を輝かせて小銭を握りしめて、きまって僕に文房具屋さんに行こうと言ってきた。

確かに文房具屋さんは天国のようだった。

面白いおもちゃや駄菓子も売っていて何時間でもいられた。おばちゃんも僕が行くといつもお菓子をくれたりした。中でもいちばん好きだったのは消しゴムと鉛筆が置いてあった場所。いろんなかっこいい消しゴムや匂いがする消しゴム、カラフルな鉛筆、シャープペンなど僕の欲しいものばかりだった。

今思えば僕は恵まれた場所に育ったのかもしれない。近所にお店はたくさんあるし、おじいちゃんもおばあちゃんも50mくらい先の家に住んでいた。


おじいちゃんち

僕はどちらかと言えば自分の家よりおじいちゃんちの方が好きだったかもしれない。
家ではお店にいることが多かった。小学生の頃になるとお店のお客さん用のテーブルで勉強していた。
だからと言って家の中が嫌だったとかそういうことでは無い。お店が居心地が良かったのだ。

おじいちゃんちには土間があった。土間は泥団子を硬くして表面が少しツルツルしたような感じの土間だった。黒くて人が踏んで固められて光っているようなそんな土間だった。土間から上がると広い畳の部屋になっていた。そこで寝っ転がっている時に部屋の奥から吹き抜ける柔らかい風が好きだった。

僕が寝っ転がっているとおばあちゃんが奥の部屋からやってきて、必ず水汲んでと言ってくる。おじいちゃんちには裏に井戸があった。手押しポンプを押すと水が溢れ出てくる。僕はそれが大好きだった。どんどんどんどん水を出す。出しすぎてばあちゃんに怒られる(笑

これもほぼ日課だった。
何より冷たい水が出てくるのとポンプの音が気持ちよかった。


八百屋さん

僕の家からちょっと行った先のT字路の角に八百屋さんがあった。その八百屋さんのおじさんはいつも番号のついた帽子を被っていた。おばさんはいつもくまさんのポッケがついたエプロンをしていて忙しそうだった。

八百屋さんのテントみたいな日除けの緑と白のシマシマも好きだった。夕方になって西陽が当たるとなんだかヘンテコな棒をクルクル回して日除けが上から出てくる。

八百屋さんは小さかったけれど、新鮮なものばかりでいつもお客さんがたくさんいた。声の大きいおじさんはいつもニコニコしていてお客さんと話すのがとても好きそうだった。

夏になると店頭の少し斜めになっている台の上にまあるい大きなスイカが並ぶ。僕はいつもおじさんが味見用に切ってくれるスイカを食べに行っていた。


お肉屋さん

お肉屋さんは八百屋さんより少し手前にあった。
夕方になるといっつもいい匂いがしてきてお腹が空いちゃった気がする。匂いの原因は揚げ物だった。

美味しいトンカツに美味しいコロッケ。
美味しいハムカツに美味しいメンチカツ。

僕が大好きだった鉄板のおかずだ。

揚げ物を買いに行くと必ずおまけしてくれるおばちゃん。白い割烹着に白い三角巾。ちょっとふくよかなおばちゃんはよく笑う人だった。おばちゃんが笑うと笑い声につられて笑ってしまうのだ。何がそんなにおかしいのかと思うくらいよく笑っていた。

なので買い物に行くといつもお店は賑やかだった。

実は美味しい揚げ物のおかげで僕は小学生の時に少し太っていた。今考えればヘビー級の常連客だったはずだ。

僕の身体はあの頃揚げ物でできていた!


お豆腐屋さん

お豆腐屋さんはちょっとだけ離れたところにあった。
お豆腐屋を買いに行く時は母さんにいつもボウルを持たされる。行く時はいいんだけれどお豆腐を買って帰りがなかなかなのだ。

とおりゃんせの歌のようだ。

《行きは良い良い帰りは怖い》

行きはボウルは空っぽなので振り回そうが走ろうが関係ない。

帰りはどうだ!?

ゆっくりゆっくり歩いてこなければボウルに入れてもらった水はこぼれるし、お豆腐屋だって飛び出す可能性がある。

僕は一度転んでお豆腐をぶちまけてしまったことがある。なんとも悲しい気持ちになった。

見たいテレビがあって家に早く帰りたくて小走りというか早歩きというか、とにかく早く歩いた。すると足がもたれたのか、何かにつまづいたのか忘れたが激しく転んだのだ。

ああいう時はなぜスローモーションになるのか?

ボウルは僕の手から離れて高く中を舞い、徐々にボウルが傾いて水が溢れ飛び散り出す。お豆腐も飛び出してきて放物線をかきながら地面にダイブ。激しく地面に落ちたお豆腐は跡形もなく木っ端微塵。歪な放射線上にお豆腐が散りばめられる。

僕もそれを見届けるように地面にダイブ。痛い…

母さんには怒られるしお豆腐はダメになるし。
お豆腐を買いに行かされる時はドキドキだった。

しかし、お豆腐屋さんに行くのが楽しくなる出来事があった。僕が自転車に乗れるようになった時だ。

自転車を漕いで手ぶらでお豆腐を買いに行く。
するといつもおじちゃんが水槽のようなケースの中で大きなお豆腐を包丁で切ってくれる。そのあと、例えていうなら金魚すくいみたいなビニール袋にお豆腐を入れてくれる。
袋に空気を入れると入り口をゴムでクルクルっと鮮やかに縛って僕に渡す。

『気をつけてな』

お豆腐屋さんのおじさんはいつも無口だった。
でも優しい気がした。

僕はお豆腐を自転車のカゴに入れ風を切って家に帰る。

ケーキ屋さん

ケーキ屋さんはちょっと特別な感じだった。

ケーキ屋さんはいつも行けない。
ちょっと特別な時しか行けなかったからだ。

だいたい行くのは誰かの誕生日がある時なんだけど、そこのケーキ屋さんはお店がピンクで可愛らしかった。
実は八百屋さんの並びにあった。

僕みたいな坊主頭がケーキ屋さんに行くのはなんだか恥ずかしい気がしていた。ケーキ屋にいたお姉さんは薄いピンクの制服に頭にはピンクの三角巾をしていた。

ケーキ屋さんのショーケースは輝かしかった。

ケーキはどれも美味しそうだしショーケースにあるケーキは全部食べられる気がした。

目線がケーキに近かった僕はいつもケーキが綺麗だなーと思っていた。

僕が大好きなのはいちごのショートケーキ。
だいたい人生でいちばん最初に出会うケーキは、いちごや生クリームが嫌いで無い限りいちごショートなのでは無いだろうか?

ケーキと言われてイメージするのが僕はいちごショートになってしまうからだ。僕の偏ったイメージかもしれないがケーキといえばいちごショートなのだ。

僕にとってそのケーキ屋さんは異世界だった。お店に入る前に自動ドアがある。その前に立つ時からドキドキしていた。自動ドアがふぁーっと開くと甘い香りが僕を包み込みお姉さんが『いらっしゃいませ』と笑顔で迎えてくれる。僕は毎回ちょっとドギマギしながら母さんに言われたケーキを注文していた。


和菓子屋さん

和菓子屋さんはケーキ屋さんの並びにあった。

ここの和菓子屋さんはおじいちゃんがやっている。
僕はどら焼きが好き。
どら焼きの皮なんだけどすごく柔らかくもなくふわふわでもない。しっとりしていてあんことのバランスが好きというか…小さいんだけどずっしりしていて食べ応えがある。

僕はいつもどら焼きを食べるとき、なんだかドラえもんになれると思っていた。どうしてか?わからない。ただなんとなく思っていた。そりゃあ毎回食べてもドラえもんにはならないんだけど、なんかちょっと強くなるというか無敵な感じがしていた。

その頃の僕のおやつはだいたいどら焼きだった。スナック菓子も好きだったけれどどら焼きの方が好き。僕がどら焼きを買いに行くと、大きなしわしわの手でどら焼きを渡してくれるおじいちゃん。元気かな。


お医者さん

お医者さんはおじいちゃんちより近かった(笑!

内科だったけど僕は記憶にある限り行ったことがない。
赤ちゃんの時とかは知らないけれど、今考えれば小さい頃から僕は丈夫だった。

もう一つのお医者さんは皮膚科だった。
最初の方に出てきた僕の従姉妹は、赤ちゃんの時からアトピー性皮膚炎でおばちゃんが毎週皮膚科に連れてきていた。
その度に皮膚科から近い僕の家に遊びにきていた。

僕は毎週従姉妹が来るのが楽しみだった。


皮膚科

この皮膚科も昔からある。

こちらも僕とは無縁だったが従姉妹は皮膚炎だったり火傷だったり、皮膚科にくるのがどうやら忙しそうだった。

楽しみだったのは従姉妹が来るといつも近所の駄菓子屋さんにも行けたこと。

小学校の前に駄菓子屋、小学校の後ろに幼稚園。

駄菓子屋でお菓子を買って幼稚園で遊ぶ。

幼稚園でも小学校でも自由に遊べた頃。

僕には小学校に秘密基地があった。

コンクリートの滑り台の山があってその下にはトンネルがある。山のてっぺんからは鎖が降りていてそれで上には登る。足場は何もない傾斜のところとコンクリートに足や手で掴めるくらいの石が埋め込まれていた。
今でいうロッククライミングのようなイメージである。

そこが僕の秘密基地。学校の友達とは休み時間になるといつも基地を占領していた。今考えるとトンネルで遊びたかった子はいつも僕たちが占拠していたので遊べなかったと思う。

2階からの眺め

いとこの家には2階がなかった。だから、いとこは僕の家に来るといつも2階に上がりたがった。

2回は子供部屋と父さん、母さんの部屋

いとこは2階が大好きだった。いつも2階に上ると窓を開けて空を眺めていた。僕の家は木造で古かった。十字路に立っているので窓を開けると前は道なんだけど、窓からはすぐそばのおじいちゃん家が見える。

ある時、従姉妹が言った〇〇ちゃんちは空のゴルフ屋さんだね♪

その言葉は、僕の中で今でも印象に残っている。おかっぱでちびまる子ちゃんみたいな髪型をした。従姉妹はニコニコの笑顔で僕にそう言った。

従姉妹越しにみた晴れ渡る空の水色は鮮やかに鮮明に覚えている。





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