オバが死んだ。いや、ほんと死に目に会えるのがいいのか悪いのか。そして彼女が生きた人生について触れる時。
佐世保。長崎県。
以前来た時が、生前に話した時。今の妻と結婚する前だし、まだオバは生前腎臓が悪くて。でもまだ腎臓移植してない頃だから5年くらい前?俺も心臓まだやってない頃だと思うんだよな。
実の親もいい年齢になってきてて。色々とこういう事は覚悟はしてたけど。
やっぱり、親しい親族が逝くと、メンタル来るわ。だし自分にとっては小さい頃から可愛がってくれたオバだしね。なんでもっと連絡しなかったのか、後悔はやはりある。寂しいね。
コロナもそろそろ騒ぎが終わる頃、コロナにかかり。高齢かつ基礎疾患持ち。バッチリ肺炎になって一度は持ち直したみたいなんだけど結局そのまま帰らぬ人に。
そんなにきつくなかったみたいで良かった。弱って、スーッとした感じだったみたい。
神奈川の横須賀で育った俺の母とオバ。俺が高校の頃くらいまでは横須賀にいたような気がする。よく世話になってた。小遣いもよくもらったし。オバには子供がいなかったから余計に可愛がってもらってた。
で、何度かの離婚再婚があり、長崎県の佐世保に縁あって暮らしていたオバ。そこには甥の立場からは見えない、鮮やかなオバの生きた証が沢山あり、親族って葬儀で主役になれない時、あるよな。って。変な意味じゃなくて。そーなんだ。って興味本位で聞けることが多く俺も大人になってそういう社交性を身につけたって事なんだろうな。
晩年。
俺や両親、俺の兄弟が知らないオバ。楽しく過ごせてたみたい。それは本当に何よりだし、一番ホッとした。葬式にわざわざ飛んできて(本当は生きているうちに会えると思って急いでた)、少なくとも家族の名代で札幌から唯一の直行便、ピーチで飛んだ俺からすると(ちょうど福岡空港に着陸した時に他界。もう少し待っとけって苦笑)、なんというか喧しい、忙しないって感じるほど元気のいいみなさんを見てると、あまりにも優し伊長崎弁(佐世保弁?)が心地よいほどに、実のオバを文面の上で『彼女』が、という表現に変えるほど鮮やかに楽しそうに生きていたことをアリアリと感じさせてくれる。なんというか親族だけどちゃんと自分で生きてたんだなって、強く感じた瞬間に彼女は、って言う方が自然に思えて。
自分も48歳。4回目の年男。少なくなくなってきた、死別。友人や自分より若いやつにも出てきちゃってる。必ず死ぬ為に生まれてきてるわけだけれども、なんというか自分もこうやって、暮らした土地に根付いた死に方ができたらいいな。兄弟や息子。もしかしたら俺が死んだ時親が生きてるかも?だけどもし送ってもらえるならこんなに楽しく生きていた、って霊前で話してもらえるような死に方する為にも生きよう。楽しく。
彼女が暮らした西の海。長崎県。佐世保から松浦→平戸と通夜まで時間があったのでドライブした。北海道や関東にはない、異国の香りが漂う、アップダウンの激しいミニチュアのような街と景色。
長崎。馴染みはないし、馴染むことも無いだろうけど。
また、線香あげに来るよ。
安らかに千恵子さん。
いい晩年でよかった。
俺もそんな感じに生きたい。
rip
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