(正月の)飾りは、おろすにおよばず

正月元日に親が死んで、泣き泣き飾りをおろすなり。その年の飾りというものは、一年中の先行き繁栄を祝うのに、元日から泣き泣き飾りを切りおろして先を待つなり。

万一、はやり病気で家内中寝て、その中で一人死んだら、どうするか。四十九日神様が拝まれねば、後の者はみな死んでも、汚れて(けがれて)おると言うて拝まんか。

よく考えてみよ。死人や汚れた物を、あなたのご地内にいける(埋める)のは、汚れはせんか。これまでしておることは、みな天地金乃大神様へは大ご無礼なり。

これからは、正月一日に親が死んだら、飾りはおろさずにおいて、親々代々のご無礼許してくだされ、四十九日の忌み汚れを許してくだされと頼めよ。また、後の繁盛を頼めよ。飾りは、おろすにおよばず。とかく平生のとおりにして、その日から願うがよし。

また、神々様へは天地金乃大神様からお断りを申してもらえよ。

 金光教教典
 311頁
 斎藤宗次郎
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おはようございます。

31日に亡くなった方があり、お正月に葬儀をさせていただいたことがあります。

この御教えのおかげで、「正月早々の葬儀かあ」と心が落ち込むことはありませんでした。

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正月は命が新しくなる時です。

その時に死を受け入れることができるかどうかということになります。
身近な人の死は辛くて悲しいことです。大きな喪失感があって、そのことに苦しい思いをします。

しかし、このお道では死ぬことは生まれ変わりと捉えます。
魂として新たに生まれるのが死です。

生きている間に徳を積んでいれば魂は磨かれていて、死んだあと神様の御用を存分にできます。

わたしは、ぜひそうなりたいと思っております。

ですから、死は汚れではありません。

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