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御教え

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金光大神(こんこうだいじん、金光教の教祖)の御教えを,毎日頂きます。
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2020年6月の記事一覧

心配をやめて信心をせよ

心配をやめて信心をせよ。おかげはわが心にある。
 
 金光教教典
 298頁
 斎藤宗次郎
 4
 
おはようございます。

明治5年、斎藤宗次郎先生は二十六歳の年、大傷寒(だいしょうかん)となりました。傷寒とは、熱や下痢を伴うチフスなどの流行性疾患のことです。

高熱が出て、9日の間、口が切れ、骨と皮ばかりのように痩せました。昼も夜も、つり布団(天井からつるした布団)の中で身動きもできず、手の施

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すがればおかげあり

けがをしても手足を折るとも、同じ。いただく品は同じことなり。すがればおかげあり。
 
 金光教教典
 297頁
 斎藤宗次郎
 3
 
こんにちは。

食物、水、土。
どれもみな、天地そのものです。神様の御徳のあらわれです。「いただく品は同じ」とはそのことを言っておられます。

なにをいただくにしても、天地のお徳にすがるということに変わりはありません。

大切なことは「すがる」という心、「すがる」

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山なら土をいただけ

山なら土をいただけ

おなかが苦る時は、山なら土をいただけ。また、川なら水をいただけよ。

また、土用に田の草取りに行って、痛ければ、田の濁り水を手にすくいていただけよ。

後は、あぜに腰かけて、大神様を頼めよ。日々心得よ。
 
 金光教教典
 297頁
 斎藤宗次郎
 3
 
おはようございます。

この御教えをどのように頂くか、実はとても困ります。

土をいただく、川の水をいただく、田の濁り水をいただくということを

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いただいて食べよ

いただいて食べよ

何を食べるとも、体の丈夫になるようにという心でいただいて食べよ。
 
 金光教教典
 297頁
 斎藤宗次郎
 3
 
おはようございます。

斎藤宗次郎先生が、水を飲んでおなかが痛くなり、食べた物が胸元にたまり、おなかが瓶のように張るというお届けをされた時に、頂かれた御教えの2つ目です。

体は食べる物からできています。元気健康の源も食べる物です。

ですから、食うとか食べるのではなく、いただけ

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いただいて飲む心になれ

水を飲む時は、茶わんにくんだ水を、いただいて飲む心になれ。
 
 金光教教典
 297頁
 斎藤宗次郎
 3
 
おはようございます。

斎藤宗次郎先生が「水を飲むとおなかが苦り、また食べたる物が胸もとにたまりて、おなかがまことに日々瓶(かめ)のごとくになり、昼夜難儀いたしております。はや、十年余り難儀で困り」ますとお願い申し上げた時のお言葉です。

水を飲んでおなかが痛くなり、食べた物が胸元にた

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けっして、孫(そん)は引かぬ

けっして、孫(そん)は引かぬ

難儀であるか、難儀なら、大神様にまことによう切れる切れ物で切ってもらえよ。

親々代々孫(そん)を引く(遺伝する)ということがある。

けれど、神様の切れ物は、よう切れるなり。神に任せ、地にすがれ。けっして、孫は引かぬ。

とかく、神任せということがある
 
 金光教教典
 297頁
 斎藤宗次郎
 2
 
おはようございます。

斎藤宗次郎先生が「私は長らく筋気(すじけ)で困ります」と、このこと

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これまでのご無礼をお断り申してご信心せよ

これまでのご無礼をお断り申してご信心せよ

産む時にみなだれでも明き方に向き、金乃大神様へは尻を向け、天地のご恩を知らぬゆえに、これまでのご無礼をいたし。

今日(こんにち)より、これまでのご無礼をお断り申してご信心せよ。

今日より十四日先を頼んで、おかげ受けよ。
 
 金光教教典
 295頁
 斎藤宗次郎
 1
 
おはようございます。

斎藤宗次郎先生は、慶応3年8月2日に、長男近太郎のことで、はじめて参拝しました。

生後50日ほ

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返す返すもうれしいのう

返す返すもうれしいのう

これまでは十人は十人、百人は百人、参詣せられると皆がお願いがあったのじゃが、今日では、百人参られてもお願いはわずかじゃ。参詣という方が多くなったが、これだけ天地のご恩を知る者が増えたと思えば、近藤さん、返す返すもうれしいのう。

金光教教典
 296頁
 近藤藤守
 81
 
おはようございます。

昨日は御紋菓子を売る店が門前にできたことを喜んでおられましたが、教祖様の喜びはなんと言っても、天地

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近道さん、うれしいのう

近道さん、うれしいのう

神様のご紋を菓子にして売るようになったかな。ここまで道が広まったかと思えば、近藤さん、うれしいのう。
 
 金光教教典
 295頁
 近藤藤守
 81
 
おはようございます。

たくさんの人が教祖様のお広前にお参りされるようになり、その人たち目当てに御紋菓子が販売されるようになったものと思われます。

それを神様のご比礼だと、教祖様は喜んでおられます。

*

コロナで外出自粛が要請され、御本部

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真の教えをする者

真の教えをする者

家業などもせがれにゆずり、その身は隠居して遊んでおるのがもったいないゆえ、お道の御用をさせていただこうと、真の教えをする者が一町に一軒、一村に一軒になれば、お道を伝えるにはらくです。
 
 金光教教典
 295頁
 近藤藤守
 80
 
おはようございます。

「真の教えをする者」とは、この札幌南教会にあっては、初代教会長西村道雄先生でした。その教えとは「絶対信」です。

一町に一軒、一村に一軒の

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それは神が気に入らぬ

それは神が気に入らぬ

山口県の信者は三千人あります。その三千人の信者が一円ずつ出し、社を建てても、その三千人のうちに一人信心をやめたら、あの社に一円、われも出してあると言うであろう。それは神が気に入らぬ。

今に、一人して社をこしらえる者を神からこしらえるのじゃ。氏子、百円もうければ十円、十円もうければ一円と、一割くらいは持って来るであろう。その氏子へ神がおかげを十分に授けてやれば、一人で建てられるのう。
 
 金光教

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守(も)りが喜べば神もともに喜び

守(も)りが喜べば神もともに喜び

神様に仕える者を神の守(も)りと言いましょうがな。

神様は子供のようなもので、その守りを喜ばせれば背中の子供は喜びます。守りの頭をたたいて守りを泣かせれば、背中の子供もともに泣くからのう。

守りが喜べば神もともに喜び、守りが泣けば神もともに泣くからのう。

神のおぼしめしにかなうよう、氏子もおかげを落とさぬように信心しますのじゃ。
 
 金光教教典
 295頁
 近藤藤守
 78
 
おはよう

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人の悪きはわが悪き

人の悪きはわが悪き

玉島に風呂屋があるがのう、その風呂屋の亭主が、毎日、その隣の割木屋の木を盗んでたくのじゃ。

家内はそれを心配せられてなあ、意見をせられてもやめられぬのじゃ。

しまいに、ここへ、「金光様、かようでござります」と言うて来られた。「それは取ってよい。かまいはせぬ。人の悪きはわが悪きじゃ」

ははは。
 
 金光教教典
 294頁
 近藤藤守
 77
 
おはようございます。

「教祖の御一口話」とし

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二度まで教えたら、後は

二度まで教えたら、後は

二度まで教えたら、後は無理にすすめぬがよろしい。今度は向こうから、どうぞお願い申しますと言うて来たら、教えてやりなされ。
 
 金光教教典
 294頁
 近藤藤守
 76
 
おはようございます。

神様のおかげはあるに決まっています。信心すればそのおかげは頂き放題です。
ですから、無理にでも勧めたらよさそうなものですが、教祖様はそうはおっしゃいません。

「わが心が神に向かうのを信心という」とい

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