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人類の知識という話(追悼・小柴先生)

先日(2020年11月12日)小柴昌俊先生が逝去されました。
2002年にノーベル物理学賞を受賞されたお爺ちゃん、というとわかる方も多いかと思います。
2002年は同時に化学賞で島津製作所の田中耕一さんも受賞していて、、、こちらは「タンパク質を解析する機械を開発した会社員」という話が比較的わかりやすかったせいもあって、わかりにくい研究だと言われたりしてました。

なんせ「ニュートリノ(中性子)を世界で初めて検出した」話で、、、

ほとんどの記者が「この実験はどういった意味があるんでしょうか?」とか「この実験は何の役に立つのですか?」という質問をするくらい、よくわからない話でした(笑)

それに対しての「小柴先生の返し」は未だに多くの研究者(や理科好き・科学好き)にとって定番の言葉になっているように思います。

「それが何の役に立つかとかじゃなく、人類の知識が一つ増えることが大事だと思います」

真正面から受け止めれば「何かに役に立つということだけが科学ではない」とも「基礎研究はそういうものではない」といった受け止めができますし、、、。

軽く斜めから見ると「私の研究をちゃんと調べずに質問してない?」とも「科学という物事を理解して質問しなさい」といった受け止めもできますし、、、。

穿ってみれば「ノーベル賞をとってこれだけ注目されても『役に立つかどうか』が大事なんですか?」とか「そんなどーでもいい質問にはテキトーに答えますねー」とも見えますし(笑)

何にしても、かなり多くの研究者(や理科好き・科学好き)の心に刺さった言葉じゃないかと思うのです。私はこの頃、何をするでもないフリーターの時期(不登校関係のお手伝いしつつ、バイトで糊口をしのぐ日々)で、、、。
この受け答えをみて「そうそう、科学ってそういうもんだよなー」と素直に真正面から受けとめてました。

科学、ってのはさー

大上段から語るのも恥ずかしい立場ですが、、、
科学ってのは「自然を完全に理解するために色々なこと(実験・研究)をしていくこと」だと思います。そのために無駄な知識は一つもないわけです。
 私がしていた「ゾウリムシの繊毛打方向制御(特に繊毛逆転)に関わるタンパク質」やらを特定して、何か良いことがあるわけないです(笑)。単純に面白いだけでしょう、きっと。人類の役に立つとか、、、無いと思います。
 でも、同じようなことに興味を持った人にとっては「おお、こんな知識があるのか」というものになるわけです。それが「人類共通の知識が増える」という意味(意義)だと思います。

「自然を理解するということ」ってそーゆー知識を増やすこと、、だと思います。
まあ、、無駄な知識を増やすってことですな(笑)。
でも、それを言ってしまえば、「九九を暗記すること」も、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と唱えることも、「ぞ、なむ、や、か、連体形。こそは已然形で結びけれ!」と覚えることも、「からよりがのにをいとでや(格助詞)」とかも、、、無駄な知識です。
もっと言えばiPhone12が5G通信になることも、車がガソリンで動くことも(エネルギー効率は40%、無駄!!!)、全て無駄ですな(笑)。

だから単純に、科学はスゲーなー、と思っています。
どれだけ理解しようとしても、、、
小柴先生のような方が新しい方法論を見つけ(ニュートリノ天文学を作り出した1人ですよね)ても未だわからないことの方が多く、何が大事な情報(データ)で、何が無駄なのかすらわからないくらいに大量のことがわかっていないんです。どれだけ知識を積み重ねたらいいのかわからないわけです。
はてしない物語です(でもそれはまた別のお話)。

1人のおそらくは偉大な科学者が亡くなりました。人類の知識を増やすことに大きく貢献した方でした。それ以上に、科学というものが「我々の生活に関係しているかどうかなんてどうでもいい」ということを改めて気が付かせてくれた方でした。

この先も理科好きとしては「それが役に立つかどうかなんてどうでもいい」という視点を持って科学・理科を楽しみたいと思います(笑)
ご冥福をお祈りしますm(_ _)m

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