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「溜めすぎるな!」-018:靴の整理「シンデレラフィット」地獄

靴の整理「シンデレラフィット」地獄


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以下は、別の某ブログに書いていた、
2023年の夏~秋にかけて決行した、
私の断捨離体験記「溜めすぎるな!」のnote版です。
📕kindle本出版予定📖
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「溜めすぎるな!」-018

靴の整理「シンデレラフィット」地獄 

20230809


今回の家の中の片づけにおいて、個人的に最も過酷だったトップ3は、

第①位:プリント写真整理地獄(既に記事に書いた) 
第②位:中学時代の自作ポエム整理地獄(まだ記事に書いていない)
第③位:靴の整理「シンデレラフィット」地獄(この記事)

である。

質的に最もキツかったのは、「②中学時代の自作ポエム整理地獄」だった。
多感な時の自分のヘタクソなポエムを書いたノートやページの切れ端、
どうしても捨てられなかった。
しかし、ポエムの量が少なかったのが幸いした。
よって、
3,000枚のプリント写真を1,500枚まで削減した「①プリント写真整理地獄」が、
「処分しなければならない思い出」の量において②を圧倒的に上回り、
総合的に最も精神的にキツかった第①位となった。 


そして第③位は、本記事で書く、「③靴の整理「シンデレラフィット」地獄」である。 

どうして靴の整理を精神的にキツく感じたのか?についてだが、
以下が私の私見である。それは、

「靴は、人間にとって本質的な根本である「歩く」に直結するアイテムだからだ!」と、私は思ったのだ。

人間は動物。動く物だ。そして、
人間が動くために最も重要なのが脚+足だ。
動物が動くのは、自分の生存がかかった時だ。
捕食のため獲物を追う時、そして、
自分を獲物に狙う捕食者から逃げる時だ。

人間が草履や靴を作って履くようになったのは、
人間にとってのサバイバルために最も重要な足のウラを怪我から守るためだったろう。
鋭利な石コロなどで足のウラを怪我すれば、走れなくなって、
獲物を取り逃がすか、自分が獲物として捕食されてしまうからだ。

だから、人間は靴にこだわる。
歩きやすい靴。履いていて快適な靴。
靴ずれやウオノメができないような靴。
人間はいつも、自分にとって理想の靴を追い求めている。

シンデレラフィットの靴を。

だから、「この靴は履きやすい!」と感じる靴は、
どんなに靴底がすり減って古くなっても、手放せないのだ。
自分のモビリティ(可動性)を上げてくれる、快適で履きやすい靴は、
自分のサバイバルに必要なのだ!と、
本能的に無意識に思うからなのだろう。

私の若い頃は、女性が会社に履いていく靴は、幅が狭くてつま先が細い、可憐な靴しか売られていなかった。
OL時代、私の幅広の足の指は、可憐なパンプス(当時のOLの通勤靴)のつま先の中で、いつも血を流していた。
どんなに足の指の爪を短く切っても、可憐な靴のつま先の中に押し込められた指と指が当たりつづけるので、隣の指の爪が突き刺さるか、あるいは、指の爪自体が割れて流血するのだ。
小指にはウオノメが出来て、イボコロリを塗り過ぎて、小指の肉が崩れてしまったこともある。
雨の日に駅構内の濡れたタイルの上でパンプスで足を滑らせて膝からタイルに落下して、しばらく松葉杖通勤だったこともある。
働く女性のモビリティ(可動性)を著しく制限する、パンプスという不条理!

現在は、EEやEEEといった幅広の足用の女性靴や、歩きやすい女性用オフィス靴が売られるようになって、良い時代になった。

OL時代から月日が流れた40代後半の頃、通勤用によく履いていた靴ブランドがあった。
海外のスニーカーブランドが作った、歩きやすい女性用コンフォートシューズで、オフィスで履いても違和感のないデザインも展開していた。
そして、本国の商品よりも、日本で売られていた商品のほうがとてもセンスが良く、私はそのブランドの靴ばかり履いていた。
あまりにも履きやすいので、同じデザインを2足ずつ買い溜めていた。
いつなんどき、そのデザインが生産中止になるかもしれない、と不安に思ったからだ。

果たして、何年か後に、その海外スニーカーブランドは、その女性用コンフォートシューズのブランドを打ち切ってしまった。
当時、そのことを嘆く女性たちの声がネット上によく見られた。私も途方に暮れてしまった。

ところが、その後しばらくしたら、そのブランドに酷似した靴を売る別のブランドが日本で立ち上がった。
おそらく、その海外ブランドの女性用コンフォートシューズを日本でライセンス製造していた業者が立ち上げたのだろうと思った。
私は歓喜して、その日本ブランドの靴の売り場のあるデパートを尋ね、その日本ブランドから来ている店員さんに「このブランドは、かつての海外ブランド〇〇の後継ブランドですよね?」と確認したのだが、その店員さんは頑として否定し続けた。
さらには「もうすぐ木型が変わるだろう」とほのめかした。
今から思えばそうだと思う。木型を変えなければ、海外ブランドから違法コピーで訴えられる可能性が有る。
だが、今もその日本の新しい靴ブランドの商品のなかに、かつての海外ブランド〇〇の靴とそっくりのものが見受けられる。
たぶん、海外ブランドの撤退を嘆く日本の女性たちを救済する手段として、海外ブランドと日本ライセンシーメーカーとの間で痛み分けがあったのかもしれない。

今回の靴の整理で、その海外ブランド〇〇の在庫のほとんどを手放すことにした。
ダブルで買ったので未使用の靴も複数ある。
どうしてダブルで買うほど気に入っていた靴を手放すのか?
理由は、私が齢をとったからである。
手放す靴は、ヒールが7.5cmの靴ばかりだ。
7.5cmヒールを履いて通勤していた当時は、その靴で走っても何の問題も無かった。
というのは、さすがスニーカーブランドによるコンフォートシューズだけあって、一見オフィス靴にも見える、その靴底(ソール部分)が、衝撃吸収性に優れたゴムの一体型ソールで、安定性もバツグンなのだ。
だが、それから幾年月を経た2年前、私は、近場用のペッタンコの靴を履いて近所のスーパーからの帰りに、道路の縁石につまづいて顔から道路に落ちて、顔を怪我したのだ。
その際に、湿潤療法なるものを知り、それを提唱するお医者さんに行って、ワセリンと食品保存ラップを使って、傷が目立たない程度に回復した。
だが、そのとき私は思った。自分はもう若くはない、と。
そして、齢をとればとるほど、転ぶことが致命的になることも知るに至った。骨密度も同年代比較で低い。
私はもう転びたくない。
だから、これからの自分のサバイバルのために、断腸の思いで、ヒールが5cm以上の靴を、その気に入っていたブランドの靴も含めて、すべて手放すことにしたのだ。


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ここで、私が目指す、溜めすぎるな!の方向性を今一度確認する。

モノについて
 モ① もらったモノは、基本的に捨てる。
 モ② 10年以上経ったモノは、「捨て」を検討する。

   例外:将来カネになりそうな貴金属(金・プラチナ)や、
    死んだら棺桶に入れてほしい個人的にプライスレスなモノは、
    保有し続ける。 
 モ③ つまらないモノには、近づかない。

ストレスについて
 ス① もらったストレスは、すぐ脳の外に出す。
 ス② 稼働していない人間関係は、基本的に終わらせる。
 ス③ つまらない情報には、近づかない。

このブログの目的は、還暦を目前に、
家の中と脳の中をスリム化+最適化することによって、「シニアのミニマルライフ」ならぬ
「シニアの実(み)の成るライフ」を追求することである。

アラ還の生活を、少しずつスリム化+最適化して、
「シニアの実(み)の成るライフ」を目指していく。
家の中も、脳の中も、
 
溜めすぎるな!


🌳次回につづく🌳
 
🌳ものぐさゆえ、コメントにお返事できない失礼をお許しください🌳
 

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