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想い出のシステムコンポステレオ

(話題はちょいと想い出話になります)

 私はビンボーな家庭ではあったが、父の唯一の楽しみが、レコード鑑賞であったため、家に不釣り合いな「サンスイ」のでかいスピーカーがあった。毎週日曜ごとに、スピーカーから流れるでかい音。通常スピーカーは間隔をとって置くものだが、部屋にはそのスペースがなく、スピーカーは隣り合わせに置かれていた。安普請な家のためそばに近づくとレコードの針が飛び、怒鳴られる。
「静かに歩きなさい!」
 私が小学生の頃に記憶がある、掛けられていたレコードは、大雑把にラテンミュージック、歌謡曲(黛ジュン)、クラシック。
 私は私で、音の良さなどは気にせずに、小遣いでレコードを買う。小学生の頃は歌謡曲が多かったか。浅田美代子、アグネスチャンなど。他にはバレエを習っていたのでチャイコフスキーのバレエ組曲やポールモーリアなど。父が帰ってくる前に一人でレコードを掛ける。子供の私が雑に扱うのをものすごく嫌がるため、父がいる時は掛けられない。マンガ雑誌の付録にあった「ソノシート」などはもってのほかであった(ないしょで掛けていたが)。

 17歳で家を出てから私は、音楽を聴くことはやめられないので、何らかのハード面を買うが、お金がなかったこともあり、ラジカセ程度で済ませていた。また、音にはこだわりがなかったこともあるだろう。せいぜいダブルカセットの大きめなラジカセが贅沢であった。

カセット

 その意識が変わったのは、1980年代後半に登場したコストダウンされたミニコンポだ。見るともなしにヨドバシカメラあたりでミニコンポを眺めていると、目に飛び込んできたのはビクターのロボットコンボ「MX-M7」であった。
 その頃はパフォーマンスショーの仕事も順調にしており、ショーで使う音源の編集も重要な作業であったため、ランクアップしたハードを求めていたことは確かであった。その時にこのロボットコンボの出現である。ダブルカセットでCDもかけられる。スピーカーが電動で動き、音の幅、聞こえ方が変化する。なんということだ!私にしてみれば夢のようなコンボが目の前にある。私は一目惚れをした。これを買う!私の経済事情では少々高かったが、ローンを組んで買ったと思う。別売りのレコードプレイヤーも含めて。1988年頃のことである。

 そして我が部屋に現物がやってきた。自分で買った初めてのちゃんとしたステレオである。感無量。スピーカーの音も迫力があり、低音もきき、好きな音である。音の広がりは、「ホール」「ライブ」「ディスコ」「ロック」「チャーチ」「ウエーブ」など正確には覚えていないが6、7パターンがあり、その音に伴い、スピーカー上部に付属している、円形の小さなスピーカーの向きが変わる。そしてグラフィックイコライザーが表示されるのだ。
 私はステレオを楽しんだ。バーボンロックを片手に、蠟燭の揺らめきや、赤の電飾、イコライザーだけの明かりなどその時の気持ちに合わせてストレス解消をしていた。中でもよく覚えているのは、バッハの曲を「ホール」や「チャーチ」で聞く時だ。臨場感のある音が感動的であった。音に包まれている感じ。音が上から降ってくる感じが、この部屋の中で感じられる。音にこだわる人の気持ち、または、父のこだわりが初めてわかってきた気がした。確かにお金があったら、防音室を作って、でっかい音で聞ける環境にし、スピーカーにこだわるのだろうな。わかるな、わかるよ。と、一人頷いていたものだ。(音にこだわりがある方がこの文章を読んだら、ご批判があるだろうな。子供のような表現力ですみません)

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 物には寿命というものがある。
 少しずつ大好きなコンボに異変が生じ始める。1998年。これはカセット部の壊れか。出張修理依頼。無事帰還。私は物持ちがいい方である。几帳面ではないが、一つのものに愛着をもつからなのか、どんなものも長持ちする。2003年、CD部の壊れ。出張依頼。無事帰還。この時の担当の方が実にいい人、愛情がある方で「この製品は全ての部品が日本製でとてもいい時代の物です。どうか大事に使ってください」と話してくれた。私は感激した。今まで使ってきてよかった。修理依頼してよかったと、心から思った。私は「ビクター」という会社までが好きになった。
 しかし翌年。今度は音量が安定しなくなった。いよいよ心臓部、アンプの異変である。迷うことなく、前回きてくれた方を指名し、修理依頼。無事帰還。しかし、雲行きは怪しくなってきた。「部品がなくなってきているんです」。
 それからもう一度位修理に出したろうか。「申し訳無いのですが、直ったかわかりません。もう部品がないのです。また、不安定になるかもしれません」
 修理から帰ってきて、しばらくはよかったものの、やはり、音量の不安定が始まった。小さくなったかと思えば急に大ボリュームになる。「いいの。小さい音で聞いていれば」自分にそう言い聞かせて、だましだまし使っていた。まだ諦める気にはなれなかった。
「お願い。まだ音を聞かせて。あなたが本当に好きなの」
言葉で書くとかなり気持ち悪いが、あるいは本心かもしれぬ。

 2010年。音量不安定はもう上限を超え、音が出ないか、大ボリュームか、という位になってしまった。出張修理依頼。もちろん例の方である。帰還。彼の言葉は悲しげであった。
「もう部品がなくてね。手作りして直しましたけど、はっきり言ってまた起こると思います。もうこれ以上は直せないかと」
 最後であった。「MX-M7」を諦めざるを得なかった。でも、22年間、よく働いてくれたし、私を慰めてくれた。本当に感謝の一言である。

 壊れたコンポが愛おしくて捨てられなかったが、2014年、札幌への引越しの際、捨てざるを得なかった。心が痛んだ。悲しかった。たかがコンポにそこまで想うのはちょっと異常かもしれないが、私の中では、このコンポを大切にしてきた想いがある。このように愛着を持つステレオはもう二度と現れないだろう。だからこうして文章に残しておきたかった。ありがとう「MX-M7」。これでようやくお墓を建てられた気分だ。

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