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パフォーマンスいわれ1「歩道橋逆さ吊り」

1970年代後半。私は中学2年頃。日曜日の原宿歩行者天国(ほこ天)では、「竹の子族」や「ローラー族」たちが自分たちの踊りを自由に表現していた。私は羨ましかった。参加したい自分がいたが、コミュニケーションが不得意だったので、素直に飛び込んで行けなかった。そんな思いが心の奥底にずっと残っていた。

時は経ち、自分の感情表現ができるようになり、突然、記憶の奥底から蘇ってきたのが「路上パフォーマンス」だった。1988年。その当時はSMショー「オサダゼミナール」でストリップ劇場に出ていた。ステージの合間にSM談義をする毎日であった。閉鎖された空間でショーをやること、ステージに立ち照明を浴びることは、もちろん楽しかったが、何か解放されたかった。

この頃寺山修司作品の映像をよく見ていた。寺山映像作品は、野外ゲリラ撮影が多い。そんな影響もあったのだろう。

路上パフォーマンスをやりたい!誰にいわれるまでもなく、思い立った。そしてやるならビックリするようなことをしたい。折角ロープの達人がそばにいるのだから、歩道橋から逆さ吊り、なんていうのはどうだろう。そしてその場を写真週刊誌「フォーカス」(新潮社)に掲載してもらおう。

私は思い立つとすぐ行動するタイプだ。さっそく「オサダゼミナール」の長田氏に相談した。まず場所だ。歩道橋から逆さ吊りとなれば、着地は道路。車が止まっている時か、車が無い時しかできない。信号で止まっている間では、あまりにも時間短い。となれば、歩行者天国だ。長田氏とロケハンに行く。銀座、新宿と見るが、ホコ天になっている通りはいずれも歩道橋がない。原宿は唯一、駅前だけに歩道橋があった。
もう、ここしかない。
 原宿駅前の歩道橋の上から、下を見下ろし、やり方を考える。歩道橋に滑車を掛けるのであれば、地面から吊り上がれるが、それでは面白くない。やはり上から降りる方が衝撃的であろう。そこで、あやつり人形のように両足と胴にロープを付け、少しづつ下ろしていく、という方法を決めた。それにはお手伝いしてくれる人が必要だ。私は信頼している幾人かに声を掛け、この荒事に時間を割いてもらった。

早速「フォーカス」編集部に連絡し、相談の上、日時を決めた。当時「フォーカス」は「ヤラセは一切ない」としていたが、こういったパフォーマンスやエロネタは事前相談があった。決定してから当日まで、私は最悪の場合を考えた。警察に捕まる。事故が起きる。いずれにしても他人に迷惑を掛けるわけにはいかない。私は「全ては私がやらせたこと」と本名で捺印し、遺書をしたためた。

11月。パフォーマンス当日、長田氏を含めスタッフ五、六名、何かあったら「私から頼まれた」と云うように話し、役割を決め、終了後はバラバラに解散し、〇〇で集合、と決め、歩道橋の上に向かった。
 左右の足首のロープを結び、胴縄を支えでとる。このロープを三人で持ち、下まで下ろすのだ。歩道橋の高さ約七メートル。ここから降りるには、まず手すりをお腹から乗り越えなければならない。判っていたものの、いざとなると恐怖感が湧いてくる。私は高所恐怖症なのだ。

「ちょっと待って…」
 私はどれ位見下ろしていただろう。なかなか決心がつかない。しかし今更やめられない。忙しい中、こんなことに時間を割いて手伝ってくれている人がいる。私は覚悟を決める。
 よし!歩道橋の手すりにお腹を当て、乗り越えるポーズに入った。後押ししてもらい、腰下まで降りかかったところで、いよいよスタートだ。
 絶対に成功する、私は皆を信じ、三本のロープに全てを預け、路上までの逆さ吊りが始まった。二度と出来ないであろうこのパフォーマンス、いい写真にして欲しいと、ただただ、祈るだけであった。
 時間にして逆さ吊りは五分もなかったであろう。だけど私にはひどく長く感じた。地面が近づいてくる。まず手を地面につけ、片足ずつ地面につける。地上にいるスタッフが駆け寄り、ロープを外し、私に服を渡す。私が地上についたのを確認し、スタッフは皆バラバラに解散する。私もサッと服を着て、何食わぬ顔でそこから立ち去る。ちょうどその時、駐車禁止を取り締まる警察官が来た。危機一髪!警察官はこの荒事に気づいていなかった。

 そして集合場所。全員無事に揃い、カメラマンもいる。皆にお礼を言い、少し興奮気味に歓談し、このパフォーマンスは終了した。後から考えれば地上についた時、もう少し見せ方があったと思うが、初の路上で、しかも事故を一番に心配していた私は、そこまで考える余裕はまったくなかった。
このパフォーマンスは無事「フォーカス」に掲載され、後に友人となる人たちは「え!あの歩道橋の人がアナタなの!」とびっくりされた。やる前の極度の緊張感、終わった後の達成感。この快感はライブでしか感じられないものだ。
 これ以降、度々フォーカスにパフォーマンスシーンが掲載され、独自の路上パフォーマンスを行いだしたのだった。

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