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アマゾンギフト券の誘惑に負けた

先月末引っ越しをして、自室の窓にカーテンをつけた所2,30cm丈が足りず喪女のロングスカートみたいになってしまった。すぐ様ニトリで178cmのカーテンを買ってきたのだが、採寸をしてなかったため家に帰ってすぐ己の過ちに気づく。うちの窓は喪女じゃなくてチェ・ホンマンだった。

200cmのカーテンは一段と値段が張るため今度はアマゾンで商品を探すことにする。密林はニトリよりも物価が安いようですぐにいい商品が見つかったのでそれを購入。自分は誉あるプライム会員だったので翌日には商品が届き一件落着、かのように思えた。200cmでもカーテンの丈がほんの少し足りず、あぁチェ・ホンマンは身長200cmより高かったなぁとか考えていた自分の隣にこんなものが落ちていた。

う〜ん、これは怪し、い?でもタダでアマゾンギフト券くれるなんてめっちゃラッキーじゃん!と思いながらもとりあえず机の上に放置しておいた。

それから数日が経った頃、同居人がふと思い出したかのようにこの紙を眺め、ギフト券貰おう!と言ってきた。自分でするのは面倒だったので、1000円分の水でも買うことにし手続きは同居人に任せた。QRコードはLINEのIDだったため、とりあえず商品の使用体験を送る。既読がすぐにつかなかったため手動であると判断し、画面の向こう側にいる誰かに少し手間を取らせる申し訳なさを感じた。

少しして時刻は20時前あたり、定型文然とした謝礼文が送られてきて、こんな時間まで仕事とは大変だなぁと思いながらも、やっとギフト券が貰えることに安堵していた。しかしその謝礼文の続きには、こう書かれていた。

「お手数をおかけしますが、もし弊社の商品とサービスにご満足いただければ、アマゾンで5星のレビューをご投稿をいただければ幸甚です。片言でもオーケーです。
ご満足いただけるまで、全力で対応させていただきますので、何卒お願い申し上げます。」

前言撤回。先程までの安堵は消え失せ画面の向こう側に抱いていた負い目は敵対心へと変わった。思えば紙の裏面「商品の使用体験をシェアしてください。」という文を見た時点で嫌な予感はしていたのだ。何をそんなに、と思うかもしれないが自分にはこの世でどうしても許せないものが二つあった。一つは戦争、もう一つは甘い餌に釣られたヤラセレビュー。他人を貶める趣味などないが、通販やアプリストアでよく見る★5「よかった」のみの明らかに裏で何かあっただろうレビューに対し心の低評価を押す日々を過ごす自分には、それと同じことをやってのけることなど到底出来なかった。星5レビューするだけでいいんだからという同居人を黙殺し、ただアマゾンギフト券を黙って渡せという旨の伝言を頼みその日は終えた。

それから数日後、会社の昼休みであろう時間に同居人からLINEのスクショと共に「レビューをお願いします」とのLINEが届いた。スクショはやはり「お手数おかけしますが……」の定型文だった。昼下がりに二度寝から覚めた最高の気分に泥を塗られたようで自分はその頼みを一蹴しようとした。別にここで貰えなかったとしても損をするわけではないのだ。しかし同居人はどうだろうか?友人の矮小な誇りのために自分の頼みも無下にされアマゾンギフト券も手に入らない同居人は

……………。

日がな一日ダラダラするのも体に毒というもの、ここは一つ、友人の頼みだ。戯曲を演じるのも悪くない。これは決してアマゾンギフト券が欲しいとかそういう次元の話ではないのだ。そうと決まれば善は急げ、レビュー画面に飛び黒星5つ、そしてレビュー、タイトルの追加。…いや待てよ?ここで安易によかったなどと文字を打ってしまえば自分は愚かな道化に成り下がってしまう。笑わせることはあっても笑われることはあってはならないのだ。観客席で嘲笑っているだろうチャイニーズにせめてもの一矢を突き立て送信ボタンを押した。

レビューを送った旨を同居人に伝えた今、自分が達成感を感じていることに気づいた。早くこの陳腐な戯曲を肴にアマゾンギフト券で買う水を嗜みたいものだ。そう思いながらカーテンを開き、朝いや昼の陽射しを浴びた。う〜んいい天気だ。一級遮光で遮られていた部屋に陽光が漏れる。
やっぱこのカーテン、買ってよかった。

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