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【他者への嫌悪感】は【己の負の要素の投影】

他者に対して感じるネガティブな感情。
「この人はプライドが高くて自分勝手」と感じたなら、自分自身がプライドが高く自分本意の人だということ。
「この人は何かすかした態度、気取ってる人」に相手が見えたのなら、自分が気取り屋さん。

相手に対して感じる嫌悪感は自分自身の中にあるものだからこそ、
その部分が気になる。
その嫌なところを相手(他者)を通して見せられている、自身を投影しているのです。

このことを最初に知ったのは(記憶が曖昧ではありますが)村上春樹の著作であったような気がします。
村上春樹は心理療法家の河合隼雄先生と対談をした本を出版しており、

「自分が小説を書く、という行為を上手く捉えてくれたのは河合先生だけだ」

村上春樹がどんな表現をしたかは正確ではありませんが、大体そういう意味のことを言っていました。
村上春樹はすっかり河合先生のファンになってしまったと言い、それがきっかけで私は河合先生の著書を読み漁った時期がありました。今では私もすっかり河合隼雄先生のファンです。
今の日本の状況は河合先生にはどのように映っているでしょうか。
空の上からご助言を頂きたいです。

素顔で過ごすも、口と鼻を覆うも個人の判断。
間もなくそのアナウンスが発せられて1ヶ月がたとうとしています。

まだ多くの人が相も変わらず口と鼻を覆うことを継続しています。
「個人の判断」と高らかに告知しても、元々個人で判断してきた結果が今の状況ですから、それは鶴のひと声になることもなく、結果劇的に変化などするわけもないのだと思い知らされました。
目の前に広がるこの不気味な光景に何度首をひねったことでしょう。どうしても慣れることができないし、慣れたくもない。
以前にも増して、なるべくすれ違う人に焦点を合わせないように防御している自分がいます。
奴隷のようだと思いたくはない。

仕事を終え、帰宅時の電車内。
隣に座っていた長身でやせ型の野菜のような20代男性。
ウレタン素材の口と鼻を覆うグッズを外したり装着したりを20分ほどの間に、3度ほど繰り返していました。
何をしていたのかというとハンカチで口の辺りを拭っていたのです。

また別のとある日、気温が高く少々混んでいる朝の電車内、私が立つ目の前に座っている50代女性がヌーディな色味の口と鼻を覆うグッズをつけたまま、パタパタと顔を扇子で扇いでいました。

「素顔になればいいのに」

口と鼻を覆うことが快適であるならば何も言うことはありません。

わざわざ「素顔になりやすい状況」をお膳立てしてくれているのに、
自らが変わろうというアクションをなぜ起こさないのか。

「不愉快」「バカ丸出し」

そういう感情が沸き起こる。
ネガティブな感情に蓋をすることはなく、その感情を眺めてみる。

「他者への嫌悪感は己の負の要素の投影」

自分の内面と向き合うことは時に苦しい。一向に変わらない人々を目の前にして考える。

変わりたいけど変われないのは自分自身なのかもしれない。

それならばその目の前の「あんぽんたん」が変わることを諦めることなく信じて待たなければと思う。

そう思わなければ、この絶望的な状況に絶望しつ続けるのはあまりにも
苦しすぎる。


紫が美しいあなた。また会えましたね。

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