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バセドウ病を半年で完治させられたわけ🌹②愛を受け取る。病院選びのプロ。副作用という愛♥️


こちらの続きです。

病気って自分だけじゃなく、子どものことも、

選択と決断の連続なんです。


#バセドウ病

になると、数値だとか治療経過だとか副作用だとか凄く気になると思うけど、

私、数値に全く興味がなかったんです。

地球の価値観、数字に振り回されすぎだよ。


この世界は、

数字でははかれないものが多く存在し、

それを求める人が多く存在する。


そのひとつが、

愛です。

愛って数値化出来ないですし、数字で表す概念すらない。

精神的豊かさが最も求められ、

精神的豊かさからしか、

物質的豊かさが生まれない風の時代です。

 

精神的豊かさが乏しくても、

物質的豊かさが手に入った地の時代は終わりました。


バセドウ病の人は、わかってるでしょ✨?


わからないのなら、

あなたは知らなくちゃいけない人です。


親しい友達、信頼している人だけにしか

バセドウ病になってることを言わなかったんだけど、

みんな、どんどん情報をくれてさ、

情報という愛です、全て。


そして、コロナという地球最大のギフトも

バーン!!と来てくれた🎁

これまでの私なら、

東京都内にある、

バセドウ病、橋本病の専門で

あまりに有名な病院に行っていたはずです。

迷うことなく。

しかし、あの時の私にはその選択肢は皆無。


長女も次女も、生まれた時に鼻涙管閉塞していて

街の眼科に行ってその日に大学病院の紹介状を書いてもらったことがあるんだけど、

医者の腕や経験やスキルって、

1発でわかるんです、私は。


価値観が古く、依存体質で、

地位や肩書に価値を置くバカって、

「医者が言ったことは絶対」みたいに言うこと聞くけど、

医者も人間だし、医師免許と人間性は全く別です。

肩書に目が眩むと、

その先生の志を見失う。

開業医は、ビジネスです。

こんな当たり前のことすら見失う。

心底、人のお役に立ちたい。

と、スキル、経験、知識をアップデートさせるドクターもいれば、

そうじゃない人もいるし、

そこに善悪はない。

ただ、私は専門知識と免許や肩書に目が眩まないだけです。

私は、私の感じたことを信頼する。

だって、私の体のこと。

私が誰より感じているから。



長女を連れてった街の眼科は「生後半年まで待ってから」と言ったけど、

産んだ私が気づいて、産んだ私が違和感を抱いたんだから違うんです。

大学病院に行ったら、ほら!!

その日に処置してくれて、2人とも生後2ヶ月の時に鼻涙管を通してもらって完了。

次女は陽射しの下で片目を瞑るくせが赤ちゃんの頃からあって、

私も眩しいのが苦手だし、目が茶色い子ってそうだから、

我が家は色素が薄い家系で、色素の薄さって目に出るんです。

おじいちゃんも、叔父も叔母も目の病気をし、

私は色弱、妹も目の病気(街の眼科では放置、大学病院で完治)だから、

次女もそうかな〜ぐらいで、

鼻涙管閉塞を治してくれた大学病院で、

「1年様子を見よう。

この場合、先天性緑内障を疑うけどこの子は、

絶対に緑内障ではない」と言ってくれたから、

様子を見て1年おきに健診に行ってたんだけど、

本人が眩しさを嫌がってサングラスをかけるようになったから、

ママ、出番です!!


国を超えてでも探す気満々でしたよ、私は。

私が納得するまで、どこにでも行くつもり。

母親の強さってこういう時に発揮すればいいし、

ご飯作ってお世話して自己犠牲に酔っ払うのは、

弱さでしかないです。

それやってると、強さは発揮できません。

「小児眼科」で検索して、

わずか10分もせず、

ここしかない!!!

と、見つけました。

都内の大学病院を。

街の眼科に紹介状を書いてもらいに行ったら、

学会のしがらみでしょう、書けないというから、

次女を産んだ病院の眼科を受診して、

「何にもないですよ、癖ですよ」という先生に、

「いいから紹介状を書いて」と言って、書いてもらったんだけど、

まあ、めんどくさいですよ。

待ち時間は長いし、検査も1からだし。

なんなら、頭がおかしい親みたいに扱われるけど、

私が決めたことに、誰に何を言われても関係ないです。


頭がおかしくて結構です。

絶対に違う確信しかないので。


そして、都内の大学病院へ。

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その日の写真です。

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2017年6月、次女3歳👑

サングラスかけてるでしょ?

眩しくていつもこうだったの、本当に。

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この頃には、私はバセドウ病を発症していたのか?

発症する寸前だった気がします。

何時間かかるん??レベルの待ち時間。

研修医が診察して、若い先生が診察して、

まさかの、

「次回、准教授が診察します。」


こういうものです、大学病院は。

結果から言うと、

私の感覚通り、

ここに来て良かったんです。


今までとは全く違う結果でした。

そして、私はめちゃくちゃ納得。

成長を待つことに、

「御意」


産まれた時からクリクリの大きな目をした次女、

まつ毛の成長が目の大きさに追いついてなかったんです。

笑えるけど、これほんと。

というように、納得するまでどこにでも行く私が、

東京に行かなかったのって、

「コロナで都内に通えなくなる」と言う理由じゃなく、

友達が教えてくれた先生の名前を聞いて、

初めて聞いたんだよ、もちろんね、

「あ、この先生だ!」

って確信したんです。

そして、クリニックから紹介状をもらい甲状腺の専門医のところに。


「この数値だとめちゃくちゃしんどかったはずだけど、本当に気づかなかった??」

って言われるから、

若年層の更年期勘違いなどなどを説明し、

メルカゾールで治療をすること、

「長い治療になるから、気楽に気長に

焦らずに、無理をしないで」

などなどを説明され、

私からは、

「バセドウ眼症になることは避けたいから、

検査をして欲しい」と伝えて終了。

この翌週、MRIを撮り、

バセドウ眼症はないことを確認して、

メルカゾール生活をしていたんだけど、


あ、そうそう、

先生に会った瞬間、

「どうぞよろしくお願いします」

って心底思ったから、間違いなかったんです。

そして、長いお付き合いになるのも間違いないんです。

完治したけど、ホルモン剤は飲むからね。

先生とは長いお付き合いでも、

私はバセドウ病とは長いお付き合いをするつもりはサラサラなかったんです、

この時から。

2月の記憶、ないです。

ずっと寝ていた気がする。

そうだ、段々と、日増しに、

幼稚園のお迎えで階段を上がるのが、

息切れして、喋ると息切れするようになって、

愛しき副作用がバンバン現れたのが、

誕生日以降。


私、誕生日2月🎂

メルカゾールによる命に関わる副作用は出なかったけど、

製薬会社も想定外の副作用まで、まあ、

あらゆる副作用が出ました。

副作用があったからこそ、

私は決断したし、

副作用も愛です。


副作用に耐え忍ぶ忍耐は私にはないんです。

「副作用は仕方ない、病気を治す為だから」

と、日本人の大好きなセリフがありますが、

私は嫌です、苦痛です。笑


のちに出現する脱毛とか、デブったとか、

防ぎようのないものは仕方ないけど、

防げるものは回避したいじゃん。


メルカゾールで私が与えていただいた副作用を羅列します。


全身の関節痛。

特に膝から下の骨が砕かれるような痛さ。

この痛みが出た当日は一切ベッドから起きられなくて、手の指の関節まで疼く。

「まさか、リウマチ?」とググってみたけど、

そんなことより病院だわ!と、翌日駆け込み、

検査するもリウマチではなく、副作用。


常に微熱、咳。

もはや「コロナ?」と疑いますよ、これ。笑

毎日37.5前後の発熱に、咳。

隔離されて、肺のCTを撮影。

はい、副作用。


コロナに見られる肺の状態は確認出来ない。

思考停止。

これが一番ありがたかった!!

私はバセドウ病の副作用があるうちは仕事をしない、考えない!と決めていたから、

思考停止はありがたかったんです。


いや、ずっとじゃないよ。

その逆で、

頭が冴え渡りキレッキレになる。

という副作用も出現。

この時期、私に絡んできた、

馬鹿者がいるんだけど、やっぱりバカって

女を見下してるから、論破出来ると思うんでしょう。

キレッキレの私をどう論破するの?


私、正論を淡々と言うから、

ボロが出るのは向こう側。

自分の愚かさを棚に上げて論破したいという、

非常に世界観がミクロ、いや、

マイクロの人には、

淡々と正論を述べるのみです。

結果、論破の夢は叶わずあっさり敗北して黙って逃げたというオチ。

これは、時期が来たらネタにしますが、

この件に関わる裁判中だから待ってて。

許す許さないではなく、

人としての問題です。


この国は法治国家であり、憲法がありますからね。

やはり、人と人との間で、

軽率に法を犯してはいけませんのでね。

無知は罪。


振り返ったら、私、めちゃくちゃ元気!笑

副作用で体はクッタクタなのに、

精神の元気さがすごいね。

つまり、

肉体が疲労しても、

精神が元気、健全であればいいし、

私にとっての肉体疲労は、

精神の健全さを全面に押し出すということ。


精神の健全さとは、

ありのままの私。

私の真実。


副作用という愛をありがとう♥️


他の副作用は、

頭痛、浮腫、

バセドウ病の見本かのような、

バセドウ病の全ての症状の出現。

汗が止まらないし、手が震えるし、

動機、息切れ、怠さ、とにかく眠い、

寝ていた時間が、赤ちゃん並み。笑

7時間寝て、少し起きて寝る。

という、本当に赤ちゃん並み。笑

3時間おきに起きないよ、赤ちゃん。

この写真の次女、やっぱりサングラスかけてるでしょ?

次女続きでこのまま書いちゃいますが、

3月、次女の卒園式。

小学校は休校になり、日本人が大騒ぎし始めた頃ね。

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私は、ムスメズの節目はお着物と決めています。

これは、私の中での

最大の感謝と敬意と尊重と尊敬を、

服装で表現する行為です。


自己表現の1つです。

髪の毛のセットに着付けに時間がかかるけど、

私はお着物が大好きだから、大好きなお着物で、

お世話になった先生、両親や全て、

ここまで生きていてくれたムスメズ、私にとっても楽しい時間をくれた園生活、

何もかもへの感謝と、全ての人の存在への敬意と尊重と尊敬の溢れる想いを、

お着物という日本の芸術で表現したいんです。

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ガッツリ気崩れていますが。笑

次女は眩しそうですが。笑

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インカメで撮影したから着付けが逆になっています。

ラインストーンに刺繍、この世に1枚しかないお着物、私らしいじゃん✨

でね、この時は、

立ってることが精一杯。

座ってるのも精一杯。


メルカゾールを飲んで痩せていた時期だから、

お尻の骨が痛いし、わずか5分立ってるだけで

膝から下の骨が砕かれる痛みに襲われて、

痛みで冷や汗が出てくるのよ。

教室で先生との最後の会、

号泣したから痛みを忘れられたものの、

一瞬でも気を抜いたら痛くて痛くて死にそう。

誰にも悟られないのが私らしいなと思うけど、

帰って、帯と紐を外して、

全て脱ぐ前に寝たぐらいキツかったのよー。

動くと息切れするから、動かないことを心がけて生きていたから、

休校はとてつもなくありがたかったんです。

私の身動きが制限された時を同じくして、

国の身動きが制限された。


私って、どこまでも強運なんです。

バセドウ病の人は、メンタルが強いから、

言わないだけ。

副作用は、めちゃくちゃしんどい。


あの姿をムスメズに見せられたことは、財宝です。

続きます🌹










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