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結局、大切なことは、「自分の人生の決定権」を誰にも渡さない、委ねないこと🌹


何回も何回も何回も何回も言ってきたけど、

結局はここですし、これです。


自分のやりたい事やってるし、
自分で決めてるし〜。

って言う人の大半が、

自分の人生の決定権を誰かに渡し、
誰かに委ねていることに気づいていないです。


今日は何を着るか。とかは決めてるかもしれないけど、

私が言ってるのは、こんなことじゃない。

自分が1番したいことをすること、

自分が1番欲しいものを手に入れること、

自分を愛すること、

誰かを愛すること


この決定権を誰か次第にすること、

現実に振り回されることが、

人生の決定権を誰かに渡し、
誰かに委ねてるってこと。


例えば、

夢があるとする。


「でも、無理だし」と、諦めることも、

誰かに話して、

「無理よ、やめときなよ」と、言われて

諦めることも、

同じです。


決定権を誰かに渡している人は、

「無理よ」という誰かの言葉を欲しがり、

それにより、
「やっぱり無理よな」と、

諦める決定打を欲しがる。

そして、いずれは人のせい。


諦めない人って、どれだけ反対されても
諦めないもん。


「これがやりたい!」と言う。

「旦那に反対された、親に反対された」

で、あっさりやめるのは、

依存関係なだけ。


やりたい事をして、失敗して
プライドが傷つくのが嫌だから、

損するのが嫌だから、

反対を求めているだけ。


反対されることにより、

「あんたが反対したから、
出来なかった」


という、正当化と言い訳と「責める手札」が
欲しいだけです。

依存関係の典型的な構図。


本当にやりたければ、反対された時に、

「あなたの言う通りにして、一生後悔したら
あなた責任取れるの?

私の人生の責任取れるの?

取れないよね。

私の人生の責任は私に在るのに、
反対するのって、無責任ね。」

と、言えるし、

まず、
なぜ、それがやりたいのかをプレゼンできます。

「尊重してほしい」とも言えます。

誰かの許可を欲しがる時って、


いつもどーりに勇気が出せない自分を
承認して欲しい時か、

いつもと違って勇気を出す自分の
背中を押して欲しい時です。


つまり、どっちも承認してほしいんだけど、

決定権を誰かに渡してると、
誰かの承認を欲しがる。


自分が許可していれば、
自分で決定できます。


決定した上でしか、次の一手は
生まれない。


別に、どっちでもいいことは
どっちでもいいけど、

人生の決定権は、誰にも渡せないってことを、そろそろ知らなければならないです。


全て、自分が決めた結果が、

今の自分の現実ってことを受容する、
認めること。


これを恐れている人が、

人生の決定権を誰かに渡す。


これって、


その「誰か」の方が、
自分より出来る、自分には力がない、

と、自分を弱者にしているように見せかけて、


出来るんだから。と、期待して、
責任を投げてる状態。

責める準備は万端。


つまり、

自尊心を傷つけているんです。


これをやってる限りは、

愛から分離する。


自分の中にある愛から分離している状態って、

当たり前に詰むし、人生楽しくないから、

人生が楽しくない。と悩む必要はないです。


原因は、愛から分離しているだけなので。


人生の決定権を誰かに渡す、委ねるって、


愛することを手放すってことだからね。


依存している人で、
自分を愛している人は、

ひとりもいません。

誰かを愛している人も、
ひとりもいません。


自分を愛したいと望む人はいるけど。

依存関係って、

愛より、損得に焦点を当てるから、
ますます愛から離れるし、

その関係は、どんどんダークサイドに沼るだけ。


依存していると、パートナーや親に

完璧を求めます。


親子関係を終わらせていない人が、
パートナーと上手くいかないのはこれ。

親に求めていた、

「自分が思う完璧な愛し方」を

パートナーに求める。

子どもにも完璧を求める。


「なんでこれが出来ないのよ」などなど、
とにかく出来ないことにフォーカスし、怒る。

そりゃそうなるんです、

だって、依存心って、

自分より出来る誰かに向けた期待なので。

完璧を求めるのは、

自分が完璧じゃないことを受容できず、
自分を責めているからだもん。


完璧なんて存在しないなに、その幻を
誰かに求めているんです。

つまり、求める誰かを奴隷にしてるってこと。


これが、依存関係=支配関係の、
典型的な構図。


なぜ、こうなるか?

自分の望みを言っていないからです。

我慢しているから。

怒りたくないから。


このあたりは、人それぞれの背景があり
もっと深く踏み込んで知る必要があるから、
これ以上は書きませんが、
(つまり、コンサルや個人セッションで
話さなければわからない領域ってこと)

基本セットはこれです。


誰を愛するかを決めるのも自分。


自分は自分を愛せない。という思考は、

私には自分を愛する力がないから、
あなたが愛してよ。


と、お決まりの自分は出来ないけど、
あなたは出来るでしょ?

という無意識でやってるんです。


自分が自分を愛すると決めるのも、

自分は自分を愛さない。

と、決めるのも自分であるのと同じで、


誰かが、誰を愛すると決めるのも
誰かです。


「愛してよ」と、自分で自分を愛する力を手放しているとこれに気づけないし、

愛を受け取り拒否します。


「愛してよ」と要求しながら、
必ず受け取り拒否します。


「この人が誰を愛するかを決めるのは、この人。」

だという、尊重が出来ない。

そして、

「こんなに愛してるのに」などなど、

「こんなにしてるのに」などなど、

損得勘定からの、トレードが始まる。


自分で自分を愛することが、
最善、最高なんです。



「誰かの方が出来るから決めて」と、

自尊心を傷つけるのをやめることも、

愛することです。


何が欲しいか、何が得たいか、
何がしたいか、何を言いたいか、

どんな人生を歩むか、

決めるのは自分。


だし、依存して、誰かに決定権を渡していたとしても、渡し続けても、

あなたの現実にそれが全て現れるから、
責任はあなたにしかないんです。


って、わかっていてもやめられないのが
依存。

心底やめたいと思わないと、
やめられないです。


依存するメリットに執着しているうちは
やめられないです。


自分の中にある愛を感じないと、
心底やめたいと思わない。


ただ、これって無意識だからね。

本当に自分を愛したいなら、
行動します。


行動しても、自分を愛せないなら、
その行動がミスってるだけ。

ミスった行動を決めたのは自分。

って、認めたら、人は変化していく。


目の前の現実を認めないで、願い事をいくら
唱えても叶わないのよ。

認めた上で、願い事を唱えれば
叶います🌹


人はみんな、自分の望む世界を
創造している。


人生の決定権を誰かに渡し、委ねるってことは、

この素晴らしい力を捨てるってこと。


つまり、

誰かに決定権を渡した現実を創造しているってことです。

誰かに決定権を渡した、不満のある、
望んでいないはずの人生を生きることを
選択しているということ。


こうなると、
宇宙の法則を破壊しているので、

「今この瞬間」がなくなる。


「在る」という世界で生きるのが、人間なのに、


「無い」という世界で生きているから、

「不足、不満」を感じるんです。

不安もそう、恐れもそう。

「何やっても変わらない」って人は、

やることをミスってるんです。


何やっても変わらないほどやってきたなら、
抜本的に変えなきゃいけないって
わかってるはずなのに、
何をしていいかわからない状態。

ここで、ちゃんと、

「私にはわからない、私の力では無理だ」

と、認めることは、

「自分を弱者にした風にする」とは、
全く違います。

その先には、

自分で自分を愛したい。が、あるんだから。


その願いを、尊重するかしないか、

その決定は自分にしかないです。

この決定権を誰かに渡すから、
いつまでも、愛の受け取り拒否をする。


自分で決めた瞬間に、必ず行動します。


女だからね、女って愛したいんだから🌹

百合が全開🌹

美しい♥️✨

ピンクの百合、大好き♥️

YouTube、投稿していないけど、
あえてです。

私のチャンネルのコミュニティに書いています。

noteも更新しないつもりだったけど、
これを書くことを抑えきなかったから書いたのよ🌹

書くように導かれた感じ🌹


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