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死ぬ前に食べたいご飯問題

先日、友人と「死ぬ前に食べる最後のご飯は何にするか?」問題について話した。

友人曰く、この話題はその人のキャラクターが出るのでよく人に聞くのだが、友人本人は何を食べるか決めきれず、スパッと料理名が出てくる人が羨ましいとのこと。

私も、好きなものはいくつか思い浮かぶものの、本当の本気で考えた場合、その時の状況にもよって欲する料理は違うと思った。

死ぬ直前の状況にもよる。
闘病中で、現在と同じ味覚を持っていないかもしれない。
母の手料理に行き着く気もするけれど、順調に歳を重ねた上での臨終ならば、きっと私よりも母の方が先に逝っているだろうから、母の料理は無理だろうとか。
健康体だけど、隕石が落ちるのを避けられないとかで◯月◯日に死ぬとわかっているのか。
例えば、カレーとか味噌汁がとか言ったとしても、どこの店のもの・誰が作っているものでもいいってわけでもない。
むしろ、店の味だった場合、その時店がやっているかどうかもわからないし。

色々な条件があるし、自分の死ぬ時の気分もあるだろうから、
予選リーグを勝ち残ったベスト20くらいの候補をあげておいて、
その中から決めたらいいじゃないか、という結論に至った。


その日の帰り道、その話題を一人で考え直した。

もしも本当に自分が死んでしまうとして。
そうだな、今病気が見つかって1年後に死ぬ場合。
私は本当に何を選ぶだろうか。

その時に思ったのは夫のことだった。
決して料理上手とは言えない私だが、夫は私の料理を喜んで食べてくれる。
その中に夫の好物とか、何度もリピートしている定番のおかずもある。

もし、私が本当に死ぬとしたら。
〇〇のお店の◯◯が食べたいと思うかもしれないけれど、最後の最後は夫にご飯を作ってあげたいかも。
そうすると、夫にだけ作って私は別のものを食べる、という選択肢はないだろうから、きっと一緒に私が作ったご飯を食べるだろう。

すると、私が最後に食べるご飯って、自分が作ったご飯かもしれない。
そう思ったのだ。

35年生きてきて、死ぬ前に食べたいご飯問題について思考したことは何度もあったけれど、自分が作ったご飯がランクインする日がくるとは、つゆにも思わなかった。

家族を持つことによって、行動の選択肢が変わったと思う瞬間はたびたびあるが、ここにも結婚の影響があったのか…と思い知らされた。


とはいえ、死ぬ時は、大好物を食べて死にたいから、エンディングノートの一環として、1ヶ月前からの各3食分のリストは作っておこうと思う。

ひとまず、デザートの部は、色々食べてきたが結局のところ、トップスのチョコレートケーキに立ち返るので、死ぬ1ヶ月前から常に冷蔵庫に入れておこうとだけ、心に誓った。

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