2010年01月26日(火)
午前四時半、目を覚ます。まだ眠る街に向かってからりと窓を開ける。冷たい冷たい風がふわりと部屋に流れ込む。ふと見れば、ゴロがこちらを向いて立っている。おはよう、ゴロ。私は声を掛ける。ゴロは鼻をひくひくさせながら籠の入り口に近づいてくる。ちょっとだけよと断って私は彼女を抱き上げる。おとなしいゴロは、ぺたんと私の掌にくっついてじっとしている。私は指先で彼女の頭と腹を交互に撫でてやる。
お湯を沸かし中国茶を入れる。ゆっくりと口に含み、こくりと飲み込む。ほっくりとした味が体にすっと溶け込んでゆく。しばらく窓を開けているとじんじんとしてきそうなほどの冷気。私は窓を半分閉めて、お茶の続きを飲む。
ホワイトクリスマスのなくなったテーブルには、今、ベビーロマンティカが咲いている。ホワイトクリスマスの何分の一ほどの、小さな小さな花だ。明るい煉瓦色が中心に向かって黄色に変化している。多分咲けば咲くほど色が変化してゆくのだろう。小さい花だから、その変化を見落とさないように見つめていないとと思う。
そういえば昨日の夜、娘がこの窓から星座を観察していた。理科の宿題なのだという。三十分おきに空を見上げては、ノートにそれを記してゆく。私も昔々、そんなことをやっていたなぁと思い出す。星の色、瞬き方、傾き方、すべてが新鮮だった。不思議なもので、その最中は夢中で、冬の寒さなんて全く感じないほど。そうしてあっという間に星座は西に傾いてゆく。
普段なら病院のある日。カウンセリングの予約が取れず、ぽっと空いた月曜日。友人と会う。普段の彼女に比べると食欲が無い。訊いてみれば、ちょっとダイエットが、と返事が返ってくる。ダイエットをするような体型じゃぁなかろうにと思うのだが、それでも友人は普段の半分以下しか食べない。それに反するように、私はいつもより食べなくてはいけないような気持ちに駆られ、やけにぱくぱく食べてしまう。
搬入は火曜日。まだちゃんと最後の荷物の確認を終えていない。なんとなく延ばし延ばしにしてきてしまった。今日帰ったらちゃんとやらなければと思う。
そして27日は自分の或る意味での命日。事件のあった日。今正直、それをどう捉えたらいいのかが分からない。言語化することができないでいる。いつもならどわっと溢れ出る気持ちがあるのだが、それがもやもやと、混沌としていて、なかなか言葉にならない。
胸と胃の辺りに溜まったこの混沌。それが、やけに重い。
空がぐいぐい変化してゆく。塵に溢れていた朝方、雲のひとつもなくなった昼間、そしてすとんと日が堕ちてからはくっきりと横たわる闇色。
その中を駅まで友人と歩く。半月がぽっかり、空に浮かんでいる。
ママ、ママ、二問ミスだよ。何、それ? だから、算数のテスト。二問しか間違えなかった。おお、頑張ったじゃん。うん、先生にも褒められた。先生からね、鉛筆もらったよ。へぇ、よかったじゃん。うん、だからね、みんなで、クラス分けテストの時使おうって約束した。そうなんだ、じゃぁしっかり削って使わないとね。うん!
そういえば、今日もママ、ミルクに噛まれたよ。ちょっとだけど。あー、最近私、噛まれないように、ミルクを籠に入れるときは、タオルとかでぎゅっと包んで掴むようにしてる。へぇ、そうだったの? うん。ママもそうすればいいよ。分かった、今度からそうするよ。
月の光を浴びながら、自転車の前と後ろ、声を大にして私たちは話を続ける。たまには自転車もいい、と思うのだが、もうさすがに娘を乗せて走るのはしんどい。それでも途中で降りるのは諦めたようで、それがいやで私は意地を張って必死にペダルを漕ぐ。娘が後ろで掛け声を上げる。ママ、行け、ママ、行け! ただそれだけの言葉なのだが、間違いなく私は力をもらう。
他愛ない会話、他愛ないやりとりが、私をほっとさせる。混沌としているものがあるから余計に、ほっとする。
どうしても頭が心が向こうへ向おうとしてしまうから、せめて意識できるところでは、そこから外れていたい。そう思う。
中国茶を飲みながら、仕事を始める。毎朝の仕事。仕事があるだけありがたいと思う。これまでもがなくなってしまったらどうしよう。いつも、そう思う。
仕事をしながら、起きてきた娘に話しかける。ごめんね、今日授業参観なのに行けなくて。いいよ、ママいつも来てくれるもん。それに、今日、帰ってくるの、ちょっと遅い。勉強見てあげられない。うん、分かってる。チンすればいいようになってるからさ、この前の煮物。うんうん。ちゃんと食べるんだよ。分かってるよぉ。
そうして娘とココアとに見送られ、私は玄関を出る。アメリカン・ブルーの一本が、枯れ始めている。少し前からおかしかった。でもできるなら、と残しておいてあるのだが。もうやっぱりだめなのか。私は気にかかりながらも先を急ぐ。
搬入の日はやはり緊張する。無事に展示し終えられればそれですべて肩の荷が下りるのだが。それまでは、この緊張は続くんだろう。ウォークマンのヘッドフォンを耳に突っ込んでも、今日は上の空。とことことことこ、バスは進む。
それでも空は晴れており。南東から伸びてくる陽射しに手を翳しながら、同時に冷気に足をぷるぷるさせながら、私は先を急ぐ。さぁ、あとは電車を乗り換えて友人たちと合流すればなんとかなる。
明日はまた、明日、考えればいい。
そうして今日が、始まってゆく。
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