見出し画像

2009年10月21日(水)

何か耳元で動いた、その気配で目が覚める。何だろうと横を見れば、足。足? 確かに足だ、そしてようやく気づく。娘の足だ。身体を起こして見てみれば、娘がいつの間にか逆さになって眠っている。私は娘の足の甲をぱちりと軽く叩き、寝床から立ち上がる。まだ街は眠りの中、午前四時半。
Tシャツのまま玄関の扉を開ける。そこに広がるのは夜明けの気配。青と燃える橙とが交じり合う部分が、まるで輝いているかのように見える。日が昇る直前の茜色も好きだが、私はどちらかを選べといわれたらこの、交じり合う空の色を選ぶんだろうと思う。人の手では創りえないその色は、じっと力をこらえている、今か、今か、と。
挿したアメリカン・ブルーの枝は、今のところ真っ直ぐ天を向いている。ラヴェンダーの枝も。このままこの色のように力を貯めて貯めて、いつかぐいっと萌え出してくれたら、と、祈るように私は思う。
顔を洗い、化粧水を叩き込みながら、窓を見やる。空がまた変化している。さっきの闇色が薄らいで、夜明けの準備に入った気配。私は再び玄関扉を開ける。目の前に広がるのは。燃える茜の空と雲。この場所から見ると、ちょうど日の出る場所にビル群がある。だから、ビルは燃え上がるような様を見せる。全てのガラス窓が光を反射させ、その輪郭は燃え上がり。そして、日が昇るのだ。生まれたての朝。

朝一番、仕事が入る。二人展用の原稿が新たに二点、届く。私は早速プリンターを動かし始める。原稿を加工し、出力。プリンターが動き出すのを確かめて、私はハーブティを入れに台所に立つ。私の後方では、ココアが木屑を掘り返しては居場所を確かめている。
ちょうどステレオから流れてきたのは、リストの波を渡るパオラの聖フランシス。この曲を弾いたのはいつだったか。高校か大学の頃だったはず。はっきりは思い出せない。左手だけを何度も何度も繰り返し練習した。弾き終える頃には、腕がぱんぱんになるほど筋力を使う曲だった。それでも。美しい曲だった。決して吼えあがることはなくとも、力を湛えた曲だった。無事に弾き終えた時の爽快感はだから、たまらないものがあった。
中学の頃はベートーヴェンが好きだった。それが、いつのまにか、リストやバッハ、ラフマニノフに変わっていった。気づけば彼らの曲ばかりを選んで弾くようになっていた。そういえば、母や父はショパンが好きだった。私がショパンの練習曲を弾いていると、なんだかんだ言いながらソファに座り、聞いていた。それが嫌で、私はよく、練習部屋の扉を閉め切ったものだった。今思えば、もっと扉を開けて、彼らに聞いてもらっていればよかった。今だから、そう、思う。
ピアノの哀しい思い出が一つある。祖母だ。亡くなる直前入院するまでの半年、祖母はうちにいた。日に日に弱ってゆく祖母は、よく私のピアノを聴きたがった。祖母が寝ていた部屋は二階の一番奥。ピアノのある部屋は一階。だから、祖母に頼まれてよく、その頃は扉を開け放してピアノを練習した。でも。
何故だろう。祖母の最後の入院が決まった直後、祖母に改めてピアノをと頼まれた時、私は弾けなかった。どうしてもどうしても、弾けなかった。何度も弾いてくれと頼んでくる祖母に、私は唇を噛み、ただ下を向いて、拒否をした。そうして祖母は、そのまま入院し、死んだ。
何故あの時、あんなにも強く拒否したのだろう。何故拒絶なんかしたのだろう。何故ピアノのひとつくらい、弾けなかったのだろう。どうして。
認めたくなかったんだ、私は。これが最後かもしれない、これがあなたのピアノを聴く最後になるかもしれない、だから弾いて、と頼む祖母の言葉を、私は認めたくなかったのだ。どうしてもどうしても、認めたくなかった。祖母が死ぬなんて、赦せなかった。あってはならないことだった。だから私は。弾くことはできなかった。
でも。こんなふうに後悔するくらいなら。弾いておけばよかった。もう最後だろうからと言う祖母の言葉を笑って吹き飛ばし、何度だって聴けるよ、大丈夫だよ、と笑ってピアノを弾けばよかった。今なら、そう思う。
祖母が焼けてゆく様を背中で感じながら、火葬場でただ、泣いた。ごめんね、と、私は泣いた。あんな思い、もうしたくない。

そんなコンプレックス、なくしちゃえばいいじゃないか。言われて、ぎくりとする。どうせ昔何かあったんでしょ。言われてさらに私はぎくりとする。
下手といわれたことはない。むしろうまいと言われたことはある。でも。そのコンプレックスは、私が遭った事件に絡んでいた。事件前はだから、私にとってそれはコンプレックスでもなんでもなかった。むしろ、得意といってもいいものだった。しかし。
事件に遭って、それは一変した。汚らわしい代物となった。以来、閉じ込めている。もう二度と私は生きているうちにそれと出会いたくはない、と、思っている。なのにそこを、その知人はずばんと射てきた。私は黙り込む。
やってみてごらんよ。やれるよ。自分なんて、何度も挫折するけど、それでも喜んでもらえるなら、と思ってトライすることあるよ。ね、やってみなよ。
私は返事ができない。すぐに返事するのは、とても無理だ。でもその人が続けて言う。生きているうちにだよ、それにトライできるのも。
私はがくんと自分の力が堕ちるのを感じる。全身の力が堕ちた。抜ける、のとはまた違う。堕ちた、んだ。
私はあと何年生きるのだろう。残りの人生もずっと、もうこれは二度とできないと思って過ごすのだろうか。もう一度とトライもしないで過ごすのだろうか。それでいいんだろうか。でも、でも、あんなに嫌な思いをしたのに? それでもまたトライする? でも。
頑なに拒絶し続けることと、それでもとトライすることと、私はどちらを選べばいいんだろう。いや、どちらが後悔しないだろう。私は。

おはよう。逆さに寝ていた娘が起き上がる。いや、逆さに寝ていたはずなのに、またいつの間にか元の位置に戻っている。私は思わず笑ってしまう。器用な寝方をする奴だ。まったく。
娘にしそ昆布入りのおにぎりを渡して、私は昨日残した洗い物を片付ける。昨日は焼き魚に海草サラダ、大根のお味噌汁、味付けご飯だった。大根のお味噌汁の中に、娘の大嫌いなきのこをみじん切りにして入れたのだが、どうも気がつかなかったらしい。おかわりして食べていた。きのこの形をしていなければ食べられるんだな、と私は心の中納得する。好き嫌いが殆どない私に比べ、娘は結構好き嫌いがある。まぁまだ子供だから仕方がないのかもしれない。これからいくらでも、味覚は変化するだろう。
ねぇねぇ、ママ、この髪型、みんな、変わったって言ってくれるかなぁ? 昨日髪を15センチ切った娘は、鏡の前、飛び跳ねる。どうだろう、長いのには変わりないからなぁ。えー、でも、こっちの方がちょっとはお姉さんっぽく見えない? うーん、まぁ見えるかなぁ。黒のカチューシャをしてポーズを取る娘の後姿の方がずっと、色っぽいよと私は心の中で呟いてみる。
プリンターはまだ動いている。まだ途中だ。しかし。もう家を出る時間。私は諦めて、途中でプリンターを切る。残りはまた後で。とりあえず今は家を出よう。ママ、私先に行くよ! 玄関から娘の声がする。はーい! 私も返事をする。
窓を閉めて、電気を消して。私はひとつずつ確かめながら玄関を走り出る。自転車に跨ると勢いよくペダルを漕ぐ。ママ、いってらっしゃーい。登校班の集合場所から娘の声がする。私も大きく手を振って応える。
朝の時間は瞬く間に過ぎる。さぁ乗り遅れないように。このまま真っ直ぐ走って行こう。私の場所へ。

ここから先は

0字
クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

よかったらサポートお願いいたします。いただいたサポートは、写真家および言葉紡ぎ屋としての活動費あるいは私の一息つくための珈琲代として使わせていただきます・・・!