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2005年05月23日(月)

 週末、今思い返すとどうしてこんなにも大波に襲われたのか、自分でも首を傾げるほど。一体どうやったら、あんな津波のような大波に呑まれるんだろうかと、今でも不思議に思う。
 でも、襲われたときは必死だ。右手には死、左手には生を持って、断崖絶壁に片足で立たされているような、そんな感覚がある。それでも、どんなことをしてでも生き延びたいという思いがあるから、私は必死になる。そしてこれが一番不思議なことだけれども、そういうとき、必ず、私の友人たちは何かの気配を察知して、連絡してきてくれたり、電話を受けてくれたりする。そのおかげで私は今日も生き延びる。
 私の大切な友人の一人も、今、まさに崖っぷち。二人して何やってんだかと笑えるほどの崖っぷち。それでも、彼女と私は言うのだ、生き延びようね、必ず生き延びよう、生き残ろう、と。
 誰かに愛されるに値しない人間なんて、この世には多分、誰一人としていない。周囲の環境によって、自分は愛されるに値しない人間だと思い込むことはいくらでもある。私自身、そう思って一体何年を過ごしてきたのか知れない。幼い頃から、愛されるには条件が要ると思い込み、その条件を何とかクリアしようと毎日必死になって見えない敵と格闘していた。でも。
 そうじゃなかったんだな、と、今だから思う。たとえば私は娘を、無条件で愛している。無条件なんて言葉を使うことに不快感を覚えるほど、私はただひたすらに娘を愛している。そしてそれは、今、私の周囲にいる私の大切な人たちに対しても同じだ。君がそこに在てくれる、そこに存在し、間違いなく生きていてくれる、ただそれだけで、私は胸がいっぱいになる。そして心の中でいつも呟くのだ。ありがとう、そこに在てくれて。ありがとう、出会ってくれて。私はあなたのことを、いつも愛している、と。
 処方箋が大きく変わった。こういうことは初めてに近い。私の状態を重く見た主治医がそう決めた。今週来週で決まると思われる入院するかしないかという問題。なんとかしない方向で行きたいから、私は半ば覚悟しながらも、それでも諦めない。諦めたくない。なんとかここで踏ん張って、早く娘との生活を再会させたいから。絶対に諦めない。
 薬が一体どれほどのことをしてくれるのか、私にはこれっぽっちも分からないけれど、とにかく私は生きるのだというそのことを、絶対に失わない。失ってたまるもんか。私は、私の愛する人たちといつだって一緒に生きていきたいのだから。
 父と母に部屋まで来てもらって、事情を話す。そうして娘を託す。娘を託す、そのことが、こんなにも切ない。同時に、ほっとする。私の嵐に彼女を巻き込みたくない。その為に一時期避難が必要なら、いくらだって避難して、君は、君にだけは、迷いなく生きてほしいと思うから。でもそれもこれもきっと、親の勝手な言い分なんだと思う。子供からしてみれば、なんでママはいないの、ということになる。
 私が彼女からパパを失わせ、ママだけになって、それでも彼女は必死にそれを乗り越え、そして私の傍らに立ってにっこり笑ってくれる。そんな彼女の姿を見るとき、私には、彼女の周囲にたくさんの、私の愛する人たちの顔を見るのだ。そしてその顔をひとつひとつ見つめながら思う、あぁ、娘を、そして彼らを、裏切ることなんて、絶対にしたくない。
 気がつけば日が没している。夜が少しずつ少しずつ、空に手を伸ばし始めている。街路樹の緑は日々濃くなり、植木おじさんの鉢の中では様々な花が咲き、うちのベランダでは、葉がぼろぼろになりながらも薔薇が咲く。
 私は絶対に、ここを乗り越えてみせる。

 あぁ、夜が来るよ。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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