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2009年11月23日(月)

何度も娘の寝返りに起こされる。腕が飛んでくるのだ。ぼすっぼすっと私の顔や肩にそれが当たる。そのたび起こされる。溜息をつく暇もなくまた次が飛んでくる。寒いのに彼女にはそれは関係ないらしい。私は布団を被っているので精一杯だというのに。つくづく感心しながら彼女を眺める。ぷりっとしたほっぺたを、突っついてみる。広いおでこを撫でてみる。ちょこっとつぶれた鼻を突っついてみる。びくともしない。私は苦笑しながら、再び寝入る。
そうして目覚めれば、ミルクのがしがしと籠を噛む音。また日常が戻ってきた。そんな感じがする。こうした音や動作が多分、私の日常の一部なんだと思う。
私は寒い寒いと思いながらもベランダで髪を梳かす。今日は空が高い。これなら晴れる。そんな気がする。地平線を漂う雲も、やがて消えてなくなるんだろう。流れが速い。
マリリン・モンローの蕾は、綻び始めているというのにそこから一歩も動かない。この寒さのせいかもしれない。が、気になる。気になって何度も蕾を撫でてみる。早く咲け、咲いておくれ、そんな思いを込めて。他に、ベビーロマンティカやホワイトクリスマスの蕾も順調だ。他のものはみなもうすでに切り詰められているけれど。この週末にイフェイオンやムスカリはぐんぐん生気を養っていたらしい。緑がいっそう艶やかになっている。一体何処まで伸びるのかと思うほど、葉も伸びてきてしまった。ちょっと切った方がいいんだろうか。

娘が、梨木香歩の「りかさん」と「ミケルの庭」を読んでくれたらしい。彼女は「ミケルの庭」が気に入ったという。気に入ったというより感動したと言っていた。文庫本の、全く絵のない本を何処まで彼女が読みきるんだろうと思っていたが、これなら大丈夫かもしれない。なんとなく嬉しくなる。国語の苦手な彼女が、それでも本は好き、ということに、私は喜びを感じている。それは多分、私が教えられないこと伝えられないことを、彼女自身が本から感じ取ったりすることができるということだから。

黒井健の絵本ハウスへ足を運ぶ。こじんまりとした建物の中はとても温かく、それはまるで彼の描く絵のようだった。ちょうど赤いポストとはいしゃさんの絵が飾ってあり、私はそういえば自分がこの絵本を持っていなかったことに気づく。ちょうどいいから娘のお土産にとそれを選んで買う。彼女はどんな顔をするだろう。どんな想いでこれを読むんだろう。今と、それからまた大人になってからと、それぞれ読んで、どんなことを感じるんだろう。
そこからそのまま回って、絵本美術館にも立ち寄る。私の好きな作家の原画が何点か飾ってあり、私はそれをじっと見つめる。この作家の絵本を最初に読んだ時、切なくて切なくて、でも心があったかくなって、たまらなかった。娘にそれをプレゼントしたら、彼女も話が気に入ったらしく、何度もたどたどしい声で読み上げていた。彼女の絵本はどちらかといったら、ちょっと大人向きかもしれない。他の絵本を読みながらそう思う。絵も多分そうだ。子供が喜んで眺める絵とはちょっと違う。

帰りがけ、ちらつく雨の中、私は物思いに耽る。弟がようやく就職が叶いそうなところまで来ているらしい。彼の望む仕事ではないにしろ、それでも職がある、働くことができる場所があるというのは幸せなことだ。そう思う。
事件に遭って、働くことが全く叶わなくなった時、私はまるで自分が社会から除け者になってしまったような気持ちになった。落ちこぼれた、というのともちょっと違う、まさしく除け者になってしまった、そんな気がした。もう私は必要がないのだ、ここにいてはいけない存在なのだ、そんなふうに感じられた。全く働くことができない時期がそれから一体何年続いたろう。薬漬けなんじゃないかと思えるような大量の薬を飲み、一日一日をどうにか乗越え、そうして生き延びて来た。
今、ほんの少しであっても、糧を自分で得ることができるということ、それは、私をとても大きく支えている。これがまた再びなくなったらと思うと、正直恐ろしい。私はまた、除け者になってしまったのかと、思うかもしれない。もう年も年だ。しかもうちは母子家庭。私が稼がなくてどうする。そんな気がしている。全く蓄えのない今の生活に、不安も覚える。でもまだそれは贅沢なのかもしれない。もうちょっと、もうちょっとでもいい、元気になって、娘を支えていきたい。

ねぇ、ママ、早く体温書いて! 娘が朝私にそう言ってくる。え、今日、学校休みだよ? へ? そうなの? え? 違うの?
娘は今日が祝日だということをすっかり忘れていたらしい。私は大笑いする。娘は飛び跳ねて喜ぶ。今日何する? 何する? 途端に私に纏わりついてくる。映画でも見に行こうか? うん!
昨日のうちにじいじの家で予習まで済ませてきた娘だ。今日映画を見ることくらい構わないだろう。そのくらい楽しみがなくてどうする。

アメリカン・ブルーの隣、ラヴェンダーの挿し木の一本が、少し萎れてきている。もう一本はとても元気なのだが。こちらはもしかしたらダメかもしれない。そう思いながら、葉を撫でる。何とかついてくれないものか。そうして春になって、新芽を次々出してくれないものか。そう祈る。

さぁ出掛けるよ。娘に声を掛ける。うん! 勢いよく玄関を飛び出す娘。それに続いて私も出る。校庭では、雨後にもかかわらず少年野球のチームが練習を始めている。
自転車を漕ぎながら、私は首を竦める。なんて冷たい空気。でも気持ちがいい。私は空を見上げる。目の前には黄金色の銀杏。海に続く真っ直ぐな道を私たちは走る。新しく建ったビルの、植えられたばかりの木々に雀が集っている。私たちの音に気づいて、一斉に舞い上がる。

きっと今日は、いいことがある。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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