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2010年01月19日(火)

体を起こそうとして、ずっしりとした腰の痛みに呻く。腰を酷使した覚えはない。娘の足に絡みつかれるようにして体をじっとさせていたせいだろうか、そのせいだけならいいのだが。私はかつてなった関節症を思い出しぞっとする。産後の無理が祟って骨盤がずれてくっついてしまった。そのせいで半年一年、不自由な思いをしたことがある。ほぼ毎日のように鍼に通って何とか治療したものの、それから三年は、骨盤の補強ベルトを外すことのできない毎日が続いた。もともと関節に血が溜まりやすいらしく、ちょっと無理をするとすぐに血の瘤ができた。今またあの当時のように治療しなさいと言われても正直困る。今毎日医者に通うなんて術は到底できそうにない。私は腕で体を支えながら、そっと体を起こし、少しストレッチしてみる。骨盤を触って、とりあえずまだ大丈夫ということを確認する。
ハーブティを入れながら私はテーブルの中央で咲いているホワイトクリスマスに手を伸ばす。こんもり、こんもり。咲いている。なんだかいつものホワイトクリスマスの花とはちょっと違う。まるでぼんぼりのような花の形になっている。これでもし仄かに色がついていたりしたら、まさに、灯りのついたぼんぼりだ。鼻をそっと近づければ、ほんのり甘くて涼やかな匂いが鼻をくすぐる。
ハーブティを入れたカップを片手に窓を開ける。雲がきれいになくなった空は、すかんと抜けている。まだその空の色は暗い暗い闇色をしているが、きっと今日はきれいな朝焼けが見えるに違いない。そんな気がする。地平の辺り、僅かに漂う雲はゆっくりとゆっくりと流れ。私はその様子をしばし見つめる。

病院の日。調子はどうですかと問われ、あまり良くありませんと応える。何かありましたか、と言うその後の先生の問いに私は呆然とする。カルテに書いてないのか? 前にそのことを問われて一月は事件のあった月でもありしんどいのだと私は訴えた。その記録は残っていないのか? 私はだからもう一度同じことを繰り返す。すると、あぁそれじゃぁしんどいですねぇと言われ、がっくりする。何だかもう、何も言う気を失い、そのまま黙り込む。
普段は大量の薬を分包にしてもらうまで薬局で待つのだが、それも煩わしくて、シートのまま受け取る。大丈夫ですか、と薬剤師に問われるが、何も返事できずにその場を後にする。
そんなもんだ、と思う。そんなもんだ、本当に。私にあった出来事などというのは砂粒にも満たないたったこれっぽっちのもので。だからこんなもんだ。そう思う。それでもどこかで傷ついている自分は一体何なんだろう。

唐突に髪を切りたくなる。ばっさり切ったらどうだろう。そう思った直後、私は苦笑する。髪を切る、多分それはできない。私にとって多分髪は、唯一のものだ。長く伸ばし整えることで、ほんの僅かだけ自分を主張できるもの。だから、切りたいと一瞬思ってみても、結局ばっさり切ることなんて、できやしない。
後ろに長く束ねた髪を、指で切る真似だけしてみる。じょきっという音がして、でもやっぱり、切ることなんて、できそうにない。

友人が会おうと言ってくれるのは、もしかしたら、いや、多分、私があまり調子がよくないと知っているからだろう。今月がどういう月であるのか、彼女が知っているからなんだろう。電車に揺られ、彼女との待ち合わせ場所に向かいながら思う。口に出さないだけで、彼女はそれをよく知っている。だから少しでも、私の気が紛れるようにと、誘ってくれるのだろう。声に出すことはできなくて、だから、心の中でそっと、ありがとうと私は言ってみる。
先日石屋さんの作ったという小さな小さな石の美術館で見つけた一輪挿しを、彼女に手渡す。石なのだけれどもぬくみのある色合いで、彼女の好きなガーベラだったら二輪くらい飾ることができるサイズ。彼女がわぁと喜んでくれるのを、私はじっと見つめている。彼女はどちらかというと、もっと可憐な、かわいい感じの人だ。ほんわり柔らかな色がとてもよく似合う。そう、暖色系の、やわらかな色が。
花に譬えるならどんな花だろう。私は彼女を見つめながら思う。あぁ、菜の花畑かもしれない。一輪ではなく、ばぁっと一面に咲いている菜の花畑。そんな感じがする。日が燦々と降り注ぐ中に広がる菜の花畑は、どんなにあたたかく、人の心を喜ばすだろう。
夕方、お酒の好きな彼女につきあって、ちょっと一杯。彼女はビール、私は梅酒を飲む。お酒を口にした途端、彼女の顔がさらにぱぁっと明るくなる。おいしいおいしいと言ってお酒を飲む彼女を私はまた、見つめている。
そして思う。分かってもらえない、というのは多分、傲慢だ、と。分かってもらうことができない、それはそれで確かにそうかもしれない、でも、こうやって寄り添ってくれる友が私には今在るということも、真実で。そのことへの感謝を、忘れてはいけないと、私は心の中思う。自分にくっきりと刻み込む。

それでも勝手に、マイナスの方向へ滑り出しそうになる自分を、どうやって引き上げたらいいんだろう。
あの時が私の中から無くなってしまえば変わる? あの場所がこの世からなくなってしまえば変わる? 何か、変わるか?
あの時を私の中から消去するということは、その後生きてきた私の時間も無かったことにする、ということになってしまう。それはできない。ここまで生き延びてきたことまでもを否定することはさすがにできない。
あの時以前に戻りたいとも、残念ながら私には思えない。ここまでようやっと生き延びてきたのに、もしまた戻ったりなどしたら、その時またここまで生き延びてくることができるかどうか、そんな自信は、ない。
私は生きていたい。

一駅分歩こうと店を出たところで、細い細い月に出会う。それは本当に細くて、爪の先のように細くて。それでも煌々と輝いていた。月の隣にひとつ、明るい星が浮かんでおり。
しゃんとしなければ、と思う。ひっそりとでいい、立っていたいと思う。自分の足で、しゃんと立っていたいと思う。まだまだこんな、不安定な足だけれども、それでも、立っていたいと思う。

ママ、ココアってさ、お腹のちょっと下のところと耳の後ろを撫でてやると喜ぶんだよ。そうなの? うん、ほら、見てて。娘が小さな指先でココアの下っ腹をこにょこにょと撫でる。ココアは気持ちよさそうに鼻をひくひくさせる。ね? うん、ほんとだ。
そうして朝だというのに娘が踊り出す。何をやってるの、と私が問うと、ココアと一緒にダンスしてるんだ、と平然と応える。そうして彼女は、MJのPVに合わせ、見よう見まねで踊り続ける。私はそれを、後方から、ちょっと笑いながら眺めている。
じゃぁママそろそろ出るね。うん。私は彼女が差し出す彼女の掌の上のミルクの頭を撫でてやる。じゃ、また後でね。うん、また後でね。
自転車に跨って走り出す。池に立ち寄れば、今朝も池には薄氷が張っており。私は爪先でそれを突付いて壊す。ぱり、しゃり、しゃり、と辺り一面に響く音。氷は薄いながらも、それでも日毎厚くなってゆくのが分かる。それだけ冷え込みがきつくなってきているのだろう。私はコートの襟を合わせ、再び自転車に乗る。
救急車とすれ違う。私は自転車を止め、それを見送る。何事もありませんように。すぐよくなりますように。サイレンの音が空を劈くように響いてゆく。
高架下を潜り抜け裸の銀杏並木を走り、一気に通りを渡る。点滅する青信号。それでも私は一気に渡る。
プラタナスが立ち並ぶ通りを選んで走る。いつの間にか奥まで通りが開けており。これまで埋立地の端っこに隠れるようにしてあったヘリコプターの発着場がすぐ近くに感じられる。
そうして今海は、上り始めた太陽の陽光を一身に受け。ざぁざざざぁと囁きを繰り返す。白い漣が濃暗色の波の先で弾けてゆく。
さぁ今日もまた一日が始まる。私はくるりと方向転換し、そうしてまた、走り出す。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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