見出し画像

2005年05月10日(火)

 いつ眠ったのか覚えていない。ふと起きたら、布団の上で猫のように丸くなっていた。夢を見ていたのか、見ていなかったのか、それさえもおぼろげで、けれど脳裏にうっすらと、あの人の面影が残っていた。午前二時。

 街路樹の緑の手が、日々大きくなってゆく。最初は枝に必死にくっついて、揺れることさえなかった手が、いつのまにか微かな風にもふるふると揺れるようになり、そうなると不思議なことに、冬場は黒褐色に見えていた幹の色合いまでが、やさしい茶褐色にに変化してゆくように見える。窓からの風景の中に、少しずつ少しずつ、緑が増えてゆく。
 裏の小学校の校門のすぐ脇にあるスズカケの樹。毎朝校門を潜ってゆく子供たちを見守っている。もちろん樹が言葉を喋るはずはないのだけれども、「おはよう、おはよう、おはよう」と、スズカケの樹が子供たち一人一人に声をかけているように私には感じられる。木々に見守られ、校門で待つ先生たちに見守られ、集団登校して来る子供らの笑顔はいつだって抱きしめたくなるほどかわいらしい。もちろん中には、むっとして、学校なんかいきたかねぇやという表情を作っている餓鬼大将もいるけれども、そんな餓鬼大将を頼りにしている小さな子が、餓鬼大将のTシャツのはしっこをぎゅっと握って、餓鬼大将に隠れるようにして登校して来るという風景。子供だけのルールがきっとそこにあるんだろうな。大人が何を言おうとぷいっと横を向くくせに、小さなその子供のことは、俺が守るんだ、とばかりの表情をしているのだから。
 娘は今頃どうしているだろう。じじばばからの報告だと、毎日のように近所のお友達と追いかけっこしたりかくれんぼしたり、忙しい毎日を送っているという。そして家の中に入ると、お姫様ごっこだったりお店屋さんごっこだったり、じじばばを相手に「いらっしゃいませー!」とやっているらしい。私がそんな最中に電話をかけると「今忙しいのよ!じゃぁねっ」と、そっけなく電話を切られてしまう。切れた受話器に向かって、「ちょっとくらい何か喋ってくれてもいいじゃないのよ」とぶつぶつ文句を言いながら苦笑してしまうのは、私だけだろうか。
 ここ最近の私の内奥で起こっている大地震を、友人たちが心配してくれる。焦っちゃだめだよ、とやさしく諭すように言ってくれる友達もいれば、今夜は大丈夫か?! 切るなよっ!!と怒鳴る友達もいる。みんなそれぞれに、私に毎日毎晩声をかけてくれる。あぁ私ってば幸せ者だなぁとつくづく思う。昼間は昼間で、おーい、大丈夫かー、疲れたら横になれよー、と、横になるのが苦手な私を見越して声をかけてくれる友人もいる。みんなやさしすぎて、私は時々、ひとり、ぽろりと涙が零れそうになる。
 左の腕。我ながら呆れるほど酷いことになっている。これじゃぁ今年半袖を着るのは無理じゃなかろうか。いや、半袖だろうとタンクトップだろうと、必要があれば着るのだろうが、そんなことを思うとき必ず浮かぶのが娘の顔だ。娘に心配かけたくない、なんて言っていながらざくざく切ってる矛盾極まりない自分の行為に、ほとほと嫌気がさして来る。娘と手を握って歩く、大事な腕を、自らぼろぼろにしているのだから、話にならない。今更だけど、まっさらな腕に戻れたらいいのに、と思うことが、時々ある。今リストカットをしかけている誰かがいるなら、伝えたいことがある。腕もぼろぼろになるけれども、リストカットは心もぼろぼろにするんだよ、と。我慢することは大変だけれど、実際私だって我慢ができなくて、暴発して、意識を失って、その間に手当たり次第切り刻んでいるのだから、誰かに何か言えた立場じゃぁないってことも百も承知だけれども、もし今ナイフを片手に迷っている誰かがいるなら、伝えたい。ねぇあなたのそのきれいな腕を、傷つけないで。一度刃を入れてしまったら、多分止まらなくなってしまう。だから、今だよ、今、止めるのなら今しかないよ。あなたのきれいな腕に、あなたの滑らかな腕に刃を当てるのではなくて、いっそ抱きしめてあげてほしい。あなたの一番寂しい部分を思い浮かべて、その寂しい何かを撫でてあげてほしい。そして、できるなら、少しでもあたたまってほしい。この隙間なく切り刻まれた醜い腕を持つ私からの、唯一の願い。一度傷つけてしまったら、もう元には戻れないのだから。そう、一度傷つけてしまったら、その腕はもう二度と、元の姿には戻れないのだから。
 北から吹く風が街路樹の緑の手を揺らしている。朝の風はいつだってやさしい。それが冷たい風であろうと、朝の風はやさしい。そうしてきっと、街中に朝を知らせにゆくのだ。雀の囀りが聞こえる。遠くの方でカラスの鳴き交う声も。そして私は目を閉じる。目を閉じて心の中で旅に出る。港の辺り、あの信号の上はいつだって鴎が集っている。場所の取り合いで突つき合うものもいれば、そそくさと停泊しているボートの屋根に逃げるものもいる。私の旅はさらに続いて、港の一番突端にしゃがみこみ、向こう岸を眺める。大きな煙突からはもう煙がもくもくと立ちのぼり、風に運ばれて空に海に溶けてゆく。右の方には巡視艇が四、五隻並んで止まっており、人影はほんの数人しかまだ見当たらない。朝。世界が動き出す時間。私は瞼を開けて、元の場所に戻って来る。いつもの窓際、いつもの椅子に。

 さぁ、今日も一日が始まる。

ここから先は

0字
クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

よかったらサポートお願いいたします。いただいたサポートは、写真家および言葉紡ぎ屋としての活動費あるいは私の一息つくための珈琲代として使わせていただきます・・・!