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2009年11月16日(月)

夢の中で鈴の音が鳴り響いていた。それだけ覚えている。あれは何だったんだろう。身体を起こしながら私は首を傾げる。うまく思い出せない。ただ、祖母がいつも持ち歩いていた小銭入れについていた鈴の音に、それはとてもよく似ていた。顔を洗いながら、やっぱり耳の中には鈴の音がまだ残っていて。水の音さえ鈴の音に聞こえてきそうな気配だった。
顔が少し浮腫んでいる。寝方が悪かったんだろうか。それともいつもより横になっている時間が長かったせいなんだろうか。分からない。私は化粧水をいつもより勢いよく叩き込む。それで顔が小さくなるわけでもないのだが、まぁそれは気休めということで。そうして日焼け止めを塗り、口紅をさっと引いてとりあえずできあがり。
一日留守にしただけで、薔薇の様相が変わっている。ミミエデンがうどんこ病に冒されている。私は慌てて病葉を摘む。摘んで摘んで摘んで、それでもまだ残っているような気がする。私は空を仰ぎながら、今日の天気が気に懸かる。晴れるんだろうか。それともまた雨になるんだろうか。頼むから晴れて欲しい。そうでないと病気はどんどん広がってしまう。せっかく育て始めた苗なのに、早々に病気に冒されたのでは可哀想だ。私はしゃがみこんで、もう一度ミミエデンを見つめる。この場所に置いたのが余計にいけなかったんだろうか。ここは雨が当たる場所。今更後悔してももう遅いのだが。そうしてぐるり、周囲を見回してみる。他にもあちこちに病葉を見つける。私はもう、溜息をつくのも忘れ、片っ端から摘んでゆく。

弟夫婦の息子たちがちょうど、七五三を迎えた。どうするのかと心配していたが、彼らはお参りに行ったらしい。着物に身を包んで現われた息子たちは、娘曰く「かなりカッコいいけど腕白すぎる」様子。そんな息子たちの様子に無心で目を細められたらいいのだろうが、私は正直それよりも、弟のことが気に懸かる。大丈夫なんだろうか。でも何も尋ねられない。
父と二人きりになった折、少し話す。にっちもさっちも行かないとはこのことなんだろうな、と父がぼそりと言う。それでも父は、多分ぎりぎりになるまで、手を貸さないんだろう。いや、ぎりぎりになっても手を貸さないのかもしれない。それは冷たいと言われるのかもしれないが、父は、弟を、一人前の人間と認めているからそうするのだ。私にはそれが分かっている。だから父に何も言えない。私は結局、何もできない。

私は好んで日本画というものを見てこなかった。大学で美術史を一通り習った折にも、日本美術史は好まなかった。派閥があまりにありすぎて、私は閉口するばかりだった。でもそこに所狭しと並べられた日本画は、これが日本画なのかと首を傾げたくなるほど私のイメージとは違っていた。小さく書かれた文字を見ると、超日本画宣言、と書かれているものもある。思わず学芸員を引きとめ、尋ねてしまう。これも日本画というのですか? ええ、そうなんです。岩絵の具を使っているので日本画なんです。絵の具で分類するんですか。そうなんですよ。モチーフはもうこれなどは日本画とはいえないですよね。そうですね、それでも日本画なんです。
日本画と西洋画と。何処に線引きが在るんだろう。今更ながら私は考える。
絵のことを何も知らないという友人が、ぽつり、この絵が好きだなと言う。私もそれは気になるものの一つだった。何処が好き? このがらんどうの教室の、がらんどうなのにどこまでもまとわりつく気配が好き。じゃぁ他のものはどう? 他のものはぼんやりしていてよく分からない。そうかぁ。私は絵のことはよく分からない、分からないからただ見るだけ、見るだけだけど、この絵は気になる。そうだね、うん。
見るだけだけど、この絵は気になる、という友人の言葉が心に残る。結局はすべてそこに集約されるんだろう。どういう技法で、どんな材料で描かれていようと関係ない、その人の琴線に引っかかるかひっかからないか、それだけなんだろう。
帰りがけ、何枚かのポストカードを選んで買って帰る。

歩いていてふと見つける。レコード館。オルゴール美術館の隣の、ガラス張りの建物がそれだった。ちょっと覗いてみる。両脇にずらりとレコードが並んでいて、中央には大きなスピーカーとレコードプレイヤーが置かれている。私以外に誰もまだいなくて、私はどうしたらいいのか分からずぽつねんと立ってみる。店の人らしい人が、私に声をかけてくる。好きなレコードがありましたらかけますから、言ってくださいね。
私は順繰り見て回る。その中に、今はもう持っていない、昔集めたものたちがたくさんあった。懐かしい。そうだ、レコードしかなかった時代があった。そういう時代を私は少なくとも生きていたんだった。それを思い出す。そして、一枚、選び出す。
この三曲目、かけてもらえますか? いいですよ。
流れ出した曲は、もうさんざん聴いてきた、歌詞も何も覚えているような曲だった。学生の一時期、この曲にずいぶん助けられた。片道二時間はかかる通学路、満員電車の毎日、それでも、この曲を口ずさみながら、私は心だけ満員電車から逃れていた。押され押されて窓にへばりつきながら見る車窓の光景は、学校に近くなればなるほど灰色になり、冷たくなり、それが私の心を窮屈にさせた。そんな時この歌を口ずさむと、力が出た。まだ負けない、まだ負けてはいられない、そんな気持ちになった。
どうもレコード針の販売で、この会場が設けられているらしい。あぁこんなことなら、レコードプレイヤーを売るんではなかった、そんなことを私は思う。レコードの、時々ぷつっぷつっと鳴るあの音さえもが懐かしかった。

おはようございます。娘が起きてくる。最近娘は、おはようではなくおはようございますとよく言う。何故なんだろう、ふざけてるのかな、と最初は思っていたが、最近はようやくその言い方にも慣れた。だから私も、おはようございます、と勢いよく返す。なんかミルクの様子がおかしかったよ。そうなの? うん、入り口のところで丸くなって、抱いてくれるの待ってるみたいだった。ありゃ。娘は途端に籠に駆け寄る。そして、ミルクを抱きながら、冷凍庫に常備されたおにぎりを温める。ママ、ミルクに挨拶は? え、あ、おはよう。抱いてあげなよ。やだよ、昨日噛まれたばっかりだもん。大丈夫だよ、もう、私がいるから。えー、出がけにおしっこされたら困るもん。そんなこと言ってるとこうだよ! 娘が私の頭にミルクを乗せて来る。途端に私は動けなくなる。ミルクはでーんと私の頭の上、乗っかって、顔を洗っている。
ねぇママ、水曜日の音楽会、来てくれる? うん、行くつもりだよ。ここは絶対来てね。うんうん。あ、給食の白衣洗っておいたから、ちゃんとたたんで持って行きなさいね。分かったー。

いつもよりちょっと早めに家を出る。今日は病院だ。確かカウンセリングの日。その前に家賃の振り込みもしなければ。私は掌に、今日やらなければならないことをボールペンでメモする。バスは揺れながら駅に向かう。
電車の中、思い切り足を踏まれ、思わず痛いと声を上げてしまう。しかしその学生は何も言わない。本を読んでいる顔を上げようともしない。私は正直、面食らった。人の足を踏んでおきながら詫びの一言もないのか。しかし。その子の様子をしばらく見ていて、気がついた。心の病気だ。私は、もう何も、彼女について思うことを止めた。
病院が終わって余力があったら、国立まで向かおう。もし今日余力がなければ、金曜日には行かなければ。先週葬式やら何やらで行けなかったのだから、今週は。
空を見上げる。どんよりと曇っている。一瞬射した光は、瞬く間に灰色の雲に隠れてしまう。
どうか雨だけは降りませんように。私の瞼の裏にミミエデンの病葉が浮かぶ。帰ったら、場所を変えてやろうか。
突然救急車のサイレンが響いてくる。今日もまた。私は俯いて、先を急ぐ。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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