2010年01月11日(月)
何かの気配で目が覚める。何だろう、と横を見ると、まさに真横に娘の頭があり。それは彼女の呼吸がそのままこちらに伝わってくる距離で。私は彼女のぺちゃ鼻の頭をちょんっと指で突付く。びくともしない彼女は、下半身を布団の外に出している。私は起き上がり、彼女に布団を掛け直す。
そのままミルクたちの小屋の前へ。今朝はココアがちょうど砂浴びをしているところ。おはよう、ココア。私は声を掛けながらカーテンを開ける。広がる闇色は澄んで。私はそれを胸いっぱいに吸い込む。闇の匂いがそのまま胸に広がってゆくような気がする。綻び出したホワイトクリスマスが、闇の中、浮かんでいる。一番外側の花弁はこれまで外気に当たってきた分白さがくすんでいるけれども、内側のこの白さといったら。この闇の中でも神々しいほどだ。月の白さとはまた違う、ぬくみを持った、とくんとくんと脈打つ白さ。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ハーブティを入れ一口啜ってみる。体中を一気に駆け巡る温度。私の体が内側から、とくんと脈打つ。
一息ついたところに、突然音が鳴る。慌てて電話を拾い上げると、旅行中の友人からの電話。まだ夜明け前だというのに私たちは、ひとしきりおしゃべりに興じる。
明るい日差しの中、作業を続けていると、とん、と音がする。郵便受けを見るともう長いこと声を聴いていなかった友人から。私は慌てて封を切る。すると、彼女独特の香りが漂ってくる。それは、とてもたおやかな、ゆったりした匂い。
どうしているのだろう。ずっと思っていた。でも、今声を掛けていいものかと、ずっと迷ってもいた。そんな彼女からの手紙。私はその手紙の最後に添えられていた電話番号を早速回してみる。
程なくして彼女の声。淡々とした、それでいて通る、穏やかな声。いろいろなことがあったろうに、それでも訥々と彼女は語る。勢い込んで話す私とは全く異なるその喋り方に、私は思わず耳を傾ける。
耳を欹てたくなる声、というものがある。こう、体をすっと寄せて、うんうん、と相槌を打っていたくなる声。彼女の声がまさしくその声だ。
彼女と知り合ってそれなりの年数が経つが、それまでの間、彼女が声を荒げるという場面に出くわしたことがない。ただの一度も。そして、どんな出来事を語らせても、彼女に語らせるとそれは、穏やかな流れになる。ひとつの川の流れになる。
どうしてなのかしら、どうも私は、ひとりで置いておいても大丈夫だと思われてしまうみたい。彼女がぽつりと言う。そう、彼女のそのたおやかな姿は、すっと立つ芯がある。その芯は、すっと立っているがゆえに時折誤解を受ける。まるでそれが当然であるかのように受け取られ、彼女はひとりで放っておいても大丈夫なのだという印象を与えてしまうことがある。しかし。
それがどれほどの血反吐の上に立っているか。どれほどの体験の上に立っているか。それを省みたならば、その土壌がどんなに彼女によって耕されてきたものかが分かるというもの。彼女がその内なる琴線をどれほど丁寧に扱って培ってきたのか、それにこそ耳を澄ませていたいと私は思う。
そう、物事を受け容れていきながらも芯がある。その姿はまるで、葦のようだ。風が吹けば風を受けて揺れる。日が降ればそれを一身に浴びながらまた揺れる。けれど、その根はしっかり、己の大地に結びついている。
昔々のことになるが、彼女をカメラで追ったことがある。その時に知った。彼女の雰囲気はファインダーの中には収めきれないのだな、と。下手に切ってしまうと、彼女の雰囲気がそこで断たれてしまう。断たれてしまうと、彼女は不安定に画の中で漂ってしまう。泳いでしまう。彼女の輪郭は決してくっきりしたものではない。周囲に溶け込んで、広がってゆくものなのだ。だから下手に区切ることができない。そのことを、ファインダーを覗いて彼女を見つめて改めて、私は知った。
彼女の周りの空気はだから、とても静かに動いている。途切れることなく、静かに静かに動き続けている。風もそれは微かな風で、嵐を経てきているにも関わらず彼女が身に纏うとそれは鎮まり。彼女に語られるとそれは漣のようで。大海原に漂う笹舟のようで。
再会を約束し、電話を切る。気づけば窓の外、日が傾き始めている。
午後の日差しの中、二人展のためのテキストを打ち出す。A3ノビの用紙は版画用の紙。テキストに添えた色味はくすんだ緑色。ベースは去年の展示と同じ。
去年末に用意された彼女と私とのテキストを配置し終え、プリントする。ただそれだけの作業なのだが背筋が伸びる思いがする。そんな二人展も今月末には搬入だ。きっとあっという間にその日がやって来るだろう。たった二週間の展示だけれども、悔いのないものにしたい。
娘がじじばばの家から帰宅すると、途端に私の周辺は賑やかになる。彼女はテレビを見ながらころころと笑い、それは私が洗う食器の重なり合う音と共に部屋中に広がってゆく。一度二度、部屋の温度が高くなったような、そんな気配。
ねぇママ、ばばと朝散歩したとき、霜柱、踏んで歩いたんだよ。そうなの? さくさくってね、いい音がした。そっかぁ、ばばの家の近くにはまだまだ土がたくさん残っているからねぇ。でも栗鼠はいなくなってた。あぁ、冬眠しているのかなぁ、どうなんだろう。その代わり、狸に会ったよ、さっといなくなっちゃったけど。うんうん、そっかぁ。
私が幼かった頃に比べたら、裏山は半分以下になった。それでもこうして娘の中に世界を与えてくれている。手付かずの場所など、もう失くなってしまっただろうに、それでも山は生き物をふんだんにその腕に抱き、周りに棲む人々へ山ほどの恵みを与えてくれる。
突然娘が言い出す。ママ、カメラ作れる? 折り紙で? うん。作れるよ。作り方教えて! 私は彼女の差し出した折り紙を受け取り、昔小さかった彼女に作ってやったのと同じ動作でカメラを作ってゆく。なぁんだ、それだけだったのかぁ。うんそうだよ、簡単でしょう? 自分で作ってみる。そうして彼女は自分の好きな色の折り紙を選び取り、折り始める。ママ、できたよ、こっち向いて! はい? ほらっ。シャッターを切る真似をする娘。そういえば私は、写真に撮られることなど、ここ何年なかったなぁと苦笑する。
折り紙に興じる娘に声を掛ける。サンドウィッチ作ろう。卵を潰す担当は娘。玉葱と胡瓜をみじん切りにし、ツナと混ぜ合わせるのは私。そうしてパンに薄くマーガリンを塗って、それぞれパンに具を乗せてゆく。あぁチーズがあったと思い出し、最後にスライスチーズも乗せて、簡単サンドウィッチの出来上がり。明日食べようと約束する。
友人との朝早くからの電話は結局、長く続いて。気づけばもうすっかり夜も明けており。私たちはようやく電話を切る。
そうして私と娘は玄関を出、自転車に跨る。今日はどっちに行く? まぁ海の方じゃない? そう言って走り出す二人。残念ながら空は雲っており。すっかり曇天で、日が差す隙間もありはしない。
最初に立ち寄った公園の池はやはり薄氷が張っており。娘が嬌声を上げながらその氷を割ってゆく。私はそれを眺めている。しゃくしゃくしゃく。娘が割る氷の音が、空高く響いてゆく。
そしてまた冷え切った大気を裂いて二人で走り始める。休日だというのにまだまだ人気はまばら。高架下を潜り、ちょうど青になった大通りを渡る。多分また新しくビルが建つのだろう。綺麗に雑草を抜かれた土地がのっぺりと広がっている。その角を曲がり、私たちは先へ先へ。別に目的地があるわけではない。ただ走る。走って見る。感じて見る。
ママ、鳶! 突然娘が後ろから声を上げる。私は咄嗟に自転車を止め、空を見上げる。ちょうど海の方、ビルの谷間を鳶が渡ってゆくところで。伸ばされた羽はまるで一本の線のように美しく。
それを見送って私たちはまた走り出す。何処へ。そう、今日に向かって。
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