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2009年12月09日(水)

がらららら、がらがららら。ミルクの回し車の音が盛大に響いている。夢の中戦車に似たものが出てきてそんな音を立てていたが、あれはミルクの回し車の音だったかと笑ってしまう。私が起き上がって籠に近づくと間もなく、彼女は私の気配に気づき、後ろ足でひょっこりと立ち上がる。そうして次はがっしと籠に齧りつくのだった。
顔を洗い、鏡の中を覗く。唇が少し白っぽく乾いているのが目に付く。そういえば私の唇は色が悪い。とある国で数ヶ月暮した折、あまりの強烈な日差しに負けて炎症を起こして以来、どす黒い色になった。だから軽い色の口紅はひけない。そんな私の唇が珍しく乾いて白っぽい。その妙な色合いにつられ、思わず手を唇に当てる。当てたからといってどうこうなるわけでもないのだが。化粧水を叩き込みながら思いつく。普段あまり使わない美容液を唇に塗ってマッサージしてみる。具合が悪いわけでもないのに具合が悪くみえてしまうような顔色ではいたくない。悪足掻きかもしれないが、まぁとりあえずそういう時は、足掻いてみるのがよし。
そういえば娘が昨夜五時半に起こしてくれと言っていた。なんでそんなに早く起きたいのかは訊かなかった。声を掛けてみる。微動だにしない。おーい、耳元で声を上げる。全く動かない。仕方ない、こういう時はミルクに登場していただこう、私はミルクを籠から出してやる。そうして娘のほっぺたにほいっと乗せてやる。
途端に動き出す娘。はいー、と私にミルクをよこして再び眠ろうとする。だから私は、自分で籠にしまってちょうだいねーと返事をする。えー、おしっこしたらどうするのぉ、と娘。おしっこしたら布団ちゃんと洗濯してね、大変だよ布団洗濯するのは、と私。ようやく娘は諦めたように起き上がる。おはよう。おはよう。ねぇママ知ってた? 何? ミルクの手の指はちゃんと五本あるんだけど、ココアの手の指、片方は四本しかないんだよ。えぇ、そうなの? 気がつかなかった。怪我したのかなぁ? うーん、あの用心深いココアがそんな大きな怪我してるわけないと思うけど。もしかしたら生まれつきかもしれないよ。そうなのかなぁ、そうかなぁ、うーん。娘はまだ眠そうな目を擦りながら、ミルクを籠に戻す。
私は金魚の水槽をとんとんと叩きながらベランダに出る。まだ外は暗い。というより空全体に雲がかかっている。今日は曇天か、そんな気がする。空をそうして見上げながら私はいつものように髪を梳く。風は殆どない。街路樹の残り少ない葉たちも今はしんしんと沈黙している。まだ点いている街燈がほんのり橙色にアスファルトを照らし出す。まだ通りを行き交う車の数は少ない。バスもまだ、走ってはいない。
娘は早々におにぎりをあたためている。その横で私はお湯を沸かす。中国茶を用意しかけて、やっぱりと思い直しハーブティにする。お湯を入れれば途端にふわりとレモングラスの香りがする。匂いが分かるというのは本当に幸福なことだと私は思う。あの、匂いさえ認識できなくなった時期には、できるなら、もう戻りたくは、ない。

友人と電話。とりたてて何か用事があったわけでもないおしゃべりの時間。彼女は私の父母にも会ったことがある数少ない友人。そういえば父がこんなことを、と私が話すと、それならピコピコハンマーで頭叩いてあげなくちゃと彼女が返してくる。んなことしたらどうなるか、と私が慌てると、彼女は大きく笑って、今度ピコピコハンマー送ってあげるからと言う。そんなことを言い合って笑い合えるのも、彼女とならではだ。
彼女の声はファの音に似ている。ソプラノでもアルトでもない、その半ばを流れるような音。ファの音を少し乾かしたら、きっと彼女の声だ。そんな気がする。

クリシュナムルティの本を読み続けながら、授業の内容がすとんすとんと自分の中に落ちてくるのを感じる。あぁこんなことだったか、こういうことだったか。ひとつひとつが明快になる。気になる箇所に線を引きながら私はだから読み続ける。
もともと、私はクリシュナムルティの「最後の日記」から入ったのだったか。そんな記憶がある。最後の日記、というタイトルが私の目を最初に捉えた。最後に書くものとは一体どんな姿を色をしているんだろう。そう思って手に取った。あとは装丁がすっきりしていたから。ただそれだけで私は一冊目を手にした。読み始めて、心ががっしと捉まれてゆくのを感じた。読み終えるのがもったいなくて、一日一日、ゆっくりと読んだ。いや、ゆっくりとでなければその頃私にはその日記が読めなかった。日記の中に現われる風景は、読む私の中にありありと浮かんできた。知らない土地であるにも関わらず、世界はまるで目の前にあった。彼の日記を読みながらだから私は旅をした。日記と共に散歩をし、辺りを漂った。見つめた。じっと。
彼の日記と出会わなかったら、私の世界は多分大きく異なっていたと思う。こんなにも世界を感じたいとは思わなかっただろうし、こんなにも世界を見つめたいとも自分を見つめていたいとも思わなかっただろう。私がそれまで見つめていたその目線と、微妙に異なるものがそこに在った。それが私の心を鷲摑みにした。
あるべきもの、あってほしいもの、そういったものを心に描きながら私は多分自分を見つめていた。だからそこからかけ離れた自分の醜さを受け容れられなかった。受け容れなければとも思わなかった。だから焦っていた。この醜い自分を一体どうしたらあるべきものの姿にあってほしい姿にすることができるんだろう、と。
でも違った。私は、受け容れてほしかったんだと気づいた。嘘つきなら嘘つきである自分を、情けないなら情けない自分を、誰かに受け容れてほしかったんだ、と。
でも。自分で自分を愛することができないで、どうして他の誰かに愛してくれと言うことができるだろう。まず自分で自分を抱きしめることだ、受け容れることだ、そのことを、思った。あるべきものでもない、あってほしいものでもない、ただ、あるがままを自分が受け容れる。そのことだったのだ、と。
私にはまだまだ、受け容れられないでいる自分がいる。事件のこと。遠い昔の、父母との関係における自分のこと。私はまだまだ、それらを抱きしめてはやれない。一瞬、もういいだろう、と、自分を解き放ってしまえと、思い、抱きしめかけることはある。でも、それはまだ、続いてはゆかない。私はまだまだ過去に引きずられている。
そういう自分を私は、今、ありありと感じている。

私が漢字の練習をしていると、娘が吃驚したように振り返る。ママも漢字の練習するの?! するよぉ。えぇ、大人になっても漢字の練習ってあるの? あるよぉ、幾つになっても自分が勉強したいと思えば勉強するさ。そうなんだぁ、子供だけじゃないんだぁ。そうだよぉ。大人になったって勉強するんだよ、たとえそれが漢字であっても、自分がしたければするの。私、勉強したくないときあるよ。そりゃあるよね。ママもある? あるよ。したくない時はしたくないんだなぁって思う。それでどうするの。したくないけどしようかなぁって思えばするし、したくないからやっぱり今日はやめておこうと思えばしない。私はそういうわけにはいかないよ。だって塾あるもん。そうだよねぇ、大変だよねぇ、一日勉強しなかったら、その分だけ確実に遅れていっちゃうもんね。勉強したくないなら、いつ止めたっていいんだよ? やだ、やめない。なんで? 塾の先生好きだから。なんで好きなの? だって面白いもん。そうなんだぁ。じゃぁ学校の先生は? つまんない。そっかぁ。ははは。自分がしたいようにやってみればいいよ、うん。塾続けたいなら、ママも頑張るからさぁ。うん。
そうして娘も漢字の練習を始める。私はようやく終わった漢字の練習ノートを脇に寄せて、今度は心理学の勉強を始める。そう、大人になったって、自分がしたいと思えばいつだって勉強するもんだよ、娘。確かに学生の頃はさ、ママも、テスト前に無理矢理、苦手な科目を頭に詰め込んだりしたけれども、大人になったらそういう必要はない。自分がしたいことをすればいい。そのための基礎を、今君は作っているようなものだよ。きっとね。私は心の中、娘に話しかける。基礎がないと自分がいざ勉強したいと思った時にもできないままになってしまったりするから。だから、勉強したい気持ちが少しでもあるなら、頑張ってみよう。ママも、頑張る。

国立にようやく辿り着く頃、空はやっぱり一面灰色の雲に覆われており。並木道の銀杏たちはもうすっかり葉を落としている。代わりに、電飾だろう、天辺からケーブルをひっぱられ、着飾られている。夜になればここはきっと、賑やかな通りになるのだろう。
駅前を行き交う人たち。混み合う時間帯からだいぶ離れてきたせいか、ゆったりと歩く人の姿も見かけられる。足の悪いご老人が、杖をつきながら今ゆっくり横断歩道を渡ってゆく。
私の目の前には、今、葉を殆ど落とした桜の樹が立っている。葉を落としている最中の彼の枝先には、もうすでに、次開くのだろう息吹の塊がくっついている。それを抱いて、桜は冬を越えるのだろう。じっと、じっと抱いて、春を待つのだろう。
私はこの樹のように、冬を越えてゆけるのだろうか。こんなふうに凛と、しんと、立っていられるだろうか。

今鳩が、桜の樹に舞い降りた。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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