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2010年01月09日(土)

目を覚ますと、いつもより一層深い闇の中だった。私は窓際にゆきカーテンを開ける。何だろうこの暗さは。空を見上げても一寸の隙もないほど闇に包まれており。それは見事なほどの闇で。まるでそれは夜が、終わることを忘れてしまったかのような闇で。私はしばし呆然とする。本当に朝は来るんだろうか。そう思わせるほどの色合いで。昔々読んだ小川洋子の小説を思い出す。もうタイトルは思い出せないが、確か、世界が何かしらひとつずつ、忘れてゆく、そんな世界を描いた話だった。或る日世界は季節を忘れ冬で止まったままになり、というような。
そんな朝だから私は、ほっくりくるコーディアルティを入れてみる。カップを両手で支えながら口へ運べば、やわらかな少し甘い味が口の中広がる。ゆっくりゆっくり口に含めば、それだけゆったりと、体中にあたたかさが広がってゆく。
かさかさ、と、足元で音がして、私は籠を見やる。ゴロが小屋から出て、木屑を山ほど集めたその真ん中で丸くなっている。ヒーターの温度が高かったのだろうか。それとも単に、気分なんだろうか。私は彼女に、おはよう、と声をかける。少しこちらを向いて、そうして彼女は再び丸くなる。
私は椅子に座り、煙草に火をつける。ゆっくりと吸いながら、私は昨日のことを思い出す。スピーカーからはジョシュ・グローバンの声が、流れ出す。

授業の日だった。フォーカシングの授業を終え、次はインナーチャイルドセラピーワークなる内容。インナーチャイルドやアダルトチルドレンに関しては、自分なりにひととおり、勉強を終えていたはずだった。
だから、何を尋ねられても、もう私なりに答えられるはずだった。大丈夫なはずだった。もう揺れることなく、ぶれることなく、答えてゆけるはずだった。
あれは何だったんだろう。突然ばっと現れた。私の中の泣いている子供。それが露になってしまった、突如。私は慌てた。こんなはずじゃなかった、と思った。
でも、一度彼女の泣き顔を見たら、もうどうしようもなくなった。その彼女に寄り添ってやるしか術はなかった。そのくらい、彼女はさめざめと泣いていた。
彼女の記憶は、母親の、あんたなんかいなければ、という言葉から始まる。あんたさえいなければ私は。そんな言葉から記憶は始まる。
彼女の吐露は、あっちにふらり、こっちにふらり、揺れながらも、続いた。私は父に対する確執の方が強いのかと、最近は思っていたが、眠っているものは何故か、母に対するものばかりだった。そして気づいた。
理解し合えない、ということが分かり、理解し合えないということをお互い分かり合うことから始めた、そのことによって、私たちの関係は今営まれている。そうすることで、過去を乗り越えようと私はしていたのだ。ここからまた始めればいい、と。そう思っていた。今もそう思っている。でも。
眠っていたのだ。まだまだ泣いている子供が。置き去りにされていた子供が。眠っていたのだ、私の中。愛されるにはそんなにも理由が必要なのか、と、愛されるにはそんなにも条件が必要だったのか、と、悲しんでいる子供が。
一体幾つのハードルを越えてきただろう。越えてほっとするのも束の間、即座に次のハードルが在った。用意されていた。そしてまた私は必死にそのハードルを越えようともがく。努力する。そして越える。そしてまた次なるハードル。その繰り返しだった。
あんたさえいなければ。その言葉は呪縛だった。私を捕らえて離さなかった。あんたさえいなければ。そんな私だから、両親に愛されるには条件が必要なのだと思った。差し出されるその条件を次々乗り越えてゆかなければ、いつまで経っても愛されることはないのだと、思っていた。だから必死だった。毎日が戦いだった。
子供はそれゆえに無条件に愛されるものだなんて言葉は、私にとっては紛い物だった。それは、私には決して当てはまらない、我が家では在り得ない、いや、私と父母との間では在り得ない、代物だった。
どれほど愛されたかったか。どれほど愛して欲しかったか。ただ笑いかけて欲しかったか。知れない。でもいつでもそこに在るのは、母の背中だった。そっぽを向いた背中だった。父の、異様なほど威厳を持った、こちらを跳ね返す背中だった。
私は今、娘としょっちゅう抱き合う。娘がそれを求めてくる。私はそれに応える。応えながら、ふと思う。私と母はいつ抱き合ったことがあるのだろう、私と父はいつ抱き合ったことがあるんだろう、と。記憶が、ない。
私が今為している、娘と為していることの、どれひとつとっても、記憶がなかった。だから娘との日々は懐かしいものはなく、毎日がだから、新しかった。そして、切なかった。
私は、父母に、ごめんなさいと言ってほしかったんだろうか。いや、違う。
それを私が言いたいのだ。ごめんなさい、お父さんごめんなさい、お母さんごめんなさい、だからもう私を、解放して、と。もう赦して、と。
もし父母にしてほしいことがあったとしたらそれは。
ただただ、抱きしめてほしい、そのことだった。笑いかけてほしい、それだけだった。
ワークを終えて、最初に感じたのは、疲れた、ということだった。本当に疲れた。次に思ったのは、あぁまだこんなにも、眠っていたのか、ということだった。
本当に。
こんなはずじゃなかった。もう平気なはずだった。大丈夫なはずだった。でも。
私は自分で自分を置き去りにしていたのかもしれない。必死に今に対応するために順応するために、泣いている子供を置き去りにして、閉じ込めて、きたのかもしれなかった。多分、きっと。
今できることは。ケアしてあげることだ。手を差し伸べてやることだ。置き去りにして、いやむしろ閉じ込めてきた子供に。そして、いつか、一緒に歩いてゆけるように。

画材屋へ行って帰ってくると、恩師から封書が。久しぶりの先生の字だなぁと思いながら封を開ける。入っていたものは先生の文章。私はそれを読む。私は樺太という場所を知らない。樺太で生まれた先生の、だから思いがどれほどであるか、想像しきれない。しかし。生地の消失がどんな意味をもたらすかは、分かる。
私なりに先生の言葉を受け止めながら読んでいると、最後の最後に、先生が一行、私宛に書いてくださった文章を見つける。
「ふしぎな女だなぁ君は。そう思っています」
ただそれだけの一行だった。が、私は思い切り笑ってしまった。先生らしい一文だなぁと思ってしまった。自分がふしぎな女なのかどうかは分からない。が。先生しか書けないと思った。
久しぶりに先生に会おう。私は心に決める。

闇はやがて徐々に徐々に、本当にゆっくりと緩んでゆき。朝がやって来る。まだ地平の辺り漂う雲の向こう、太陽が燃え出し光がこちらまで伸びてくるのが分かる。朝日の中、花びら一枚だけ、ぴろんと綻ばせたホワイトクリスマスが輝き。私はそれを指で撫ぜる。
そろそろ出るよ。娘に声を掛ける。娘はもう支度を済ませており。私たちはバス停へ向かう。じじばばに怒られるからと、娘はマスクをつけて。
そして駅で別れる。じゃぁね、と私が手を振ろうとすると、娘がやにわに抱きついてきた。そして、じゃぁねーと笑う。うん、それじゃぁ日曜日にね、またね。うん、メール頂戴ね。分かった。ばいばーい。
土曜日ゆえ、人もまばらな駅。私たちはそうして、それぞれの方向へ。今日もまた、新しい一日が待っている。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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