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2005年03月27日(日)

 夜中何度も娘が目を覚ます。左肘の内側がかゆいらしい。暑がりな娘は布団を思いきり蹴飛ばしてぐずっている。ママ、かゆい、ママ、暑い、その繰り返し。皮膚を傷つけないように肘を薄いタオルで包んで掻いてやるのだが、それだと足りないらしい。何度も何度も半泣きになる。ほぼ二時間おきに目を覚ます娘は、だんだん目が冴えてきてしまったらしく、最後、本を読んでもいいかと言い出す始末。仕方ないので、午前四時半の布団の中、二人で本を読む。そしてもう一度、眠るために歌を歌う。「大きな古時計」に「花」、そして「砂山」に「おぼろ月夜」。なかなか眠れない娘の為に、私は三回ぐるりと歌い続ける。
 日曜日。私が洗濯物を片付けている間、娘は一心にぬりえを為している。このところサインペンでしゃしゃしゃっと塗っていたのに、今日は再び色鉛筆に戻っている。昨日ばぁばに「色鉛筆の方がやわらかい色合いになってきれいよね」と言われたせいだろうか。私は黙って、作業の合間合間に彼女の為すことを見つめている。三センチ四方の透明な鉛筆削りの使い方を彼女に先日教えたところ、最初は戸惑っていたものの、今日はもう、上手に使いこなしている。ママ、見て、みうできるようになったよ。そう言って動作を見せてくれる。そのおかげか、箱の中に並んだ娘の色鉛筆の先が、今日はみんなきれいに尖っている。
 私は一通り洗濯物を終えるとプランターに水遣りを始める。一番最初にアネモネに水をやろうとして気づく。違う種類の花が咲いている。
 昨日までに花開いたものはみな、一重咲きだった。しかし今日、新しく頭を持ち上げて蕾を開いたものは、白の八重咲き。一重咲きは儚げだけれども、この八重咲きは妙に賑やかに、そして強そうに見える。一番外側の花びらは一重咲きのものとよく似ているが、内側がぎざぎざとギャザーが寄っていて、同じアネモネとは思えない。しばらくじっと見つめてから娘を呼ぶ。花を見るなり、娘が言う。「これは何の花?」。やっぱり娘の目にも、全く違う代物に見えたらしい。「これはねぇ、多分、八重咲きのアネモネなんだと思うのよ」「八重咲きって何?」「八重咲きっていうのはねぇ…」。白と藍色とそのグラデーションと。そして一重咲きと八重咲きと。こんなにいろんな種類がひとつのプランターに収まっている様子は、まるで大勢の子供たちの食卓のようだ。みんながみんなそれぞれの個性を持ちながら、笑い合っている。風に揺れると、その笑い声が鈴の音のように辺りに響く。
 薔薇の樹も負けじと次々に新芽を吹き出している。大輪の薔薇の樹は健康そのものなのだけれども、ミニ薔薇の樹がどうもおかしい。先日からずっと、うどんこ病を患っている。あれこれ対処し、その直後はいいのだけれども、数日するとまた、病気が露骨に現れてくる。今日は病葉をひとつひとつ摘んでみる。そして水をやり終えた後、消毒液を吹きかける。早く治ってくれるといいのだけれども。
 せっかくこんなにいい天気なのだから、と、娘を誘って散歩に出る。本当は中華街辺りまで自転車で出かけようかと思っていたのだけれども、それはまたこの次にして、今日は家の近所をぐるぐると。この辺りは人しか通れないような小道がたくさん入り組んでいる。だから私たちは、適当に曲がったり何したりしながら、あちこち歩く。歩いてる途中で、アスファルトの小さな割れ目に根をおろし花を咲かせた蒲公英を見つける。ママ、こんなところで狭くないのかなぁ。狭いかもしれないけどすごいよね、こんな場所で花咲かせちゃって。きっとこの蒲公英は元気なんだよ、えいやってここの間に入っちゃったんだよ。なるほどぉ、それでここに咲いてるんだ。うん、きっとそうだよ。
 歩いているうちに、あちこちのアスファルトの隙間から芽吹いている雑草たちに出会う。私たちはそのたびに立ち止まり、この草はねぇ、と話す。娘は次々あれやこれやの理由を見つけて私に教えてくれる。それがたとえ彼女の創造の産物であっても楽しい。そして私たちは最後、名も知らぬ黄色い花を幾つか手折る。日が陰るとあっという間に花びらを閉じてしまうその花が、強い風にぶるんぶるんと揺れる。
 家に戻り花瓶に差してみると、これだけじゃちょっと寂しいということで、一番最初に花開いたアネモネを一本、切ることにした。白と藍のグラデーション、一重咲き。黄色い花の間にそのアネモネがささると、一挙に花瓶が賑やかになる。かわいいねぇ、きれいだねぇ。私たちはおやつを食べながら、その花たちのことをあれこれ話す。
 休日はあっという間に過ぎてゆく。どうってことのない一日。何のイベントもなく、淡々と過ぎただけの一日。けれど、その淡々としたリズムが、私の張り詰めた神経をそっと撫でてくれる。そして、そんな一日の中で幾つ、娘と二人で素敵なことを見つけられたか。そのことが、私の心をうきうきさせる。
 肥料は何も、特別なものである必要はないのだ。わざわざ買った、専門の肥料も、確かにプランターの中にまかれている。でも、固まろうとする土を解し、その中に米屋で分けてもらったぬかを混ぜることでだって、樹々や花々は充分に美しく咲く。私も多分きっと、特別な何かなどでではなく、当たり前の毎日の中でこそ、自分が休まるのかもしれない。そんなことを、ふと、思う。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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