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2005年04月13日(水)

 目を覚ます。薄暗い天井の木目の模様が、ちりちりと歪んで見える。私は起き上がりカーテンを、そして窓を開ける。娘を起こすにはまだ少し早い時刻。私はただぼんやりと、街を見やる。雨が降っているということ以外には、いつもと殆ど何も変わらない景色。でも、雨が降っているというただその一事で、世界は全く別物になる。いつもなら東から真っ直ぐに伸びて来る陽光を受けて光り輝く窓たちが、今日は鬱々と静まり返っている。樹々や屋根の輪郭も何処となくぼやけ、いつもなら明らかに浮かび上がる凹凸がすっかり失われてしまっている。私はその様を、窓枠に寄りかかりながらぼんやりと、眺めている。
 昨日の出来事はまるで百年は昔の出来事のように、私の内奥に埋もれてゆく。振り返ってもすぐそこにある、いつもの昨日の出来事ではなく、もう手の届かない、遥か彼方。出来事の前後を思い出そうと努力するけれども、全く思い出せない。病院から戻って娘にご飯を食べさせたはず、でもその後のことが全く辿れない。一体どうやって娘を眠らせたのか、一体どうやって私は眠ったのか。記憶がないということは時に人を不安にさせる。でも今の私の中では不安よりも、気だるさの方が勝っている。薄暗い外景とさらさらと降る小雨。私は街を眺めるのを止めて、着替え始める。そして娘を揺り起こす。
 ねぇみう、今日はママ、髪の毛下ろしていこうかなぁ、でも、変かなぁ? どれ、見せて。うん。えぇっとねぇ、じゃぁこんな感じ? 彼女はそう言いながら、私の髪の毛を一生懸命いじってみせる。彼女がいじっても、実は全然変化がないのだけれども、彼女の中ではおおいに変化したらしい。ほらママ、これならきれいに見えるわよ、どう? じゃぁこれでいくか。うん、ママ、かわいい! 彼女の得意げな顔があまりにかわいいので、私はちょっと吹き出してしまう。もう一度鏡を覗いても、私がばさりと下ろした髪の毛と彼女がいじった後の髪の毛は、殆ど変化がないように見えるのだが。でもまぁこれも、気の持ちよう。私たちはそれぞれに鞄を背負い、玄関を出る。
 坂道の途中のスノードロップも花韮も、ずいぶんひしゃげてきてしまった。傘をさして歩く私たちは、ちらちらと道の両脇に目をやりながら歩く。郵便局の目の前に立つ桜の樹は、もうすっかり花びらを失ってしまった。その代わりと言っては何だけれども、樹の足元は花びらで埋め尽くされ、私たちはそれを踏んでしまわないよう、避けて歩く。ねぇママ、花びらはどうなるの? どうなるって? ああやって落ちて道にいっぱい溜まって、それからどうなるの? …それはねぇ、うーん、まず天気がよくなったら風が多分何処かに連れてっちゃう。それから? 土の上に落ちたら、花びらはやがて腐って肥料になる。肥料って何? 肥料っていうのは、土に栄養をあげるもの。花びらが栄養になるの? うん、花びらも枯葉も、土の上に落ちればいつか必ず肥料になるの。じゃぁ土の上に落ちなかったら? うーん、誰かが箒でお掃除して、ゴミ屋さんにもって行かれちゃうかなぁ。ふーん。
 保育園の入り口でキスをして、私たちはバイバイをする。夕方までバイバイ。私はその足で駅へ向かう。込み合う電車の中で、私の左腕が人と人の間に挟まれる。痛みはないけれども、挟まれたことで自由がきかなくなり、私の頭はだんだん熱くなってくる。このままだとパニックを起こすかもしれないという不安から、私は途中で一度電車を降りる。遅刻が嫌いな私は、出かける折いつでもたっぷりと時間を用意する。だから、一本二本くらいの電車なら見送っても大丈夫。私はその間に、自分の呼吸を整える。さぁもう一度。さっきより込んでいるんじゃないかと思える電車に、何とか身体を押し込む。そして後は、ひたすら目を外に向ける。何を見るわけでもないけれども、ただじっと、外を向く。余計なことは何も考えなくていい。この電車に乗って、仕事場に行き、仕事をこなし、愛想よく笑って、それさえうまく為せば一日は何事もなく終わってゆくのだから。

 帰りの電車の中、はっと気づく。そういえば傘を何処かに置き忘れた。さっきまで確か持っていたはずなのだけれども。何処に置き忘れたのか、私の中にはまったく記憶がない。私は早々に諦めて、駅の改札を出る。失くしたものは仕方がない。私は右手を額にかざし、雨の中を歩き出す。別に濡れたってたいして困りはしない。あちこちで傘の花が咲く街の中、私はたかたかと歩き続ける。娘の待つ保育園に着く頃には、上着がしっとりと濡れていた。
 ママ! そう言って笑顔いっぱいの娘が階段を降りて来る。家までの道程、保育園であったことをあれやこれや話す。ただそれだけのことなのだけれども、私はほっとする。いつもと変わらない風景がここにある。そのことが、私を安堵させる。
 ねぇママ。なぁに? 今日は病院行かなくていいの? うん、明日行くよ。ちゃんと先生に治してもらわなくちゃだめなのよ。はいはい、分かってる。そういうときにはいはいって言っちゃだめなのよっ。え、あ、はい。先生が言ってたんだから! はいはい。はいはいはだめなの! はい。思わず笑いそうになるのだけれども、彼女の真剣な顔を見ると笑うに笑えない。そして唐突に彼女が歌い出す。春のうららの隅田川…。隅田川が、どうしてもすみだわがになってしまう彼女の歌。でもそんなこと、たいしたことじゃぁない。いつか彼女が自分で気づくだろうし覚えるだろう。私は彼女の歌声を聞きながら家までの道を歩く。ママ、遅いよ! 早く! 彼女の声に手を上げて答える。
 一日はそうやって終わってゆく。背伸びをするわけでもなく、かといってしゃがみ込むわけでもなく、淡々と、淡々と過ぎてゆく。それは多分、幸せの一つのかたち。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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