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2005年05月25日(水)

 今日は朝早く遠方へ出掛けなければならないという理由で、昨夜の寝る前に飲む薬を飲まずにおいたら、無事に起きることができた。が。
 起きて着替えて娘に電話をして、さぁ準備万端、と家から出た途端、足元がふらつくことに気づく。おかしいなぁと思いながら真っ直ぐ歩こうと努力するのだが、どう頑張っても真っ直ぐに歩けない。こりゃまずいなと思いつつ、駅まで向かう。
 でも。これ以上は無理だと思われ。友人と両親とに電話する。二人が二人とも、「さっさと家に戻れ、途中でぶっ倒れるの間違いなし」と口をそろえて言うもので。これ以上歩く自信もやっぱり私にはなくて。そのまま戻る。時間が来たら先方にキャンセルの詫び電話を入れなければいけない。まったく私は何をしてるんだか。
 でも、ふらふら歩いている最中に、いくつものものを見つけた。まず、小学校の体育館脇にある紫陽花が、もう色をつけ始めたこと。それから昨夕ベランダで見つけたサンダーソニアの芽。人のほかに歩けないだろう細道で私の前を歩くパジャマ姿の老人。腰の曲がり具合や足の運びがとても懐かしい感じがして、しばらく見惚れていた。その老人と別れた後、今度は制服の中学生二人。長くきれいな髪の毛をした女の子が、髪を三つ編みに編みながら歩いていた。これもまた懐かしい風景。私もやったことがある、そんな懐かしさ。
 それにしても。今私が服用しているのはまっすぐ歩けないほど強い薬なのか? それとも私が長いこと何も食べてないせいか? わからないけど、まさかこんな状態にいまさら陥るとは思っていなかった。私はどうも、やっぱり、ぎりぎりのところに在るらしいことを、改めて実感。
 腕の傷が痛む。試しに痛み止めを飲んだ。効くのかどうかは分からないが。
 それにしても。植物のこの尊さ。命があちこちから溢れている。全身から漂い出す、命の匂いが。緑の葉、薄く染まった水色の花びら、誰に何を主張することもなく、ただそこに存在し、淡々と陽光を受け、日々姿を変えてゆく。あぁ私もいっそ、植物になりたい。できるなら、大きな樹になって、誰かが休める木陰を作って、ただそこに存在したい。
 でも私は人間。樹じゃない。
 そして人間であるはずの私は。
 死にたくない。生きていたい。生き残りたい。
 こんなふうにまっすぐに歩くことさえできなくたって、それが何だっていうんだ、私は生きる。絶対に。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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