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2009年08月18日(火)

朝五時に起きる。それはいつもの習慣。そこにこの夏休みは弁当作りが加わっている。
今時は非常に便利にできていて、冷凍食品が実に豊富だ。そのおかげで、私は手抜き弁当をしゃかしゃか作ることができている。
最近、岩のりのおにぎりのおいしさに目覚めたらしい娘は、今朝など、「鮭のおにぎりよりこっちの方がおいしい」などとのたまっていた。ついこの間までは、鮭のおにぎりが一番なんて言っていたくせに。そして最後の最後は、塩にぎりが食べたいなんて言い出すのだ。

塩も、藻塩のものが一番おいしいらしい。新潟に出掛けた折、その土地でふと見つけた塩。味見させてもらったらかなり濃い味の、粒の大きい塩だったが、「おにぎりに合うんですよ」とおばあちゃんがにっこり笑って紹介してくれた。それが印象的で思わず買ってきてしまった塩だった。
確かにおにぎりに使うとおいしい。塩の粒がしゃりんとしていて、舌にぴりっとくる塩味が絶品だ。
酒飲みの人にも人気があるらしい。

酒飲みといえば、私の友達には酒飲みが多い。ついでに、我が家に酒を置いていく人も多い。おかげで、私自身は晩酌などしないというのに、酒瓶が台所に何本か並んでいる。時々様子をうかがいにやってくる父は怪しんで「おまえが飲んでるんじゃないのか?!」とにらむような目つきで私を見やる。父よ、残念ながら娘は、一人酒はしないのだ。疑いの眼を向けないでおくれ。

先日プールに行った折、改めて気がついた。娘の右足の太もも裏には、まだギプスの痕が残っているということに。あぁ、こんな痕が残るほどギプスをしていたのだなぁと、しみじみ思った。そういえば、君がギプスをしていた折は、毎日毎日学校と塾との送り迎えで、本当に大変だった。
しかし、過ぎてみればそれもまた、いい思い出だ。そんなものなのだろう。

最近、娘がコンピューターで入力ができるようになった。そこで始めたのがラクーとかいうSNSで、畑を耕したり犬を育てたりできるところだ。娘が短いながらもそこで日記を書くというので私も参加してみることにした。彼女の日記にコメントを書いたり、私は私で彼女に向けた手紙を日記代わりに書いたりしている。普段言葉でやりとりするのを忘れていた事柄などが、そこに現れる。ちょうどいい伝言板のような感じだ。昨日は、畑で育てたにんじんを刈り取ってくれと娘に言われたのに忘れてしまい、娘も娘で私が育てたきゅうりを刈り取るのを忘れてしまいと、両方で頼まれたことを失念して、後で二人で笑った。

そんな娘が、時折手紙をくれる。その手紙に必ず、書いてあることがある。
「ママ、もっと笑って」
私はそんなに笑っていないのか?と、改めて自分を省みると、確かに、仕事以外ではあまり表情を崩さない自分に気がついた。仕事をしているときは、あれやこれやと表情を変えたりする必要があったりして、意識して笑顔でいるよう努めているが、いざ家でぼーっとしていると、笑顔なんて何処へやら、となってしまう。これでは娘から見たら、ママはいつも笑わないととられても仕方がないのかもしれない。
まだ英語でスマイルと書けない娘は、ローマ字で「sumairu」と書いてくる。最初それが何だか分からず、二度読み返して、あぁそういうことかと気がついた。娘に、「鈍い!」と怒られた。

お笑い番組を見て、すぐに反応してその場で笑える娘と、何がなんだかさっぱり分からないと遠い目をしている母と、よくもまぁこれで親子と思うが、しかし、何処かでこの構図、見たことあるなと思い返して気がついた。自分の家と同じだ、と。
父も母も、テレビをそもそも見なかったが、見たからといって笑うことは一切なかった。テレビを見て当時我が家で笑っていたのは弟だけだった。私は父母と弟の間で、どっちにいっていいのか途方に暮れていたものだった。結局、笑いというものが理解できないまま大人になり、この始末。
お笑い芸人になった方がいいんじゃないだろうかというような娘を持つ母としては、なんとも情けないが、まぁこれが私ということで。娘よ、赦せ。

そんなこんなで、我が家の夏休みも後半戦を迎えた。
あと少し。あと少ししたらまた退屈な学校生活が始まる。まぁ夏休みだって塾通いやら何やらで娘はいつもと変わらぬ生活といえばそうなのだが、それでも、二人でいる時間はいつもより長い。今日は何をしよう。
そういえば、昨日、本を四冊買った。
「チョコレート工場の秘密」「ホッツェンプロッツ(?)あらわる」「りかちゃん」「西の魔女が死んだ」。その四冊をこの後半戦で読んでごらん、ということで、娘に渡した。さて、何処まで読みきるだろうか。短くてもいいから読書感想文を書いてごらんと言ったが、どんなものが私の手元に届くのだろう。
今から楽しみでならない。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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