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2009年10月17日(土)

寝過ごした。耳元でアラームが鳴っている。急いで止めて時計を見る。四時十分。まだ間に合う。プリンターを見ればまたインク不足のランプが点灯している。私は急いで椅子に上がると、切れた二本のインクを手を伸ばして新しいものに交換する。
顔を洗い化粧水をはたき日焼け止めを塗る。それだけの作業なのだがもどかしい。時間がどんどん過ぎてゆくように思える。上着を羽織るのも忘れてベランダに出ると途端に粟立つ肌。日に日に冷え込むようになってきている朝、タンクトップに短パンでは寒すぎる。それでも私は鳥肌が立つまま髪を梳かす。
こんな朝でも、ミルクとココアは気配を察してちょこちょこと小屋から出てくる。そして鼻をひくひくさせてつぶらな瞳でこちらを見つめる。私はちょっと迷った後、ひとりずつ掌に乗せ、ちょこちょこと撫でてやる。
そういえば薔薇におはようを言い忘れた。思い出して急いで再びベランダに出る。まだ暗闇の中、それでも薔薇の新芽はほんのり輝いており。その瑞々しい様がありありと分かる。挿し木したものからも新芽が出始めている。これはどの樹の枝だったか、思い出すことができないのだけれど、何にしても新芽が出てくれることはとびきり嬉しい。これで増やすことができる。新芽の先を、指の腹でちょこっと触る。赤子の肌のような柔らかさがじんじんと伝わってくる。

駅近くの画廊に、友人の絵を観に行く。彼女とはかつて、インターネット上で毎月テーマを決め二人展と称したものを為していた。毎月一枚、彼女は絵を、私は写真を更新した。一枚だから簡単だろうと思われるかもしれないが、テーマに沿った一枚を生み出すのは、繰り返していけばいくほど難しくなる。どのくらいの期間続けたのだろう。それでも二年くらいは続けていたんじゃなかろうか。
彼女の絵はしっかりと自分を持っている。どんなテーマを与えられても、その一貫性は変わらず、だから見ていて安心できるものだった。彼女は油も版画も為すが、二人展では水彩で描いていた。描写が実に細かいかと思えば、構図はとても大胆で、そのギャップが彼女の絵の一つの魅力にもなっていた。決して人を不快にさせることのない、それでいて芯の通った絵が、いつも在った。
そんな彼女の絵に久しぶりにじかに会える。それが楽しみで、私はわくわくしながら会場に出掛けていった。グループ展ゆえ、所狭しと小さな絵が並べられている。入り口から入って少しいったところに、彼女の一角があった。
あぁ、懐かしい。見た途端、そう思った。二人展の時の感覚が蘇ってきた。でも、彼女の絵は決してとどまることはない、新化し続けている。以前よりずっと観察力が増したのだろう、細かな描写が実にいい。それでいながらやはり構図は大胆で、私はその様にほうと溜息が出る。小さな額の中で、絵は生き生きと踊っていた。今にも額から飛び出してきて、こちらに話しかけてきそうだった。
ここに私は在る。祈りよ届け。まるで絵は、そう言っているかのようだった。久しぶりにいいものを見せてもらった。なんだか心が満腹で、私は足取りも軽く、画廊を出た。

お米を普通にといで、いつもの分量の水を入れる。そこに、濃縮されためんつゆを二回しほど入れて炊く。それだけで、風味豊かなご飯が炊ける。これを基におにぎりをつくる。昆布を入れたり、たらこを入れたり、具材はその時思いついたものを。どんな具材でも何故かしっくりくるのだ、このご飯は。ついでにいえば、握る時、塩がいらない。炊いた時すでに味がついているから、塩をつける必要は殆どない。お手軽おにぎりできあがり、である。
もう一度、今度は何も入れることなく普通に炊く。炊き上がったご飯に鮭のほぐし身を入れる。全体にまんべんなく混ぜ上がったら、それをまたきゅっきゅっと握る。うちの鮭にぎりは、真ん中に具があるのではなく、鮭を混ぜたご飯を握るという具合。これもまた、握る時の塩は殆どいらない。
そうして時間のあるときにまとめて作ったおにぎりは全部冷凍庫へ。これを必要な時解凍して食べる。うちの毎朝の朝食おにぎりは、こうしていつも作っている。
今朝のおにぎりはちりめんじゃことゆかりを半々に混ぜたごはんを握ったもの。私に叩き起こされて、娘はまだ半分目が閉じている。それでも口は動いており、はぐ、はぐ、とゆっくり噛んで食べている。それを横目で見ながら、私は洗い物をしている。
ねぇママ、今日先生出張で留守なんだよ。ふぅん。やったーって感じ! まぁそんなもんだよね、私は笑う。それでね、いろんな先生が交代で来てくれるんだって。楽しみぃ! 食べながら娘の顔は笑顔になってゆく。よほど楽しみなのだろう。K先生でしょ、T先生でしょ、それにS先生も来るんだって。あ、ママ、私ね、音楽会、ソプラノ担当になった。えー、高い声、出るの? まぁ何とかなるんじゃない? そうなんだ、頑張れ。と言った途端、彼女がオペラ歌手の真似をしてみせる。思わず私は噴き出す。何それぇ。高い声、出るでしょ? そういう声で歌うわけ? まっさかぁ! でもまぁ、何とかなるってもんよ、うん。はいはい、頑張れ。

そろそろバスの時間だよ! 私は娘に声をかける。大きな鞄を背中に掛け、娘は靴をはく。玄関を出ればアメリカン・ブルー。今日は三つの花が咲いている。青い青い小さな花。こんな曇り空の下でも、鮮やかに咲くそれは、私の元気の素だ。
始発のバス、ゴルフバッグを担いだ人、マスクをし俯いたまま吊革につかまる人、みなばらばらにバスの中、揺られてゆく。駅まではあっという間。娘は私の隣で小さく鼻歌を歌っている。
ねぇママ、このパン、じじにあげちゃっていいの? うん、いいの。そのパン、じじ好きだから。ママの分は? ママのはまた新しく作ればいいじゃん。そっか。それならいいけど。何で? だって、ママの分がなくなっちゃうと思ったから。はっはっは、そんなの大丈夫、また作ればいいのさ。
駅のホーム、すぐに青い電車は滑り込んでくるはず。私たちは軽くキスをして、手を握り、別れる。しばしの別れ。青い電車に乗り込む娘。私はオレンジ色の電車に乗る。
乗った途端、娘からメールが届く。ママ、行ってらっしゃい。私、頑張ってくるからね! だから私も返事を返す。行ってらっしゃい! 頑張れ、応援してるよ。ママも頑張るからね!
曇り空の下、私たちの一日が始まってゆく。この雲の向こうには、青空が広がっていることを信じて。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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