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2005年03月28日(月)

 目を覚まし、窓の方を見やる。日差しが明るい日なら、部屋の橙色のカーテンは向こう側から光をいっぱいに受け、明るく燃えている。でも今日のような日は、しんと静まり返り、カーテンは少し、重たげに見える。私が窓に近づき、思いきり音を立ててカーテンを引くと、街は一面、薄灰色に染まっていた。見上げる必要がないほど空は街に近く下りており、私はその低さに窮屈さを覚え、ぶるっと身震いをする。
 娘を揺り起こす。そして二人で窓辺に立つと、娘が言った。「ママ、雨降るね」「うん、降るね」「今きっとね、空がいっぱい雨玉をおなかにいれてるんだよ。空のおなかはきっと、たぬきみたいにぱんぱんになってるよ」。空とたぬきとぱんぱんのおなかの絵面を想像して、私は思わず吹き出してしまう。「みうのおなかもぱんぱんよね」「ううん、ぱんぱんじゃないよ、ほらっ!」。そう言って娘ががばっと寝巻きをまくりあげ、思いきり凹ましたおなかを私に見せてくれる。
 娘と家を出る頃に、雨は降り出した。私たちは傘をさして歩く。水色の大きな傘とピンクの小さな傘。傘をさしながら手を繋ぐと、繋いだところに雨が傘からぽたぽた落ちて来る。ママ、雨、冷たくないね。うん、もう冷たくない、春だからね。春になると雨もあったかくなるの? そうねぇ、あったかくなるねぇ。じゃぁ夏になったら暑くなるの? え? いや、暑くはならないんだけど…。暑い雨が降って、みんなあっちっちーってなるの? いや、そうはならないんだけど、えーと、ほら、あっつい雨が降ったら大変でしょ? みんな外歩けなくなっちゃうし、夏はそれだけで暑いから、逆に、みんな涼しくなりましょうって言って雨が降るんじゃないの? そうなの? …多分、きっと。ふーん…変なのぉぉ。うまく彼女に説明できなくて、私はしどろもどろ。苦笑しながら、彼女の横顔を見やる。前を向いていてもきょろきょろ左右に動く瞳。今あの瞳には、何が映っているんだろう。
 病院から家に戻り、再び窓の際に立つ。街中が雨でけぶっている。私はぼんやり、ただその景色を見つめる。雨の一粒一粒が、まるで生き物のように見える。一粒一粒があれやこれや耳打ちし合いながら空から落ちて来る。そんなふうに。
 降りしきる雨をこうやって眺めていると、雨はとてもやさしげに見える。乾いた街をしとしとしとしとと濡らし、それは決して雨の無理強いではなく、街の方から雨に近づくように誘い、そしてじきに街中が濡れてゆく。湿ってゆく。雨が止んだ後の街はだから、何処までも輪郭がやわらかい。乾いている最中では尖るばかりだった線も、雨を吸って思いきり伸びをする。特にこれからの、新緑の季節に降る雨は、降る毎に土から精気を呼び起こす。土がこれほど少なくなった街の中でさえそれが感じられる。私は目を閉じ、しばらく記憶の片隅を辿る。裏の小学校に生えるプラタナスの樹々、埋立地の広い道沿いに並ぶ銀杏の樹、港へ真っ直ぐ降りてゆく急坂の途中で連なる壁を埋め尽くすように絡み合う蔦、様々な緑が、雨が降る毎に色濃くなってゆく様。それらの緑のそばで深呼吸すると、胸の中まで緑色に染まるような錯覚を覚える。今年もまた、そんな季節がじきにやってくる。冬が去ってしまったことは寂しいけれども、そんな季節が近づいている、そのことを思うと、今から緑を呼吸することが楽しみでならなくなる。今年の緑はどんな色合いだろう。どんな匂いがするだろう。

 娘と夕ご飯を食べながら眺める天気予報。気象予報士が各地の桜の開花についてのニュースを流す合間に、この雨は催花雨と呼ばれる類の雨だと話す。催花雨。桜の開花を促す雨であるなら、催よりも誘の方がより合っている気がする。そんなことを思いながらふと隣の娘を見やると、娘は大きな口を開けてめかぶの皿に食らいついていた。めかぶや酢の物、納豆が好きな幼子というのも、ちょっと笑える。
 降り続く雨。娘は眠れなくて、椅子に座る私と寝床を何度も往復する。少し苛々しながら、私はふと思う。催花雨じゃぁなくて、今だけでも催眠雨になってくれないものだろうか。娘の眠りと、それから、できるなら私の眠りも。
 ふと左向こうの柱を見やると、昨日娘と生けたアネモネと黄色い野草。壁掛用の細い花瓶の中で、みんな花びらを閉じて眠っている。きっと今頃、ベランダのプランターの中、薔薇の樹もアネモネも眠っているに違いない。身体中で日差しを浴びることを夢見ながら。
 布団に横になってから約二時間、ようやく娘の寝息が聞こえてきた。忍び足で布団に近づいてみると、私が横になる場所にありったけのぬいぐるみを並べて、自分は布団の端っこで毛布を思いきり蹴飛ばして眠っている。彼女のおなかに、私は薄いタオルを掛け直す。そして彼女の足元にしゃがみ、思い出す。私もベッドの大半をぬいぐるみで埋め尽くし、自分はいつ落ちてもおかしくないような端っこの位置でよく眠っていたな、と。今振り返ればそれはもう、懐かしい思い出。
 さぁおやすみ。明日君が目が覚める頃には、この雨もすっかり、上がっているに違いない。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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