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2009年08月27日(木)

朝起きると、ミルクがごそごそ何かやっている。見ていると、床に敷いた木屑を、片っ端から掘り起こそうとしている。この前娘がきれいに敷き詰めた木屑はだから、すっかりぐしゃぐしゃ。そうして次に何をするのかと思いきや、砂風呂の中でひっくりかえって、ばたばた。ハムスターもずいぶん忙しいんだなぁと思いながら眺める。でも、ハムスターは夜行性だと聞いたのだが、ミルクの場合、うちに来てから朝方じつによく動いている。こんなものなのかなぁとちょっと不思議になる。

白薔薇のパスカリが小さく小さく蕾を開かせる。指先に収まりそうな、小さな小さな花だ。それでも、微風にゆらゆらゆれながら、咲いてくれている。うれしい。他にも蕾があちこちに四つほど。同じ樹に咲く花でも一つ一つ違う。その違いが楽しい。

昨夕、母に電話をする。つながらない。父にも電話をする。つながらない。おかしい。何度も電話してみるものの、どちらにも一向につながらない。
心配を重ねて待っていると、ようやく夜になって母から電話がくる。
「どうしたのー?」
「どうしたのって…今日、治療の日だったでしょ」
「うん、それで?」
「それで、って…あの、一応心配していたんですが」
「あぁ、もういつものことだから。何とかするしかないわよ」
「…そうだよね。はい」
頼もしいことで、母は何かこちらで心配していても、何とかするしかないという立ち位置で自分できちんと事を片付けてしまう。父は何とかするしかないなどと思うこともないのか、目の前にあることは当然片付けるもの、というような姿で、顔色ひとつ変えずに前進していく。こういうところ、何故私は受け継がなかったのかしら、などと、ちょっと思ってみる。迷っていても仕方がない、目の前にあることは避けるか突き進むかどちらかしかないのだから、と、さっさと割り切って行動してゆける力がもう少し備わればいいのにな、とわが身を振り返り思う。
短い話をし、まだ帰ってきたばかりだという母と電話を切る。
こんな遅くまで、どこをほっつき歩いていたのかしらん、と心の中で思ったが、まぁ子供じゃぁないんだから大丈夫でしょう、父もいることだし、と自分を納得させる。

そんな私の横で、娘は延々と漫画を読んでいる。何で同じ漫画を何度も何度も読めるのだろう、といつも不思議になるのだが、それでも彼女は繰り返し繰り返し読む。新しい漫画を私が買おうとしない、というのが理由の一つなのかもしれないが。まぁそれは置いといて。
ふと思い出したように、娘が言う。
「ねぇ、ママ、ママって胸大きかったの?」
「なんで?」
「健ちゃんが言ってた。昔パパも言ってた。ママは胸が大きかったって」
「そうだったっけ? もう忘れた。でもまぁちょっと大きかった」
「私もそうなりたーい」
「えー。胸あると邪魔だよ。おへそ見えないもん」
「え、そうなの?」
「走るときとかも邪魔だしね、いいことあんまりないよ。かわいいブラジャーも選べないし」
「えー、そうなの? それ、やだ」
「じゃぁ、適当な大きさの胸にしとくのがいいよ」
「ふぅーん、じゃぁかごめ(このとき彼女は犬夜叉を読んでいた…)なんかはブラかわいいのじゃないんだ」
「…知らない」
「ママ、いつからブラジャーしたの?生理はいつから?」
「小学校五年生の時」
「ふぅーん、そうなんだ。じゃぁ未海も?」
「未海もそうかもしれないね。ばばは中学生になってから来たって言ってたよ」
「違うんだー。へぇぇぇ」
「ママ、今、生理前だから、しんどい」
「生理前ってしんどくなるの?」
「なるよ。だるーくなるし、頭も痛くなるし、背中も痛くなるし。ママは生理痛、昔から重いんだ」
「そうなんだー・・・ふぅぅぅぅん」
最近、こんな会話を時々交わす。もう同級生の中には数人、生理が来ている子たちがいるらしい。娘ももうそろそろ、そういう知識を持っていてもいい頃だろうと思い、彼女が聞いてきたらできるだけ答えるようにしている。それでも私は不安になる。生理がくるということは、何かしらの危険も伴うということ。私が被害に遭ったように、娘にもそういう危険が増えるということ。それが、何より私に重くのしかかる。
大丈夫、大丈夫、何もなく過ごせることだってあるのだから、と自分で自分を諌める。しかし心配は、どろどろと私の中に巣食ってゆく。
でも。
そういうことにも、ぶつかってゆくしかないんだろうな、とも思う。結局、人生なんて体当たりのようなものなんだろうな、とも。

そうして今日。
ちょっと足をのばしてみようと思い、用事も兼ねて隣の隣の町まで自転車を飛ばす。心地よい陽射しに涼やかな風。自転車を力いっぱい漕いでいても少し汗ばむ程度だ。もう秋なのだなぁと、水色の空を見上げながら思う。

さぁ、明日はもう学校が始まる。
夏休みは今日までだ。
秋に為すべきことは、山積みになっている。
ひとつひとつ、残らずこなしていけたら、いい。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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