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2009年08月25日(火)

朝夕のこの涼しさ。体が軽くなる。
でも、今年の夏の暑さは短かったのかもしれない。この部屋で暮すようになってだいぶ経つけれども、今年は思ったより過ごすのが楽だった。娘の汗疹も軽くて済んだ。

アメリカン・ブルーの脇のラベンダーは、すっかりアメリカン・ブルーに領地を奪われ、もう瀕死の状態。かといって今プランターをひっくり返すわけにもいかず。もうしばらく、涼しくなるまで頑張ってくれ、と、声をかける。
薔薇の中でも白と橙色の樹に蕾が二つ、三つ。白は確かに白なのだが、橙色の方は新しい苗のせいか、微妙に色が毎回違う。今回はどんな色を見せてくれるのだろう。少しどきどきしている。
ホワイト・クリスマスの葉の裏にこびりついた蟲たちを、一生懸命指でしごく。頼むからいなくなってくれ、と祈りながら。

我が家に新しい家族が増えた。
ミルクとココア。娘が命名した。ハムスターだ。
それぞれ、イエロージャンガリアンとサファイアブルージャンガリアンという種類らしい。どちらもメス。娘はもう嬉々として世話をしている。
ミルクの方は、あっという間に環境に馴れてくれたのか、気が向くと巣から出てきては遊んでいる。餌の食べ具合もぺろりだ。
一方、ココアの方はというと。これがもう臆病で臆病で。これでは病気になってしまうのではないかと思うほどに臆病で。餌はどうもそれなりに食べているらしいが、他は全く様子が分からない。
それにしても。ハムスターの寿命というのは短いのだな。知らなかった。たったの一年二年だとは。犬や猫、インコや鶉などしか育てたことのない私には、ペットショップの店員さんからそれを告げられた折にはびっくり仰天だった。

そんなこんなでばたばたした週末だったが、それにあわせたように、私の右顎が腫れ上がった。ばい菌が入ったらしい。痛みもひどいし腫れもひどい。そこだけぽっぽぽっぽと熱をもっているのが分かる。何をするのも億劫で、自分の顔を見るのが本当にいやだった。
抗生物質を呑み、痛み止めを呑み、結局歯を一本抜いて、今に至る。だいぶ腫れはひいたものの、それでも気になる。
顔がこんなにも、気持ちの大半を占めてしまうとは。普段、顔のことなど全くといっていいほど意識したことがなかったが。鏡を見、歪んだ自分の顔を見るたび、まるで自分全体が歪んでいるかのように思えてしまうのだ。つくづくいやになった。鏡などもう見たくない、でも、見てしまうというそのどうしようもない悪循環の中で、顔というものがどれだけ人を表しているのかを、改めて思い知った。
頼むから、早く腫れがすっかり引いてほしいものだ。

病院にいつものように行き、言われるのはいつも、薬の量があなたは多いのだということと、睡眠時間が短いということと、そして煙草。煙草はやめなさい、早く長く寝なさい、薬の量を減らしなさい、云々。もう聞き飽きた。
とある薬のことを持ち出して、これとこれ以外いりませんといったら、どうしてこれとこれの効用を知っているのだといわれる。知っているに決まってるじゃないか、自分が飲んでる薬について調べないわけがない、と心の中で吐き捨てる。この人は患者の何を見ようとしているのだろう。いつも不思議になる。
睡眠時間が前は二時間、三時間だった。それが今は三時間、四時間は必ず眠っている。前者の頃は、せめて三時間四時間は眠れるように、と言い続けていたくせに、後者になったらなったで、五、六時間は寝るのが当たり前だ、とくる。先生、あなた、言ってることがころころ変わってるんですが、と突っ込みたくなったがやめた。ばかばかしい。
煙草は人をいらいらさせるんですよ、早くやめなさい、落ち着かなくさせるものなんですよ、早くやめなさい。先生、分かりましたが、私は今のところ煙草をやめるつもりはありません。酒は呑みませんが、煙草は吸います。申し訳ございませんが。
来週、カウンセリングのとき、思いっきり言いまくってやろうかと思いながら、病院から帰宅する。あぁばかばかしい、病院に行っていらいらしているんじゃ意味がない、とつくづく思う。

小学校の連絡網が回ってくる。登校日には、必ず体温を計り連絡帳に記入のこと。インフルエンザの件でそうなったらしい。
そういえば、うちの娘も私も、風邪らしい風邪をひかず、長いこと過ごしている。娘を振り返りながら、元気有り余る子で本当に助かる、と、感謝する。そうでもなければ、片親業などやっていられない。

それにしても。
空はすっかり秋の気配だ。うろこ雲が広がる。そうして母のインターフェロンの治療も今週が最後だ。あとは。
あとは半年後の結果を待つばかり。
哀しい結果が出ませんように、と、今日もまた、私は空に祈る。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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