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本、出します。

近々本出します。
インパクトの強いタイトルで、ぎょっとされる方も多くいらっしゃるかもと思います。でも、書いてあること扱っていることは、特別なことでも何でもありません。
ごくごく当たり前の、誰もが何処かで思ったり考えたり悩んだりしたことがあるんじゃないかと思えることがらたちです。

いや、自分は性暴力加害者/被害者になんてなるわけないから、そんなわけないだろ、と仰る方も多くいらっしゃると思います。
特に加害者になるわけはない!と。
でも。本当にそうでしょうか。

確かに、一線を越えるか越えないか、は、大きな差異です。彼らは越えてしまった。だからこそ私は彼らと、そのプログラムで出会ったわけです。
越えてなかったら出会うことも、なかった。

果たして、性暴力の加害者/被害者となることは、特別なことでしょうか。
本当に特別なこと、ですか?

私はそうは思いません。そうは思えないのです。

誰もが被害者に、誰もが加害者になり得る。それが私たち人間の業なんじゃないか。私にはそう思えます。

また、被害者だけの人間もいなければ、加害者だけの人間もいない。
私は常々、そう思って生きています。
自分がそうです。
私は確かに、ある一方向から見れば性暴力被害当事者です。でも、じゃぁそれだけか?といえば、否です。私の態度や言葉によって追い詰め傷つけた人たちがいっぱいいる。ここまで生きて来る中で、たくさんいる。たまたまそれが、一線を越えなかったというだけ。
私の中に、加害も被害も、共存している。
私はそう、思っています。

私が彼らと対話したいと思ったのには切実な理由がありました。それがそもそものきっかけです。
でも今は、それだけじゃないです。
彼らを知ることは、自分や自分の大切なひとたちのことを知ることにも繋がっています。そう、彼らの中に在る加害や被害をまっすぐに見つめることは、自分を知ることにも繋がる。

彼らを特別な人間と思わないでください。彼らは、あなたの隣にいるあなたのよく知るひと、いや、あなたの中に潜む誰かかもしれません。
決して他人事ではないのです。

この本には、2017年から続けてきた私と彼らとの往復書簡、やりとりしてきた言葉たちがいっぱい詰まっています。
読んでいて、時には反吐がでる、気分が悪くなることもあるかもしれません。でも。
それは決してひとごとなんかじゃない。あなたの裡にも潜んでいることかもしれない。そのことからどうか、目をそらさないでください。

互いに知ることによって、見えて来る新しい地平がある。断絶や分断だけではない道がそこにはあるかもしれない。


このプログラムは、今日もまた新しい手紙のやりとりで、これからも続いていきます。
この本で終わり、ではありません。
むしろ、ここからが第二のスタート、と私は思っています。
そんなやりとりを、そっと見守っていただけたら、とてもとても、うれしいです。

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