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2005年12月27日(火)

 カーテンの向こうが少しずつ明るくなってゆく。その気配を感じながらも、布団から起き上がる気持ちになかなかなれず、枕を抱きなおしてみたり、まだ眠っている娘のほっぺたをつんつんしてみたり。もういい加減まずい時間だろというところまで、結局布団に包まっていた。
 橙色のカーテンを開け、同時に窓も開ける。ひゅんっと首筋を滑ってゆく朝の風は、まるで私をからかっているようで、耳を澄ますと笑い声が聞こえてきそうな気がする。
 いつもの習慣で、私はベランダのプランターをひととおり見回す。土はまだ湿っている。今朝は急いで水をやる必要はないかもしれない。そう判断した私はベランダにくるりと背を向け、娘を起こしにゆく。ほら、急いで、ほら、着替えて、ほら、こっち。とある絵本の中にこんな一節があったっけ。「早く早く、早くしなさいってママは言う、でも、ママはずっとお喋りしてる」。そう言って、男の子はお喋りを続けるお母さんの足元にぺたんと座って、ぶすっとした顔をしているのだった。私も朝は特に、早く早くと娘を急かしてしまう。急かしながら、あぁあの絵本と同じことしてるよなぁ、と、心の中、苦笑している。今頃娘も、「ママってば、早く早くって言うけど、ママだってだめじゃない!」なぁんてお思っているんじゃなかろうか、と。
 いつものように病院へ。受付のソファに座ったものの、何だか身体がだるくて、鞄を枕に横になる。できるだけ小さく身体を丸め、目もしっかり閉じて、自分の診察が回ってくるのをただひたすら待っている。
 このところ猛烈に湧き上がる自分を切り刻みたい衝動、自分を消滅させたい破壊させたい衝動、私の時間を終わりにしてしまいたいという衝動などについて思いつくまま主治医に話す。そういう時、娘の存在が何とか歯止めをかけてくれるのがたいがいなのだけれども、時々、それさえ効かないことがあることも話す。私は私に価値を見出していない。私は私がここに存在していること自体に罪悪感を抱いているし、もっと遡れば、この世に生まれたこと自体に罪悪感を持っている。そんな私に、価値を見出せと言ったって無理な話だ。ここで呼吸して息をして存在しているその事自体が罪であるのだから、罪から価値を生じさせようとしたって土台無理なのだ。けれど。
 そんなんじゃいけない、と、私は思っている。このままじゃいけないとも思っている。ただ、じゃぁどうすればいいのか、それが分からない。
 父母との関係の捩れ、強姦やそれにまつわる諸々の、これまで経てきた体験から身に着けてしまった自己破壊的な鎧、自分でももはや意識していないような領域でこれでもかというほど高く積み上げてしまった壁等々。
 いつか解かなければならないことたちだけれども、今は無理、とにかく今は次に会うときまで生き延びていてくれればいいから、それだけ考えてちょうだい。それからね、さをりさん、あなたは自信を持っていいのよ。ここまで踏ん張ってきたのは、間違いなくあなたの力なのだから。そんな自分を誇っていいのよ、自信もっていいのよ。主治医がそう繰り返す。私は返事ができず、ただ俯いて黙って先生の言葉を聴いている。

 帰り道、何となく立ち止まり、煙草に火をつける。私のすぐ脇には、庭からはみ出るほどに大きな大きな桜の樹が立っている。幹は見事なほど黒光りし、四方に伸びる枝々は、凛としている。私はちょっと真似してみる。背筋を伸ばして、左手だけ空に伸ばして。でも、とてもじゃないが、この桜の樹には似ても似つかぬ姿。私の心は惨めなほど縮こまっており、それはそのまま、姿にも現れ出てしまう。だからどう真似をしようとしたって無理なのだ。礎のところから彼に沿うのでなければ。
 電車の中、急に情けなくなって、ぽろりと涙が零れてしまう。全くこんなところで何をしてるんだかと慌てて目をこすってみるものの、ぽろりぽろりと零れてくる。何だか悔しくなってきて、私は唇を思い切り噛んでみる。泣いたって何も変わらない。涙なんてこぼしてみたって何も変わらない。泣くくらいなら笑ってしまえ。へらへらへらへら笑っていたら、いつかいいことのひとつくらいあるかもしれない。笑っていればとりあえず、ご飯くらい食べられるかもしれない。笑っていれば。
 真夜中、衝動的に切り刻んでしまった傷は、ぱっくりと深く切れているのに、殆ど血が零れてこない。先生の言った通りだ。私は何だかおかしくなってしまって、ひとりでくすくす笑ってしまう。もういくら切ったって、当分私は救われない。ぱっくり傷口が口を開けて、白い筋やら何やらが丸見えになったって赤い血は溢れてこないのだ。私の中に血は流れてる? その血は本当に赤い? それさえ今はもう、確かめようがない。
 なら、笑ってしまえ。そうさ、笑ってしまえ。転んだり倒れたりしても、へへへと笑って起き上がればそれでいい。
 気づけばもう真夜中も過ぎた。明日も用事が山ほど詰まってる。私は半分開けた窓から夜空を見上げる。大丈夫、きっとまた朝が来る。そしたらおはようと言って笑ってみればいい。多分それだけで、ひとつかふたつの厄介事くらいなら、何とかなる。多分きっと。そう、きっと。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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