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2009年08月29日(土)

いい天気だ。いい天気過ぎてプランターは元気がない。昨日たっぷり水をやったのに、アメリカン・ブルーなどはもうしおれかけてきている。また今日の夕方にでも水をやらないと。
アメリカン・ブルーの脇のラベンダーは相変わらず貧弱だ。大きくなぁれ、大きくなぁれ、とまじないをかけながら、葉を撫でてやる。

金魚は一匹生き残った大きな金魚と、新たに買い足した小さな金魚二匹が、競争するように水草の周りを泳いでいる。昨日から娘がいないので、娘の代わりに餌をやる。とたんに水面に集まってくる金魚、そのぱくぱくとした口。ちょっとおばかっぽくて私は好きだ。

ハムスターはというと。ミルクはもう、砂浴びの砂だろうとトイレの砂だろうと構わずおしっこをひっかけるものだから、砂替えが大変だ。昨日も全取替え、今朝も全取替え、これじゃぁ砂がいくらあっても足りない。何とかうまい方法はないものかと考え込む。しかし、今のところ方法は浮かばない。
ココアの方は相変わらず静かだ。砂浴びの砂のところでおしっこをすることもなく、餌はひまわりの種が好物らしく、それらを一番最初に食べてしまう。好きなものを最後まで残して、最後の最後に食べようとする私とは違うんだななんて、妙なところで自分と動物を比べてみたりする。確かに、好きなものを一番に食べてやらなければ本当は生き残っていけないのかもしれない。好きなものを最後にとっておくなんて術は、人間だけのものなのだろうか? ちょっと不思議になる。

昨日は久しぶりに石を仕入れに出掛けた。私は、どんなに美しく見える石でも、自分が呼ばれていないと思ったら買わない。どんなにレベルの高い石であっても、自分が呼ばれていると感じられなければ買わない。
昨日結局仕入れたのは、三種の石。青系のクォンタムクワトロシリカとクリソコラ、グリーンファントム。それだけ。
呼ばれないときは買わない。どんなに高価そうな石が出揃っていても買わない。そう決めている。
でないと、言霊ブレスは作れない。ただレベルや値段が高いだけの石では、作れないからだ。呼び合う石をつむぎ合わせてやらないと、石たちは素敵な歌を奏でてはくれない。

そうして駅を三つ分、自転車を飛ばして炎天下、家に戻る。学校から戻る娘を出迎えるためだ。夏休み最後、金曜日から日曜日をじじばばの家で過ごすことになっている。だからこそ、出掛ける前に彼女の顔をしっかり見ておきたい。そう思って。
二人でバスに揺られている最中、その日買ったとある本を娘に見せる。こんな写真があったよ、と。娘は何も不思議に思わないらしく、その本の中の、私が指差した写真を眺めている。私が少し説明する。今この人はこういう病気なんだって。そうなの?そう、そういう病気があるの。ママも一時期そういう症状に苦しんだことがあったよ。そうなの?うん。ママはどうしたの?うーん、薬を飲んだからって治るようなものじゃなかったから、長いことつきあって、今も時々そういう衝動と戦ってるの。そうなの?うん、そう。でもママ、私、この人の声好きだよ。一緒にライブ行ったよね。行ったねぇ。みんな、いろいろ抱えてるもんなんだよね。そうなの?そうだよ、多分ね。ふぅん。
何を伝えたいわけでもない。ただ、そういうものがあるということだけを彼女に知らせたかった。それ以上のことは私は伝える必要はない。彼女が自らその壁にぶつかったとき彼女自身が考え悩み乗越えていくべきこと。私にはそう思えるから。そしてそこで親としてできるのは、ただ彼女を見守り続けること、それだけだと思うから。

夕方、蝉時雨も一段落ついた頃、父とある話をする。
今の私の病院と、先生との関係についてなど。
私が十代の頃、一番最初に自殺未遂した折、助けてくれた稲村先生はもういないが、父にはその関係の知り合いが残っている。だから私から切り出してみた。
「結局おまえはM先生に捨てられたってことかぁ。…おまえはM先生に最後までついていくんだと言ってきかなかったから今まで黙っていたが、そういう状況なら話は別だ。つてを辿ってみよう」。父がそう言ってくれたとき、正直涙が出そうになった。
父がそう言ってくれたことに対して、もそうかもしれないが、それ以上に、私が発した言葉を必死に、今まで見守ってきてくれたのだな、ということをそこで改めて知ったからだ。M先生についていく、私を治してくれる先生はあの人しかいない、と私は確かにかつて言った。でも違った。M先生は去ったし、今私は、この病気は他人が治してくれるようなものではないことをもう知っている。
父母は、最初、医者が治療に協力してほしいと連絡をとったとき、それをばっさり断ち切った。精神科になど足を踏み入れるつもりはないし、自分たちには関係はない、と言い切った。その時私はショックを受けた。私はそれをかなり長いこと引きずってもいた。しかし。
徐々に徐々に、父も母も、自分たちがそれを理解できないというところから私を理解しようとしていることに気づき、そして今、そういう立ち位置から必死に私を見守っていてくれたことを改めて知る。
あぁ親というのはなんて哀しい存在なのだろう。なんて切ない存在なのだろう。でもそれがあるからこそ子供はやってゆけるのだ。きっと。

私の娘に親は私しかいない。
そのことを、私はしかと自分に刻んでおかなければならない。自分がどんな立場にいるのか、を。
それを、痛感する。

夜遅く家に帰り、窓を思い切り開ける。夜気が瞬く間に部屋に滑り込んでくる。煙草を一本くゆらしながら、私はその日あった出来事、交わした言葉たちを思い返す。そして、短いながらも眠りに落ちる。

そうして今朝、朝一番の仕事に草木の世話、金魚の世話、ハムスターの世話を一通り終えて私は、再び一本煙草をくゆらす。煙は開け放した窓から空へ消えてゆく。発光する空に溶けて消えてゆく。
さて、今日はやりたいことがたくさんある。とりあえず何から始めよう。
遠く近く、もう、蝉の声がせわしなく聴こえる。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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