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2005年04月04日(月)

 布団で身動きひとつせず熟睡している娘の隣に潜り込んで、私は知らぬ間にうとうとしていたらしい。はっと目を覚ましたら、ちょうど真夜中だった。私は窓に近寄り、半分ほど開けてみる。外では小雨が降っていた。薄い薄い雨のカーテン。壊れた時計は九時四十五分で止まったまま。私は机に置いたままの腕時計を見る。明日の準備をしているうちにあっという間に午前二時半。もう一度娘の隣に潜り込む。
 次に目を覚ますと、ちょうど娘も目を覚ましたところらしく、一番に、おはようを交わす。ねぇママ、今何時? えっとね、六時みたいよ。本読んでもいい? いいよ、じゃぁ一緒に読もうか。朝から布団のなかでごそごそ動く二人。上から見たら、きっと芋虫みたいに見えるんじゃなかろうか。
 小雨の中、娘と保育園へ。今日から年長さんになる娘は、いつもの挨拶をしようとして口篭もる。組の名前を言って、それから自分の名前を言うというのが保育園の朝の挨拶。いままでのクラスの名前を言えばいいのか、それとも新しいクラスの名前を言うべきなのか。先生も笑っている。今日から新しいクラスの名前を言ってね。娘は嬉しそうに、ちょっと照れくさそうに、でも大きな声で挨拶を済ます。じゃぁまた夕方ね。ママ、一番遅く迎えに来てね。いや、それはちょっと…。遅くじゃないと、しおりちゃんとお絵描きできないんだもん。ははは、でもまぁいつものように迎えに来るよ。えー、やだー。先生が私たちのやりとりを聴きながら笑っている。お母さんに遅く迎えに来てなんて頼むのは、みうちゃんしかいないんですよ、と笑っている。それだけ保育園を楽しみに通ってくれるんだもの、嬉しいです、と先生は続けておっしゃっていたが、母としてはちょっと、寂しいような。それではよろしくお願いしますと言って私も駅へ向かう。
 朝あれだけ気持ちよくさっぱりと目が覚めたのに、込み合う電車に乗った途端、大きな眠気が襲って来る。あまりに込み合う電車に乗るとパニックになる。或いは、そのパニックを避けようと私の中の何かが作用すると、こんなふうに、瞼を開けているのがしんどくなるほどの眠気に襲われる。今日はどうもそのパターンのようで、私は手すりにつかまりながら、下りてくる瞼と必死に戦ってみる。
 病院に着き、私は荷物を枕にしてしばらくうとうとする。名前を呼ばれ、診察室に入る。いつものように診察の時間が始まる。今週はどうだったか、そのことを話し出そうとした瞬間、私の耳に見知らぬ声が津波になって押し寄せて来る。女性の声。機関銃のような勢いで、ひたすら自分の苦痛を訴える声。隣の診察室にいる方らしい。私は耳にずかずかとなだれ込んで来るその声から自分の耳を守ろうと、必死に耳を塞ごうとするのだが、気づけばもう、頭がふらふらして来る。先生、声が、声が突き刺さる、襲って来る。そう言うのが精一杯。でも一週間にたった一度の診察、私にとっては大切な時間なのだ、ここで先生とちゃんと話しておかないと私はしんどくなってしまう。だから必死に、精神を集中しようとする。けれど、私の耳に、脳味噌に、隣の女性の声が絶え間なく突き刺さる。必死に口を開き声を出そうとするけれど、私の耳には声がなだれ込んで来る。自分が何を思考しているのか、全く分からなくなる。今話したいことがあったはずなのに、話出しかけたのに、何が何だか分からない。私は何処へいったの。何がどうなっているの。お願いだから止めて。その声を止めて。私は必死に耳を両手で塞ぐのだけれども、その手を押しのけて、さらに声は私の中にずんずん入って来る。隣の女性は、どれほど自分が周囲から迫害されているかをひたすら訴え続ける。女性の声がだんだんと、声ではなく音声になってゆく。音になってゆく。言語がやがて音になり、信号になり、私の耳に脳味噌に突き刺さって来る。私の脳味噌はあっという間に次々破壊され、私は思考能力をすっかり奪われる。パニックを起こしている私に、先生が何か話しかけて来る。その声が聞き取れない。先生の顔がだぶってみえる。
 先生、もうだめ。何が何だか分からない。
 先週は悪夢は大丈夫だった? それから、息苦しくなったり頻繁にあった?
 先生、もう一回言ってください、分からない。
 先週は悪夢は大丈夫だった? それから、息苦しくなったり頻繁にあった?
 …えぇっと、えっと…先生、意味がわからなくなっちゃう。声が襲って来る。
 先週は、悪夢は大丈夫だった? 息苦しくなったりしなかった?
 …息苦しい、あぁ、あった、ありました、夢は淡々と…
 どんな夢?
 先生、話したいんだけど、分からなくなっちゃう、声にやられる。
 先生の質問に答えようとするのだけれども、先生の質問の意味が把握できない。先生の言葉を何度も聴き返す。そうして何とか言葉自体は掴めても、私がどう返答すればいいのか、それがわからない。それができるまでにひどく時間がかかる。一言でも言えればラッキーだが、私が言葉を吐こうとするたびに、隣の赤の他人の声に呑み込まれて、私は私の言葉を失ってゆく。
 これ以上ここにいる方が危ないわね、来週また会いましょう、リストカットはしてない? 大丈夫? ね、来週また会いましょうね。
 先生の声が聞こえる。返事をしようとするけれども返事ができない。
 先生、もうだめ、こわい。声がこわい。
 来週会いましょう、ね?
 はい。
 そうして私は、ふらふらになりながら診察室を出る。あの声はまだ、隣の部屋から漏れ聞こえて来る。頼むからもう追いかけてこないで。私は震える足を必死に前に動かし、壁伝いにそこから離れる。
 こんなとき、鼓膜を破りたくなる。頼むからもう誰も、私に声をかけないで。いや、私のそばで声を出さないで。そんな、絶対に不可能な願いを、私は心の中で呟く。

 家に辿り着いて鍵を開ける。ごちごちに強張っていた体が、突然、ふぅっと解れる。おかえりなさい、と、誰かの声が聞こえた気がした。もちろんそれは錯覚なのだけれども、それでも私はほっとした。そして部屋の中へ入る。いつもの娘の気配に混じって、昨日までいた友人たちの気配がまだ残っている。その気配に私はようやく深く呼吸する。もう大丈夫。
 部屋の中でぼんやりしていると、あっという間に時間が過ぎてゆく。いつの間にか娘のお迎えの時間がやって来ている。自転車に乗って走る坂道。ついこの間まで、この時間になると辺りは暗くなっていた。太陽がすっかり沈んだ街中を、私は娘を乗せて走っていたのだった。でももう今は、部屋に戻ってもまだ太陽は沈んでおらず、私たちは茜色に染まった夕日を二人で窓から見やる。ねぇママ、Sちゃんはもうおうちに戻ってるかなあ? うん、もう戻ってるよ。ご飯食べてる? そうね、そろそろ食べてるんじゃない? また遊びに来てくれるかなぁ? うん、来てくれるよ。それに、今度はママたちがSちゃんちに遊びに行こうよ。ほんと? うん、ママ、頑張ってお金貯めるから、待ってて。うん、お仕事いっぱいしてね。…はい。
 過ぎてしまえば、嘘か幻のような現実の一断面。朝診察室であった出来事は、こうして過ぎてしまえば、もう何でもないこと。いや、そりゃぁ心の中に残像は残っているけれども、だからどうだというものではない。ああいうことはよくあることだし、そんなことでいちいち落ち込んでいたら身が持たないことは、もう充分に分かっている。平気、というのともまた違うけれども、それでも、或る意味慣れてゆく自分がいる。他の人と共有しようとしても決して共有できない現実が自分にはあり得てしまうそのことに、私は少しずつ少しずつ、慣れてゆく。でもそれで、いいんだと思う。起きてしまうことは仕方がない。なら、それが起きても、過ぎ去ったら過ぎ去ったこととして片付けてしまうのが、いい。
 雨が降った後だからなのか、夜空が澄んでいる。気のせいかもしれないけれども、いつもよりも星が少し多いような。地平線に沿って漂うのは雲。あの雲は何処から産まれ、何処へゆくのだろう。耳を澄ますと、寝床の娘の寝息が聞こえる。もう少ししたら、私も眠ろう。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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