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2006年09月24日(日)

 夏が秋へとバトンを渡した。陽射しが少しずつ、少しずつだけれども柔らかくなってゆく。風に煽られる街路樹の葉々の色が、少しずつ、少しずつ変化してゆく。そして何よりも、朝と夕の空と雲が、その色と形を変えてゆく。
 こんな、季節と季節の狭間である時間が、私は好きだ。名前のついていない、まさしく季節と季節の狭間。名も無い時間。そこに佇んでいると、自分の何もかもを赦せるような気がしてくる。
 今日はいろいろ理由をくっつけて、娘に実家へ出掛けてもらった。ママは具合がすぐ悪くなるから私がいなくちゃだめでしょ、などと言い返されたが、じじばばのところ行くとおいしいものいっぱい食べれるよ、じじばば寂しいんだって、ちょっとでも顔が見たいって、などなど私も負けじと娘の機嫌をぐいぐい持ち上げて、何とか納得してもらった。心の中で、ごめんよぉと繰り返し、でも、にかっと笑い合って手を振って別れた。

 確かに。主治医の言う通り、心身ともに結構まずい状況に陥っているなという自覚は私自身にもある。が、ここで私が踏ん張らなかったら、私は絶対に後悔する。それが分かっているから、主治医も私に絶対にというストップをかけないでいてくれる。もちろん条件付だが、それでもありがたい。だから私も、まだもう少し、まだもう少し、と踏ん張ることができる。

 七月のとある日だったが、西の街に住む年下の友人から幾つかの言葉を受け取った。その中に「母子家庭というのはただそれだけで弱者なのだ」という言葉があった。その言葉の意味を、私は最初、受け止めかねていた。しばらく、考え込んだりもした。
 でも、今ならその言葉の意味が、とてもよく分かる。
 だからこそ、分かった上で、自分ができることは全部やりたい。今はそういう気持ちでいっぱいだ。

 話は変わって。
 ようやく、今年の展覧会の作品作りが終わった。あとはDMやポスター、制作ノートなど、こまごましたものを準備していけばいい。
 画を作っていてふと気づいたことがある。それは、前期も後期も、底辺を流れるものが以前と比べてずっと、近づいているのだな、ということだ。それがいいのか悪いのか、その判断は今まだ私にはつかないが、省みれば、写真を始めたばかりの頃というのは、自分の痛みを叫びを爆発させる術として写真が在った。
 でも。いつの間にかそうじゃなくなっていたのだな、と。
 確かに、前期と後期、焼き方を全く別の類を術として用いた。けれど、この底辺に流れるものは。少しずつ少しずつ、自分が本当に大切にしたいものに近づいている、そんな気がする。でも、ちょと難点を言えば。
 沈黙の画を透かして見えるもの、否応なく届くモノの存在が、まだまだ薄いな、と。つまりは、見てくれる人を納得させ得る画からは、まだまだ程遠いというところか。苦笑

 気づいたら、すっかり夜になっていた。時計ももうじき真夜中。仕事をしながら、時々休みながら、時々ぼけっとしながら、時々女友達と電話しながら。そうして今日も過ぎてゆく。
 当たり前の日常の何と尊いことか。

 さぁ明日は娘が帰ってくる。その前に、もういい加減風鈴をしまおうか。秋風に揺れて啼く風鈴は、何となく物悲しい。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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