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2009年10月09日(金)

足が重だるくてたまらず、湿布を貼って眠った。夢の中何度か、巨大な石に押し潰されそうになる。足がだるい、転ぶ、起き上がる、また転ぶの繰り返し。ようやく走りかけたところで目が覚める。夢のおかげなのか湿布のおかげなのか、足はだいぶ軽くなっている。私は身体を起こし、早速窓を開ける。
空はからんとしていた。からんと澄み渡り、雲がまばらに散っている。まだ開けていずとも、東から伸びてくる光が辺りに溢れようとするのが分かる。きっと今日はきれいに晴れる。街景はその輪郭をくっきりと見せている。
髪を梳きながら薔薇を見やる。私は溜息をつく。新芽がすべてぼろぼろになっている。風にやられたのだ。棘に絡まり、擦れ合って、端の方はすでに黒ずんでいる。鋏を持ってきて一枚一枚切り落とす。ホワイトクリスマスの蕾、マリリン・モンローの小さな蕾、三つとも、黒く傷ついている。でも、蕾まで切り落とすことはできず、私はしゃがみこんでそれらを見つめる。咲いてくれるだろうか。自信はないけれど、そのまま残す。
風が強すぎる中に長時間いると、肌もそうだが葉もその生気を吸い取られる。水分が十分にあったはずのものが、みなからからになる。今薔薇は全身そんな状態。一本一本手で撫ぜながら、これも自然の宿命と何とか自分を納得させる。
後ろではまだココアが回し車を回している。風に乗ってその音が、カラカラと空に上る。

娘は明日学校の壇上で何か発表するらしい、その台詞の練習を繰り返している。私が前期頑張ったことは、体験学習です。その時私は骨折をしていて、ウォーキングの時みんなから遅れてしまいましたが、それでもなんとか村まで歩いていけました。後期頑張ろうと思っていることは音楽会です。クラスみんな心一つになってやることができたらいいと思います。
文字にしてしまえばただそれだけだが、彼女は私がトイレに行っている時や台所に立っている時、いきなり声を上げて練習を始める。そして私が彼女のそばにいくとぴたっと止める。その様が可笑しくて、私はこっそり笑ってしまう。
今朝、六時に起こしてくれというから、私は何度も彼女に声をかける。が、しかし、結局彼女が起き上がれたのは六時半で、それから慌ててまた練習を始める。私は何も言わず、ただ黙って彼女の声を聞いている。彼女も私には、発表することになったなど何も言わない。担任から電話があって私はそのことを知っただけで、彼女からは何も聞いていない。だから、私は知らないふりをしている。

ねぇママ、と、娘が突然言う。何、と問うと、彼女がいきなりこんな話をする。ねぇママ、友達が友達の悪口を言っていたら、ママはどうする?
私は思い出す。小さい頃、そういう場面に何度も出会った。その時、私は正義感を振りかざして、そんなこと言うべきではない、ということを主張した。そのせいで私はいじめられる側になることが多々あった。それでも、その頃の私は強かったのだろう、というか意地だったのだろう、決して自分を曲げることができなかった。悪口を言うのは悪いこと、しかも陰でこそこそ言うのは悪いこと、と、私は思ってやまなかった。
ねぇどうする? 娘が問うてくる。だから私は訊いてみる。あなたはどうするの? うーん、何も言わなかった、心の中で、なんでそんなこと言うのかなって思った。そっか、そう思ったなら、自分が同じことをしなければいい。ふーん。ひとつ言えるのは、自分がされて嫌なことを人にはするな、ってことかな。ふーん。あなたは陰口叩かれていい気分する? しない。なら、自分はしないことだな。ふーん。
あなたは私より利口かもしれない。思っても口に出すべきじゃないこと、口に出さない方がいいタイミングというものは、ある。私は、そういうところでいつも躓いてきた。余計な傷を作ってきた。それがいけないわけじゃないかもしれないけれど、余計に傷ついて泣くのは自分だ。それでもそれを選ぶのかどうかは、最後自分で決めればいい。
彼女がさらに問うてくる。じゃぁ、友達が友達の悪口言ってきて、これは秘密だよとか言ってきたときはどうするの? あなたはどうしたの? 黙ってた。そしたらどうなった? うーん、私は黙ってたんだけど、他の子が言っちゃって、そしたら何でか知らないけど、私が言ったことになってて、後で責められた。ふーん、そうかぁ、そういうこともあったなぁ。ママもそういうことあったの? あったよぉ、ママは何も言ってないのにいつの間にかママが言ったことになってて、全部ママのせいにされたとか、そういうこと、たくさんあったよ。ふーん、ママもあるんだぁ。うんうん。そういう時、ママ、どうしたの? どうしても我慢できない時は、ママは言ってない、って両方に主張した。でも、どうでもいいような時は放っておいた。え、放っておいたの? それでどうなった? まぁママは悪者になってたけど、でもまぁそんなもの、時間が経てば消えるしね。そういうもんなの? うーん、まぁそういうもんだったなぁ。ママ、悔しくなかったの? 悔しいって気持ちもあったけど、そういうのに関わってるほど暇じゃなかったってのもあるかも。ははは。結局さぁ、自分が信じることをしていれば、いつか本当に分かって欲しい相手には伝わるものだよ。ふーん。全員に分かって欲しいなんて、それは無理。そうなの? うーん、ママはそうだった。ふーん。だから、割り切ることにした。自分が本当に分かって欲しい相手は誰なのか、その相手が、たとえばそれがたった一人であっても、その人が自分をちゃんと理解してくれていたなら、もうそれでいいって思うことにした。ふーん、そうなんだぁ。そうだねぇ。ふーん。
娘によって引き出される記憶は、結構傷だらけだったりする。でも、それを思い出し、改めて日の当たるところに出すことで、私はそれを整理することができる。今回もそうだ、改めて思い出し自分で噛み締め直すことによって、あぁそういうことがあったなぁ、まぁあの頃はそんなもんだったよなぁ、と、少し笑うことができるようにさえ、なったりする。不思議なものだ。痛い、から、懐かしい、へ。変化してゆく。

いつの間にか雲がきれいさっぱりなくなっている。あれだけ浮いていた雲は何処に行ったのだろう。娘とふたりベランダに出て、空を見つめる。ねぇ、また台風来るのかな? 来るかもしれないねぇ。来たらまた薔薇がぼろぼろになるの? なるんだろうなぁ。でもママ、あのテレビに映った、がんがんに荒れてる海に行きたいんでしょ? うん、行きたい。あんな海の真ん中で写真撮れたら最高だって思う。なんだ、写真撮るのか。そうだよ、写真撮るの。台風の真ん中で写真撮る人って、多分ママくらいだね。そうかな。そうだよ。ママって変なの。ははは。

娘と手を振って別れた後、私はまず公園に立ち寄る。池を見たかった。樹を見たかった。樹は変わらず立っていたが、葉はすっかり散り落ちて、それが池の水面を埋めていた。私は池の側で深呼吸をひとつしてみる。緑の匂いが胸いっぱいに広がる。命の匂いだ。
そして私はさらに走る。銀杏並木の銀杏が落ちて潰れ、強い匂いを放っている。その只中を走り、さらに真っ直ぐ海へ。
堤防に激しく打ち付ける波。砕けて散って、そしてまた再び砕けて散って。白い飛沫はさんさんと降り注ぐ光にきらきらと輝き。
海という言葉に女性名詞をつけたのは一体誰なんだろう。これが女性なら、私は本当に女性に産まれてきてよかったと思う。小さい頃は、真剣に、海になりたいと願っていた。大きくなったら海になりたい、そう思っていた。それができないと知り、それなら海女になりたいと願い始めたこともあった。結局それは、叶わなかったのだが。
さぁ。私は一つ息をする。今日は忙しい。仕事が三つキャンセルになってしまった。その分を取り返さなければならない。まず自分ができることは何だろう。今頃娘は娘で頑張っているに違いない。負けてなるものか。私もしっかりやらねば。
そして私は、自転車を漕ぐ足に力を込める。今日という一日がまた、始まろうとしている。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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